「欲しがりません勝つまでは」を政府が進めてしまう日本
かつて戦時中に、日本は資源不足に落ちいった際に、国民は士気を高めるためにこう言っていたと聞きますが、もちろんこれは戦意を煽るためのプロパガンダとして、政府がポスターなどで広めたスローガンでした、戦争が終わって空も高度経済成長期からバブル崩壊までに、財務省(大蔵省の頃から)筆頭とする経済管理を、金融引き締め・緊縮財政に舵を取ってきましたが、これは当に戦中に行ったプロパガンダの姿勢に酷似しています。
では勝つまでは…の勝つとは何に勝つのでしょうか、現在日本は世界的な高インフレ期にあって、特別好景気でも無いのに物価高であるにも関わらず、雇用賃金は3年前と何ら変わらない有様で、一部の企業や富裕層を除いては、経済戦争でのエネルギー供給・品不足・物価高の最中で、国民が我慢を強いられる現状が続いています。
企業は内部留保を繰り返し資産を継続するばかりで、どれほど従業員が働けど貢献すれど、賃金アップは景気に連動していません、バブルがはじけて以来ほぼ横ばいであるだけでなく、企業は政府にコスパの高い海外人材の流入を要求し、日本の若者雇用の控えも常態化してしまいました、その結果社内では人件費の高い高齢者層の、幹部管理職クラスやベテラン雇用者の比率が、若い社員・中間社員の賃金比を上回る問題が国民の負担になっています。
かつて高度成長期の、がむしゃらに働いていれば収益は伸び、給料も相対的に上がっていた単純な時代では無くなってきたのが今であり、将来的に企業の行く末を考えたときに、企業の知的資産といわれた社員も、今は人件費の圧迫という悲観的な状況が起きて、経営者も無視できない状況です。
これは中国の企業社会の現状と酷似しており、共産党に牛耳られる大多数の国民が、低賃金低所得で生活を強いられている姿と重なるのです、以前から筆者が中国は世界の実験国だと書いてきたのもここに根拠があります、この現状が示すものは近い将来の日本であり、さらに世界そのものの将来を、今垣間見れているのだと考えられます。
大企業が世界の主要花形産業を担う一方で、その栄華を支えるのは大多数を占める中小零細企業であり、彼らの環境は日に日に劣悪になっていきます、日本伝統の企業ヒエラルキーの底辺を、蔑ろにしてきた親会社と補助すらしない政府の姿が、筆者が昔読んだ小林多喜二の蟹工船の小説を彷彿とさせる、いわゆる共産主義化の進行そのものです。
今の中国、それも地方部は十分な統計が揃っていないですが、都市部でも20%に迫る若年失業率の現実があって、21年13%→22年6月には19、3%で、共産党お墨付きの一流大学卒業後も続く就活の現状があるそうです、人気の国有企業志望も就ける学生は、共産党幹部にコネがあるか、相当優秀でエリートでなければ、理想の職には就けないでいるようです。
ただ国有企業は共産党の傀儡であり、政府にとって国家への求心力を高める効果しかない、若い人の採用ができていない企業の、空洞化問題に直面する可能性はどうなっているのか?それは中国政府もかなり心配しており、最先端の産業に対して政策を打ち出してはいるものの、雇用を支えていくためには中小企業レベルで、高い能力を持つ企業が裾野として存在する必要があるでしょう。
それを支えていく技能を持った労働者は、うまく育っていない状況であり、日本の工専高等専門学校に人材を送り込む政策を進めている、中国政府は技能工を育てる教育に、方向転換する方針を打ち出しているとのこと。
この中国国内の就業状況を見るにつれ、これだけ巨大国家になった今でさえ、技術立国日本の技術力に依存しなければ、中国の主力製造産業は成り立たない、この問題の根本にはそもそも中国共産党の旧い体質というか、権力や利権のヒエラルキーが絶対的にあって、国営はもちろん民間企業であっても、利権や収益は最終的には共産党や地方幹部の、収益に吸い上げられる構造があって、純粋な企業経営を実施しても最終的には、共産党に私有されるという繰り返しで、この国は成り上がってきた事から、抜け出せなくなっています。
日本は、こうした共産党独裁制や、私益のヒエラルキーが現存しないにしても、利権問題がのこる点では似ているし、中国ではあるものの日本の近未来だと見ていいのではないか、反面教師という単純な意味だけではなく、親中派による日本産業技術の流出や、生産収益の流出が原因で、日本の雇用は崩壊して行く一方です、さらには政府の公共事業激減もあって、国内は内需・自給率に貢献してきた、一次産業・二次産業とも生産を海外に依存し、国内経済は冷え込んだおかげで、慢性的デフレでないと経済は回らなくなった、その状態は数十年前まではニュースでもとりあげたし国民は声を上げていましたが、結局無駄だと分かって選挙の投票率の低下となって、あきらめムードも常態化してしまいました。
しかし、これが与党政府の本当の目的っだったのでしょう、その裏には最近話題になっている宗教団体による、政治家利用があったことはもう隠しようのない事実です、自民党の一部はこの打倒に動きつつはあるのですが…さて。
また、かつては名物とわれた、大阪の西成地区の毎朝の日雇い探しの風景が最近消えたといいます、これは表面上そういうことにしているだけで、その日暮らし労働者の現実は、根本的解決になていないはずです、この表面処理は来たる大阪万博に向けて、悪いイメージは今のうちから払拭しておきたいだけなのは、容易に想像できます。
雇用問題即効性のある策はあるのか、理屈の上では簡単で、政府が公共事業を行い若いひったちを雇えば良いが、実際に起きていることは逆で、地方政府の財政資金が苦しくなっている、財政支出や公務員の給料・採用を減らしているので、解決が難しい状況であり、これは雇用者が解決できる問題ではなく、国民の声を自治体が丁寧に拾い上げて政府へ上げ、政府が解決への道を敷いていくべきものです。
なのに、なぜ政府は戦後から経済成長がありながら、バブルで経済崩壊した後から手のひらを返したかのように、緊縮財政に走ったか?これには多くの不自然な点が見つかっています、その謎を解くカギには日本のアメリカ傀儡姿勢から脱却しない・できない束縛関係が、いま歴代政府にも引き継がれている限り、終ることがないのでしょうか。
世界的なヒエラルキーの、新陳代謝と世代交代が進まなかったのは、日本の様な武器を持たなかった国家政府には、独自の主張さえも自由に主張できないまま、このままグローバル社会の渦に巻き込まれて終ってしまうのでしょうか、それならば私たちは蟹工船で働かされた船員たちと、何らかわらないということになります、外国人なら反抗や脱走も考えるかもしれませんが、事なかれを好む日本人は自らの自由さえも、叩かれる出る杭にされるのを恐れて、我先にと差し出すのでしょう。
(後日加筆・誤字修正しました)