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くろま流 × NAGOYA式 ブログ

名古屋在住者の視点から地域産業・観光を通した活躍を応援。

悪く無ければいいの?ガラパゴス文化意識

エコ・ネイチャー 企業 ビジネス 生活住まい

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 これからしばらくは、日本国内でも外国人などとの異文化交流が増えるのは、間違いありませんが、その際意識面でのグローバル化が必要になってくる時代に、乗り遅れないようにするにはどのような意識が大事なんでしょうか。

 これは、地方創生でも少なからず避けて通れない変化だけに、今までのように自分は日本人だから必要ない、とは言えなくなる話題だけに、当ブログでも扱っていきます。

 

ガラパゴス文化とローカル的意識

 日本人の良くも悪くも、「集団行動」化する傾向が強い面を、グローバル化する国内において、どうコントロールするか、は大事な課題です。

 すでにfacebookなどでも国民性意識高揚をうたうコミュニティーは探すといくつか見つかったりしますが、呼びかけは大事な啓蒙ですが、今アメリカでも注目されているナショナリズムに傾倒する火種にもなるものだけに、過度に集団化させない個人意識のコントロールが必要です。

 

 運転ルールでハザードで「サンキュー!」を意思表示するのは、すっかり定番化してますよね。

 筆者、この行為 今でも違和感を拭い去れなくて、何でここまでこだわるんだろう? と反芻してみると、本来の意図が全く異なった意図へシフトする国文化や意識の独自性が、あるきっかけを境に津波のように変貌する「異常な感覚」を見るからだと気づきました。

headlines.yahoo.co.jp

 

 こういった独自性の分かりやすい例は、交通ルールに顕著に出ています。

「赤信号、みんなで渡れば怖く無い」

 このフレーズを聞いて、その是非に首を縦に振る方は少なく無いでしょうし、とても 日本の国民性の一端を伺える例です。

  一方で、海外から賞賛される「行列」という事例もあるものの、この独自性はここ十年以来、国内でのグローバル化意識の高まりによって、マスメディアやネットで多く取り上げられるようになりました。

 

 創生において、この意識高揚を上手く活用するには、独自性 の洗練をする時期に 入ったと見ています。

 より国民性を高める上で、このガラパゴス文化と皮肉られた独自性を、一人一人がかみしめながら、是非の確認をしていくことが望まれます。

 この意識の選択が無意識に無防備に行われている現状が、私たちの意識の国際化  にブレーキをかけている現実を、そろそろ意識していく必要を感じるのです。

 

近隣国さえままならない国際意識の不足

 また、お隣中国との仲の悪さが本来の認識よりとてつもなく悪いのに、昨今特に違和感を感じます。

pws.hatenablog.jp

 

 長い歴史の中で、もっとも繋がりが濃くても良さそうな両国が、ようやく産業面で肩を並べるようになった今、共産党の良からぬプロバガンダはあるにしても、市民レベルの交流としてはとても有効な関係を持たねばならない筈ですが、そうなっていない事実からは、双方の柔軟な意識の欠損という課題を残しています。

 この点も上の国際意識の課題と同じようなことが起こっているのでしょうし、もっと文化や歴史においてたくさん話し合う機会をもってもいいのではないでしょうか。

 

 私たちは(おそらく中国人も)一部のニュースから流れる中国共産党の一方的な政策に辟易させられてはいますが、実は経済交流ではドライな産業提携が普通に行われていて、経営者目線でみれば両国は、最も美味しいカードを持ち合わせているということですから、日本はもっとドライに中国とのあらゆる接触・交流の機会を、この時期だからこそ増やすべき。

 今の日本や中国は、余りにアメリカやロシアなど西洋式のマス獲りゲームに加担しすぎで、日本は特にもっと東洋文化圏の発展に中国への影響を与えられる政策も、軍事防衛予算増大とよりも考慮すべきです。

 

 今回はあえて自虐的な内容に触れてみましたが、間違いなく言えるのは日本人の国際意識の欠落が、未だ激しいという事実と、それによって世界との様々なチャンスを悲しいくらい見逃している事実に、意識してほしくて触れてみました。

 意識の高い人には何を今更と言われそうですが「狭いニッポン……」的意識がすべて悪いわけではないにしろ、「閉鎖的な意識」に多分に含まれる課題だけに、内向きと外向きの意識のバランスを見直せればと思っています。

 

 とは言え、最後に日本人の道徳意識を誇りに思う自分がいることも、否定できませんが……。

https://m.facebook.com/groups/1464860653791641?view=permalink&id=1846799242264445

米・中経済圏と地方創生とのカ・ン・ケ・イ

政府 行政 技術向上 トレンド エンタメ

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 今、国内産業改革の分水嶺ともいえるTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の結末は、米新大統領からの撤退表明によって、国内企業への波及効果が低くなっていて、第一等国のアメリカ不在では、メリットが無くなるという声が多いようです。

 ただ農産物分野では国内で政府が同時進行する「JA」の組織改革との関連付けもあるため、第二等国のひとつである日本としては、どう落としどころを付けるか? 悩ましいところです。

 

 国内でも、商工業輸出入に関しては経済連関係ではまだ期待しているようですが、上の農業分野における変革のためにも、この協定の成功は期待したいところです。

 特に既得権益からの脱却と新しい農業スタイルの変革には、その成否は筆者も重要と見る立場ですので、直接仕事や生活に大きな影響を受ける立場では無いにしろ、地方創生の将来性を計る話題だけに、人ごとでないと注目しています。

 

 読者になっている優秀なブログ記事に、興味深いコメントがありました。詳しくはこちらを是非ごらんください。

www.kantankeizai-kumaburogu.com

 

 やはり、日本国内の農林産業が抱える課題解決のキモは、JAの過度な拡張ビジネスにありますが、本来農産物流通の取りまとめJAの主要業務だったはずですが、政府が統制を怠ってきた間に、金融・保険業などの補助業務のウエイトが高くなり、本業と比べ利ザヤ効率の良さから本業の逆転が起きたあとの改革になったため、既得権益の抵抗は半端ないほど高圧的で、医療業界のそれと負けずたがわずの様相を呈しているようです。

 

 それを新しい農作物流通の手段として、TPPは副作用はあるにしろカンフル剤としての役割を期待するものです。

 その期待の意味からも国会は分裂している時ではなく、一丸となって言い出しっぺの抜けたこの国際的な条約を、なんらかの落としどころを見つけないと、せっかくの農業改革気運が、一気に失速してしまいかねません。

 

 今始まっている、地方創生や様々な過去慣習からの脱却の行く末からも、この農業改革は最もホットなトピックです。

 国内はサラリーマンが大半なので、全く関係ないとお感じの方が多いようにもお見受けしますが、経済波及の大小だけでなく決して私たちと無関係でないこの課題を、もっと多く話題にして国民の関心度を高めるとともに、多方面からの視点を投げ出してもいいと思います。

 

 あと、中国主導と言われるRCEP(東アジア地域包括的経済連携)とも比較される、TPPへの期待感と成立への難易度からして、日本側の立ち位置が中途半端な状態をどう切り分けるか、TPPに拘りすぎてどっちつかずになるリスクをはらんだまま、国内産業への波及効果が曖昧なままで終わる最悪のケースは避けたいところ。

 アメリカが同盟国さえも突き放そうとしている中で、過去の蜜月関係の甘い汁にこだわらずに、隣国中国への経済関係の正常な構築を急ぐ時期にきており、政府がこの仕切りの道筋を早めに示さないと、オリンピック効果の半減や、それに伴う地方創生の芽を摘みかねないので、その待ったなしの決断に注目しています。

 

なぜ、ニッポンはお世辞にも安全と言えないのか?

トレンド エンタメ 生活住まい 技術向上

 今回筆者は、子供の頃見たアニメ一休さんの最終回、一休さんが泰平の世の民衆に、ドクロを掲げて「訴えかける」姿を思い出して、思わず毒を吐かずにはおれませんでした、とか言いつつそんなえらそうな話でなく戯言です。

 

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 27日にNHKがスッパ抜いた、パナマ文書に記載されていた架空会社の登録者に、いわれの無い一般人の個人情報が偽装に利用された事実は、国内安全性の認識の温度差を浮き彫りにしました。

 私たちの情報に対する視野も、その当事者の抽象的な認識だけでは限定されてしまったり、ニュースの報道や統計の比較で説明された位で、判断できるものではありません。

 

 そもそも日本に蔓延してきた安全神話そのものが、戦後国内で言われるほど確かだったのか、怪しいと思っています。

 国防上の安全は、アメリカの傘の下に隠れることで保障されたと言われますが、結局増えたのは国防費と武器の数であり、武力こそが平和のバランサーだと信じ込まされているに過ぎません。

 

 また、安全な社会の中で、温々と経済成長を成し遂げた資金力は、今後良いように国外資本のいい餌になるでしょうし、政府が何の保証も無いのに、半永久的と信じた度を超えた年金などの社会福祉保証は、砂上の楼閣と誰もが知っています。

 生活英語をほとんど使えない私たちは、中国のように情報統制する必要なく、正しい判断材料を自ら海外より入手ができません。

 

 これって……日本人は安全って事なんでしょうか、ねえ?

 

 自由の国と言われるアメリカ合衆国でさえ、諜報機関による情報監視や、メジャーマスメディアの多くは、既に国にさえ影響を与える資本家の子飼いなのですから、その国に準じてきたこの国は、当然米国と同意の自由があるはずもありません。

 

 「そんな事言ったってねぇ!」

 多くの海外に詳しいとされる論客が、あらゆる資料と論理を持って私たちに、熱く諭してくれてはいるものの、残念なことにその根拠を確かめる術を、教えを請うている私たちは持ち合わせていないのです。

 まれにそれなりにスキルをお持ちの方もいらっしゃるので、確かめることはできるのでしょうが、基本海外に多くの知人が居るか海外語学が堪能で、自ら確かめる事が出来る国民は、先進国での世界のそれと比べて余りに少ない事実は、どう考えたら良いのでしょうか。

 

 一方的な数字や統計資料で固めた「安全性」がどれだけ安全の客観性があるか、信用に足るものかを知ることは、とても重要なことと考えています。

 

 これが、筆者の考える非安全性なのですが、例えば「じゃあ、英語勉強すればいいじゃん」となっても、不思議とスッと英語を生活レベルまでに落とし込める、環境が持てる人が何人いますか?

 会社で急に海外出張を命じられ、慌てて英会話スクールへ通える人はまだ幸いで、学生でさえもなぜ英語スキルが必要なのか、首を捻っていることさえありますし、しまいには、そのチャンスが持てる人でさえ「海外語学なんておぼえなくても、困らないから」と消極的なのは、今に始まった事ではありません。

 

 また、語学力の要素だけでなく、社会の仕組みに関心を持たなない人たちも少なくありません。

更には、少子化や、教育環境も整っていない昨今では、なかなか親御さんでさえ教育へのモチベーションを削がれているように見行けられます。

 

 つまり、平たく言えば、一見充実した社会保障に満たされていると見えるようでも、実際は単にそう勘違いをしたまま、その確かめをする意思さえ持たず、横流しにしていないか、と言うことです。 

 ここまで言うと「陰謀論者」のレッテルを貼られそうですが、それは先の先のパナマ文書関連の疑惑でも証明された通り、自己防衛の要は能動的に目や耳に入ってくる情報を、独自にいかにフィルタリングできているか、と言うことを言いたいのです。

 

 それができていない以上、できていない人にとっての安全性に担保はありませんから、観念して他人の判断に委ねる心の広さが無い以上は、たとえどんな些細な情報源でさえも、確保せる事が、唯一の担保となるでしょう。

 とかく日本は戦後、反核反戦争を掲げ、それが上手くいっていたり、世界に評価されていると思わされてきましたが、経済成長で勝てば官軍だったものが、これからは低迷によって賊軍として、むしろマイノリティに属する時代に入ります。

 

 あと、日本株の安全性についても疑問符をつけたくなる話題で、先日のWBS報道の7-9月期のGPIF運用経過報告がありましたが、短期黒字とは言われながらも、今年度全体では赤字補てんには程遠い結果です。

 また同報道で、オールジャパンと言っても過言でない対象銘柄は、海外資本によって大幅に買い取られいるそうで、安定していると言われる日本株でのGPIFの運用益幅は、狭まっていて赤字の埋め合わせは困難が予想されます。 

 

 最後に平和認識においても、有り難いお経もその一遍でも意味を理解してこそご利益があるものですが、平和の提唱も同じことでこの期に及んでも、世界平和は意味も解からず唱えるお経の如く、訴えていさえすれば解ってくれるなどと言う、偏言には誰も聞く耳は持たないでしょう。

 私達がこの後も、真顔で世界平和を訴えるつもりがあるのなら、宗教がそうだったように、海外語学を独学し論文を書き広めて、海外の人々の基へ歩み寄って初めて、その機会が得られるものと知るべきです。 

 

 まとめとしては、国の安全性は単に防犯実績が高いだけで証明されるのではなく、私たち一人一人独自の目と判断で、見極める能力を高めなければ、安全は神話のまま私たちの心を真に癒してくれることはないでしょう。

 

www.huffingtonpost.jp

 

 

映画ロケ地化は観光創生に役立つか?

アート イベント 名所 施設 史跡 注目の人 キャラ

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  筆者も映画はよく見ますが、テレビで見るより劇場へ行って字幕版で見るのがこだわりです。

 さて今回は、映画と地域に係る役割を考えていきましょう。

 最近の邦画は、実写はむろんアニメでも作り込みがこんでいて、ロケーション(舞台設定)も実在の場所を結構リアルに使うケースが増えているようです。

 

 この春夏に国内で爆発的にヒットした「ポケモンGO」での聖地なる場所が、あちこちに話題になったものです。

 また、大ヒットした「ゴジラ」や「君の名は。」筆者も見ましたが、これらの舞台となった場所も「聖地巡礼」現象が沸き起こって、地方の観光や商業を潤しています。

 

 愛知県も実は、映画のロケ地誘致には積極的に出ているそうなんですね。

 

 最近でも、下の二作品の舞台に使われたそうなんです。 

映画「SCOOP!」及び「少女」のロケ地マップを作成しました! - 愛知県

 

 結構、ロケ地興しで地方創生に参画する自治体の増加は、容易に想像できそうですが、結構ノウハウが必要だったり、地域の生活に支障をきたしたりとか、まず一朝一夕にできるものでもありません。

 芦ノ湖の「ヱヴァンゲリヲン」とか飛騨古川の「君の名は。」のように、狙ったわけでなく、結果として聖地化しなければ、あまり根付かないものだけに、どちらかと言えば息の長い政策として、考えないとならないでしょう。

 

 愛知県は、地方から集まった工場労働者が、息抜きに当てにされた娯楽として、パチンコや演劇・映画が普及したので、比較的以前から演芸を育てようという素地があった様に思います。

 愛知や中部地方出身のアーティストで、ようやく映画に関わる人材が出てきたのも大きなきっかけでしょうし、フィギュアスケート王国と呼ばれる昨今は、それに準じる強みであったのだと思います。

 

 映画鑑賞が、余暇や娯楽の中心で無くなった今でも、一時期洋楽に圧されて瀕死状態だった邦楽は、最近盛り返してきたのは、作品制作者に優秀な担い手が増えてきたからですが、映画娯楽のパイそのものが減って来ているのは、映画世代にはさみしいものがあります。

www.j-cast.com

  かつての様に映画が流行ったら来場数だけではなく、最近ロケ地訪問数が注目されるのは、大なり小なり確かではあるでしょうが、以前からあったロケ地観光(寅さんなんかが有名ですね)が注目されるのは、一つには最近第三局がこの流行に乗っかって提供される聖地向けアプリにありそうです。 

smartphone.r25.jp

 

 既知の様に、ポケモンGOでのマッピングアプリの集客現象でもお解りになる通り、ITデータベースの応用として開発されたと思われる、こうしたマッピングと連動したスマホアプリ群は、今後のトレンドと期待されているようです。

 今後は更に加えてVRによる仮想現実との応用によって、さも在るかのような疑似観光も可能になるでしょう。

 

 それ故に、今後ますます観光地のブランド化は、こうしたコンテンツに採用されるかどうかの重要な判断材料になります。(実地の再現性は、ドライブシュミレーションやゴルフ場ロケーションのゲームアプリで、そのリアリティは実証済みです)

  ただVRという未だセオリーの固まらないインタラクティブでの需要が期待されていますので、今後地方のイメージ戦略的にどのように地域のロケ地開発をしていくかは、映画制作で得たノウハウをいかにこのVRメディアで活かせるか、に目を向けていくべきでしょう。

 

地域の盛り上がりが少し見えてきた

アート イベント 技術向上 街づくり 課題 問題 車 航空機

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  街づくり に重要なのは、課題は身の回りにあって、住まう人たちが問題を共有する事が 大事 だと以前書きましたが、それを地道に実践されている記事を見つけたので記事利ます。

 

 「課題の共有」が住民に認識 してもらえているか、について配慮された活動は重要な仕事です。

 例えば名古屋市で言えば、 記事にもなった「魅力のない街」アンケート結果の低評価 は、市民が果たして名古屋市がエンターテインメントの街として注目されるべきか、と言う アンチテーゼを含んでいる可能性が高い かもしれないのです。

 

  ところが、名古屋市名古屋城木造改築やメイエキ開発 を 前面に押し出しているように見える一方で、魅力度アンケートでも3割程度の人が「福利厚生」面の予算割当を期待していますので、市民の心情のメインは「住みやすければ、イインジャネ?」と思っているようなのです。

 その空気の中でのごり押し的な観光強化施策は、受け入れにくいでしょうし、オンブズマンの 異常なまでの川村市長への反発は、それを現していると思えます。

 

 地域にはそれぞれ風土や独特の事情があるわけですが、その課題を露わにせずして 街おこしの課題は実現しないことを、この記事を読んでも確信できます。

 

www.huffingtonpost.jp

 

 しかしながら、政府が打ち出したこの好機を活かそうとする取り組みは、毎日のように記事として目にすることができ、これはこれで良いことに違いはありません。

 注意しないといけないのは、地域によって様々あるに違いない、地域住民の生活に沿っているかを判断する難しさを、軽視した創生施策に陥らないように、ということです。

 

 九州北部で、まちおこしプランナー募集に月給100万円で募集をかけた自治体がありましたが、決定打を見いだせず期間にゆとりが無いとの苦肉の策としては、痛々しいものです。

 人口減少や自治機能低下によって、時間をかけてまちおこしをしているゆとりの無い自治体にとっては、切迫感は大きいのかもしれませんが、未だかつて無かった大きな変化に冷静な判断が必要です。

 

 以下に紹介している事例では、根本的な問題解決にはなり得ないと、見向きもされない自治体もあるかもしれません。

 ただ、根本的な問題解決をするにはそれぞれに横たわる課題を、他人に丸投げするのは筋違いなことで、むしろこうした地道なまちおこし活動を通して、地域住民への呼びかけと、それによって浮かびあがる底にある課題解決を、地道に潰していく姿こそが住民のまちおこし意識のモチベーションアップにつながるのではないでしょうか。

 

 人口が多い地域と少ない地域では、事情や興せる数の違いは出るにせよ、このようなまちおこしは積極的におこなうのは、その周辺にも効果が有ることです。

 県や市は細かいまちおこしを拾い起こして、大きなチカラへとまとめる役割が求められます。

 

www.asahi.com

www.asahi.com

www.huffingtonpost.jp

prtimes.jp

www.fukuishimbun.co.jp

www.nishinippon.co.jp

www.yomiuri.co.jp

www.chunichi.co.jp

 

ただ住むことと、ちゃんと生活することの違い

トレンド エンタメ 生活住まい 街づくり

 

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 一極集中させるより、在宅勤務化を整備すべきなのに、労働者を使い捨てするかのように、企業はより仕事中心生活へ、世の中はワーカーの住む選択肢を狭めているように見えます。

 

toyokeizai.net

 

引っ越しの延長との違い

 もともとあった田舎生活への憧れで上京したものの、今度は都会にあるもの以外をお求めたり、故郷への望郷の思いを満たすために里帰りが起こるのは、同じ地域間の引っ越しとは違って、家族間の覚悟と決意です。

 かつて、都会に自らの理想郷を求めて上京したのは、高度成長期の流行のあおりだったと今なら気づいた今、地方移住を求める世帯が増えだしています。

 

 時代の変化に、つかんだ安定の地に留まるのか、安定からの脱却を志すのかという、人生の選択に関心が高まっているのかも知れません。

 また」、安定期に入った狭い日本でなら、よほどの過疎地でなければ不便を感じなくなっていたり、育児環境を模索して敢えて人とのつながりや自然の豊かさに価値を見出す家族が出てきたためです。 

 

 中流意識に憧れた団塊世代が前者に対し、その子世代は、親が説いてきた人口増加を前提としたラットゲームの限界に疑問を持ち、ゆとりと揶揄されながら、親世代と価値観の異なる秩序を模索してきました。

 その選択肢が憧れの癒やしの田舎、ではなくてかつて親世代が見放した異世界またはフロンティアとしての田舎での、新しい人生の創造なのでしょうか?

 

 筆者の立場は、世代から言って親世代に当たるものの、東京中心主義の虚像に気づいて以来、政治経済の分散を支持するようになったのも、時代の流れかも知れません。 

 今となっては日本経済はかつての勢いを無くし、予算の捻出にままならない状態では、分散さえ非合理的だと物言いが入るほど、この国は弱くなっています。

 

 その中でようやく都市部に集中した期待は薄れ、一局集中の神通力は弱まったのを、将来を見直す人々は見逃さなかったようです。

 海外の物価の安さに惹かれて定年後移住を図る姿を見ても、親世代出さえ戦後の富国政策の恩恵が終わった事を示し、子世代は敏感に感じ取って余裕のある内に国内でゆとりを確保しようとしています。

 

 政府は、仕組み上どうしても東京に人が集まって税金を落としてくれないと困るので、無計画な税金投入で、見た目上活性化を図って首都の価値を維持しようと躍起になっているようにも見えます。

 海外の目や世界からも、迷走する日本の評価は、そのごまかしを見抜いているかのように、日本に感化されることなく成長していこうとしています。

 

 このことから言えるのは、日本はすでに追う側に回ってい居るという現実ですが、日本の価値を上げるのには、政府がしようとしている事とは全く角度を変えた根本的な価値観の掘り起こしが必要だということです。 

 今のこの国魅力は、一部企業の技術力と、潤沢留保資金に裏打ちされた投資市場としての魅力だけしかなくなってる気がしてなりません。

 

 日本の企業株価は海外投資家のいいように乱高下を繰り返すたびに疲弊しているのは、見るに堪えない現実です。

 そうこうしているうちに、内部留保と言う魅力も、海外の強かなブレーンによって、早ければ数年で枯渇するのかもしれないと危惧するのです。

 

 これらの予測は、経済数学や理論に裏打ちされていない、妄想の域を出ないものなので皆さん安心して頂きたいし、筆者は物書きとしてこのような近未来がフィクションでのみ実現される事を、切にのぞみたいところだが、小説家の妄想とは言え、とても関心の高いネタの一つであるのには変わりはありません。

 

 地方へ移り住む選択

 そういう時代を知ってか知らずか、発想転換に注目する記事は、目立つようになっています。

m.huffpost.com

 

  せっかく住むのには、日本でも有数の住みよさがある愛知県も地域との連携で、なんらかのど真ん中地域になれればいいのですが。

 

まちの魅力アップのエッセンス vol.2

アート イベント 名所 施設 史跡 街づくり

 前回に続き同テーマの2回目です。

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 観光は 本来元々在る施設を利用して人を呼び寄せる活動ですが、起業や資本が 関係してこれば、予算は潤沢となっても地域の特性は薄くなってしまいます。

 

 いかに限られた予算で魅力をアップするかは、まさにご当地に在る自慢話をどう知らない人に 聞いてもらうかです。

 

 下に紹介した小さいながらも、地域の思いを募った結果、地域の誉を復活させた例が、

 東海地方には明智鉄道の例がありましたが、例外なく地域住民の意識向上に  大きく貢献しています。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

  もし向上が無いようならば、その施策は地域にとって求められてはいなかったことになりますが、それはさておき普通ならすでにその問題はクリアーできているはずですので、ここでは取り上げません。

 ただ、現実的には人の足となる公共交通機関と客の増加を見込む観光は必ずしも結びついていません。

toyokeizai.net

 

 魅力 を上げるのはそもそも在る自慢を分かりやすくする活動ですので、鉄道が自慢ならば風景にとけ込ませるような工夫をすれば、場所によっては独特の風景も注目してもらえるでしょう。

 

 鉄道が無くともバスでもできますし、 地方の風景に溶け込むバスが あったら、その観光ポイントは、 人が集まってくるでしょう。

 

 そのためにも、何度か記事っていますが、その地域を見慣れた人こそ地域の特性を 他の地域と比べて、より特性を引き出す工夫 次第だと言うことです。

地元の魅力を宣伝してくれるのは、他でもない地域を何とかしたいと思っている人のモチベーションが最も必要です。

headlines.yahoo.co.jp

 

 最近  山間部の林財が不調で、観光強化を検討する活動が目立っています。

 その動き、意外にも地元住民でなく、都会からきた、外からその地域の魅力に 気付き移住してくる人だったりします。

  特に過疎部はやむなくそうした事例になりますが、過疎部だからこそ、人との関係に疲れた都会の人間には魅力的に見える世界があるということだと思います。

 

 住んでしまうと、どうしても、自分の周りしか見なくなり勝ちですが、人によっては、直ぐ近くの癒やしで十分癒やしを得られる人も結構いるのです。

 

 こうした意識を向上できれば、都会の 憧れる若者の抑圧感を改善できて人材流出を防げる可能性があ4うということですそのために大人は、外の人だけでなく、中に住む人にも地域の魅力を分かりやすくしてあげる 必要があります。

 ただ、それを今まで役所だけの仕事だと思いこむのは、人口が減少する日本では成り立ちません。

 

 人口の少ない地域はなおさら、ひととの交流が人をとどまらせる魅力になりますし、多い地域は流入した人に対して、いかに早くなじんで貰えるよう心を砕いて安心してもらえるかが、そのまちの印象を大きく左右します。

 ただ住民の思いは、永住する転入者や一次的な訪問者に対して、積極的にコミュニケーションをとらなければ、決して伝わらないということです。

 

 「来てもらった」という思いが伝わってこそ、来た人にとって幸福や満足感をもたらすのです。