くろま流 × NAGOYA式 ブログ

地域産業・観光を広い目線から、東海・名古屋あるあるをリサーチ。

宇宙のロマンとリスク

かつて宇宙は無限だといわれ、広大で深遠な空間に神秘性と可能性を感じたものですが、最近は地上から観測する電波望遠鏡の発達や、宇宙からも大気圏外へ巨大望遠鏡を送って大気の影響を受けずに観測できたり、人工衛星で電波などで観測できるようになった結果、宇宙は有限で果てまで観測が可能な時代になったと言います。

国によっては、宇宙軍を創設して次なる驚異への準備さえするものものしさもありますが、私達には今少し現実味が薄いものの、生活に宇宙が関わってくる時代がそれほど遠くない意識も出ています。

 

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木星が彗星を地球に送り込んできているらしい | ギズモード・ジャパン

 

そこで、今回は普段と違う宇宙に関する話題を取り上げたいと思い探してみると、筆者が気になる記事を見つけたので、これを基に記事りますと、木星は第二の太陽と言われるくらい本来の質量から見て、太陽のような高温に輝く星になり得た星だそうです。

そして記事にもあるように、大きさゆえの巨大な重力場の影響力は太陽系の惑星にも大きいとされ、それによって地球も他からやってくる彗星や隕石から守ってくれているというのが専門家の見方でした。

 

ところが、この新説ではその一方で彗星や隕石を、地球に向けても送り出す原因になっていると言うのですが、これもコンピュータによる重力や惑星軌道の解析がシュミレートできるようになった結果、判ったことのようです。

地球の隕石落下の驚異が、意外にも太陽系内にあったというのは目からウロコの思いですが、もしかしたら接近するまで予測不能だった隕石飛来か、木星由来についてはかなり正確に予測できるようになると、期待できるかもしれません。

 

これから先、現実的に宇宙旅行渡航ができる時代が来るでしょうから、こうした太陽系内の惑星感間相互作用について、多くの予測が立てられると、その実現をさせやすくなるでしょうから、筆者はこのニュースは前向きに捉えています。

変にバカ遠い宇宙の果ての事実より、こうした身近な現実的な事実を、人類が共有できることの方が、より大事で力を入れるべきことでしょうし、その進歩だけ私達の宇宙ロマンがより現実になるバロメーターにもなります。

 

今最も注目されている月旅行もとても魅力的なのでしょうが、もっと切実な宇宙からもたらされるリスク回避への投資は、娯楽より最優先されるべきでしょうし、先にも書いた宇宙軍の創設も人類同士の争いというより、宇宙人では無い自然由来のリスク回避に役立つのであれば、日本も前向きに考えても良いのでは無いでしょうか。

宇宙は人類にとって、未だ謎多きフロンティアであることは変わりなく、人類が知れることはたかだか極一部でしかないでしょうが、今後せめて太陽系範疇だけでも事実を知ることができるだけでも、その分人間は狭い独善的な思考を変えて、マシな行動をできるようになるかもしれません。

 

それだけ宇宙とは、無限の可能性を秘めているのですから。

「暗号法」施行で日本への影響はどこに出てくるか?

今年度中国(中共)は国内で暗号法を施行したそうですが、そもそも一国二制度で締め詰めを強化しようとしていた、香港や台湾への影響力の強化を見据えたものでもあるのでしょう。

台湾は今年1月の総統選挙で民主進歩党民進党蔡英文氏が圧勝し、中共の大方の狙いを外して台湾の民主化の安定性に弾みをつけた形で、今後同国の共産党主導の周辺国の共産化政策に悪影響を及ぼしそうです。

 

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中国で「暗号法」施行、デジタル人民元だけじゃない“真の狙い” | Close Up | ダイヤモンド・オンライン

 

その中でも中共は、国営初のデジタル人民元の発行を世界に先駆けて発行する動きを昨年末発表し、年初に国内の情報管理の目的である暗号法を施行したことで、さらなる国内の引き締めと統制を強化し出しましたが、そもそも国外に対しても一帯一路政策で、貿易を根拠に海外の土地を合法に私有地化する動きと併せ、海外の個人情報の諜報も進めていることから、アメリカはアメリカ国内の中共の影響力を排除する法案を可決、中国企業を排除に動いています。

今後、アメリカの動きに呼応して関連国も同様の動きになる可能性もありますが、日本を含めてドイツなど欧州諸国では、すでに経済協定などで中国との関連を絶ちにくい状態の国もあるために、影響力排除の動きに差が出てきそうです。

 

その中で、中共との関係が深い政治家や学者の多いとされる日本でも、この中共影響力の排除をしにくくなっており、台湾の明確な意思表明によって、日本への影響力強化が計られる確度が増したと言えるでしょう。

日本は、経済関連団体の姿勢が中国市場を期待したことで、深くつながっており、さんざん市場参入に失敗していながらも、その関係を諦めるどころかまだ市場の可能性を模索しようと躍起になっています。

 

IR法施行に関しても、某議員を通した何らかの関係構築を画策していた節もあり、IT化された商業市場の中国参入や、大量の資金が動くカジノや観事業に、今後も中共が関係を深める動きを進め、内部から影響力をさらに高めてくる可能性が出てきました。

ネット上でも香港台湾だけのとどまらず、既に親中華の北朝鮮や、韓国も現政権時に親中国に傾きつつある危機感を報じる意見も増えており、ここにきて本来別の国である日本でも、アジアではもっとも感化されやすい国とされているようです。

 

これらの動きは、筆者としてはまだ消極的に書いているつもりですが、身近なところでスマホなどのIT通信機器を通して、情報漏洩や情報操作を仕掛けられている現状から、もしこれらが事実であれば、むしろ日本政府の危機意識に消極性と、アメリカに対してその対策の遅れが、今後簡単に致命的な悪影響につながるのに時間はかからないでしょう。

 日本人の多くは、政府や学者などの専門家や識者の意見を鵜呑みにしたり、無条件に信用しやすい傾向が大きかったため、気が付けば今の様な国内の中共の影響力が大きな国となってしまいました。

 

ネットの普及で、海外の多様な考え方、リスクの取り方、セキュリティ概念など自己防衛に役立つノウハウを気軽にできるようになったことで、国際問題や情報管理の危機感を独自に学べることで、国内で今起きている現実を理解される人が増えていることは良いことなのです。

ただ、ネットを不慣れなことで拒否したり特定のTVメディアや、偏った新聞雑誌のみからしか情報を得ない人々が相当数いることで、国内の空気に危機感が蔓延しにくく、さらに、危機意識を面に出そうとしてもそれを覆い隠そうとする慣習が、現実を把握しにくく行動が遅れる危険性につながっています。

 

知っておくべき危機はたくさんありますが、まずは身近なスマホなどの情報機器から中共の影響排除を進めるのも良いかもしれませんし、TVや新聞だけでも少しでも多くのメディアと比較して、総合判断されることをお勧めします。

世界がグローバル化を加速する中では、経済・流通・エネルギーなどは。既に国境は有って無いようなものですから、一国の見解を鵜呑みにせず自分で比較検討した解決方法を軸に、情報判断をする習慣は不可欠でしょう。

 

 

世界と積極的に関わると言うこと

ニュースなどで日本が、国際化の対応に迫られるとか、グローバリズムがの影響だとか言われるようになった今、当たり前のように受け入れているこれらの国際社会への適応をする上で、小難しい言葉や理屈が周辺に増えています。

私達は、頭の中では国際化への参加や心構えをしているように思っていますが、果たして現実にどこまで準備ができているのか、気になる人もいらっしゃるでしょうが、実際十分では無いように見えますし、見てみぬ振りを政府国民双方でしているフシもありそうです。

 

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日本は台湾からの難民を受け入れる準備ができているか | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 

航空路の充実や、船舶航路の安全性がほぼノーリスクとなった現在、運賃の低価格かもあって私達は気軽に近隣国を中心に、他国へ旅行したりビジネスに利用していますが、今インバウンド需要が言われるように、同時に他国から多くの外国人が日本に来て観光したり住むようになってきました。

ただ、このインバウンドはあくまで経済需要を見込むためのもので、それでも観光客によるトラブルも少なく無いですし、外国人が移住するに当たって日本人はまだまだ抵抗感を示す傾向は大きようですし、政府も国民もインバウンドの美味しい面しか注目せず、深刻な面には受け入れ準備やセキュリティ対策などより経済効果だけを優先しているフシがあります。

 

上の記事は、隣の大国中共(一般的には中国、本来は中共のはずです)一帯一路政策により、周辺国で多くの人が難民化される懸念がくすぶっていて、タイムリーな驚異として提起しているものですが、現実的に先進国で難民を受け入れた経歴がほぼ無いのは日本くらいのもので、これは他国からしても異常と見られているようです。

極東に位置し、これまで幸いにも地政学的影響力が小さく済んだ日本だからこそ、こうした得意な条件が起きたというのも事実ですが、その分難民受け入れの経験値が浅く、今後難民受け入れの現実的な準備は象徴的な国際化問題をどう受け止めているかの、判断材料にされます。

 

では日本人の意識や行動はどうでしょうか、よく聞くのは観光客でさえ問題を起こすと過剰反応するのに、難民受け入れ後比較にならない程の問題に対処できないのではという、海外のシンクタンクの予想は正しいのか、私達にとっても国際社会に生きるとは、こういうことだと自覚できているのか、リアルな考察をしている人はあまり聞きません。

そこには、何となく国際化によるメリットばかりを見て先食いに勤しみ、デメリットを積極的に受け入れる素地が私達日本人には薄いという姿が見え隠れしていて、貿易や一部の外交以外は、いろんな保護や制限に依るにしても、国民も積極的に海外との接点を持とうとしてこなかったり、教育や政策の影響で母国語以外の関心も薄く、国民の外交性も芳しく無いようです。

 

環境客へのアピールで、おもてなしをするのと同居するのでは根本的な差がありますし、これからはネットワークの普及で、居ながらでも世界の現実を見られる時代には、いよいよ避けて通れなくなっている時代の真っ只中にあって、保守的な意識は今後私達の中でどう変わっていくのでしょうか。

今のままだと多くの人が難民受け入れを拒絶するのは、ほぼ間違いないでしょうが、これは政府の対応がだらしないだけでなく、心理的に閉鎖性からどう開放できるかどうかは国民ひとりひとりの覚悟と責任を考えるしかありませんし、政府の行動とはまた別の課題です。

 

地政学的に比較的外国の影響を受けにくかったとは言え、近隣の中共南北朝鮮との交流は盛んでしたので、交流が全く絶たれていたわけでは無いですが、明治維新以降の体制の激変後日本政府は、器用に外交をし常任理事国にも居ましたが、第二次世界大戦後の外交姿勢は経済政策以外は極度に消極的になり、それは国民の外交意識にもマイナスに働いたようです。

それでも一部の地域では、昔から中国や韓国人が帰化し住み着くところもあって、様々な経験値を持っているのですが、比較的外人が流通する大都市や観光都市を除いては、その違和感や親和感は馴染みがない地域が多くなり、起きるであろう問題を実感しにくくなっているようで、日本人の外国語アレルギーの意識が大きいでしょう。

 

これらを早急に問題収集し来たるべき日に対処するべきですが、政府は相変わらず国内問題に目をそらし、それより先にIR方などのビジネス面での対策を優先する政府の動きに始終しており、国民はこのまま単に責任転嫁しているだけでは一向に先に進みそうにありません。

この対応には、いろんな問題で課題とされてきた縦割り社会の脱却も見据えた、中央とは別の並列した問題解決手段を実行する上でも、その難民受け入れ問題の実現性の高い地域からでも、自治体単位で検討を始め問題や予算を計上し、中央へ問題提起する動きで中央を刺激するしかないでしょう。

 

こうした横割りの行政手法を、大阪府は早期に提案して来た背景には、在住外国人の多い土地柄ならではの俯瞰的な国際意識を具体化させる一環として、政治の構造的欠点をリスクを採って行動しているからかもしれませんし、この意識は他の地方自治体も積極的に取り入れるべきリスクです。

その一環として差し迫る国際化の課題を地方から積極的に取り組む行動は、良きケーススタディとなりますが例えば、同時に意識調査を全国で細かく行うなど、在住外国人の意見を参考に、住民の意識との差を見極めて、すべき課題を一つづつ明確にし、確実にクリアしていく姿勢を自治体単位で意識化する行動は有意義ですし、放置されるだけ地方ほどリスクは高まるだけに、日本人の行動の美徳である下準備根回しを、ここでも発揮することが積極的な国際化への取り組みに繋がるのではないでしょうか。

教育事象実験の最先端、愛知ナウ

戦前戦後通して昔から教育熱心だった愛知県は、PTAなどの教育支援団体などが積極的に教育改革や問題に関与し、国が示す教育方針にはリニアに反応対処してきた経緯があります。

今では教育熱心な都道府県として、長野県などが注目されていますが愛知県もかつて中学生日記など、子ども目線の問題意識が高かった県の一つには違いありませんが、その経緯もあってか愛知県は政府が実施する教育事象実験の指定区域でもありました。

  

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学童保育、県内6万人突破 昨年5月時点:愛知:中日新聞(CHUNICHI Web)

 

旧年中から待機児童保育の施設の比率があくまで統計上では、愛知県名古屋市は100パーセントを達成した時期があったそうですが、こうした数字の実用性の是非はあるにしても、これも教育に関しては熱が高い地域であるという背景あってのことで、住みやすい地域で上位を示す街があるのもうなずけます。

この地域でそれほど教育熱が高まった理由は、独自の地域事情である生産業が盛んなことで、国内外から多くの労働者を囲う必要があったことが、大きな理由に挙げられていて、生産労働者のスキルアップや海外労働者との共生に必要な教育に、企業ぐるみで取り組んだ経緯が大きかったのでしょう。

 

教育熱が高まるその一方で、それらに関する問題も多く発生する事になるのですが、特に政府の教育期間より、親御さんや企業が中心となるPTAなどの団体の発言力や影響力が他地域より強まったことは、教育に関して独自の発展をする原動力にもなったようです。

また、全国でも問題になったモンスターペアレントなど、本来影響力が小さいはずの個人団体が局所的に発言力を持ち得たのは、民主性意識の高かった地域独自の性質が大きかったし、全国の政党支持でも民主系支持者が比較的多いのも特徴で、これも労働組合の力が大きいことを物語っています。

 

ただ、これらの民主制が幅を利かせていることが、市民に良い結果をもたらしているかと言えば必ずしもそうでなくて、地域の課題にある閉鎖性も手伝って、昨年全国を騒がせたあいちトリエンナーレのような、独自解釈による中央方針との乖離が浮き彫りになったように、その教育や思想の発展がやや歪んできたのも事実です。

一時期にようにモンペアや教育機関の行き過ぎは解消されているにしても、その経緯で教育を受けた世代が今親になる時期に、あいトレのような問題も浮き彫りになっていて、愛知県知事VS名古屋市長のような構図も露呈する結果となったのは、残念です。

 

最後に、この地域で起きている教育や民主化に関わる問題は、全国でも今後展開しうる先読みできる問題として捉えていただいきたのですが、少子化で今後ますます児童教育をコントロールしやすくなる中で、新体制文科省が変えるべき課題は数多くあり、期待も大きいものです。

それを知った上で教育に関わる人たちは、全てがその動向に注目し、関係ない人でもその影響力が波及するリスクを踏まえて、直接間接に関わらずに参加関与を積極的に取る準備をしておかなければならないのではないでしょうか。

 

去ったゴーン氏の日本への置き土産

 去るものは後を濁さずという言い回しが、この人には受け入れられなかったのは、この騒動を追っていた筆者にとっては残念でなりませんでしたが、このタイミングで一方的に責める人がいる一方で、理不尽さを受けたひとりとして一定の理解を示す向きも伺えるのは、興味深い事実です。

この後どのような展開が起きるのか起きないのかは、今後筆者にとって興味が消えてしまった以上関心はありませんが、結局彼は日本に良かれと行った企業改善の成果を認められなかったことで、その全てを捨てて望郷の彼方へ去って行ったということです。 

 

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逃亡後のゴーンが明かした日本への「復讐計画」 | 災害・事件・裁判 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

 筆者はこの騒動には元々、ゴーン氏の業績や結果について関心があったのではなく、当時窮地V字回復した国内大手の自動車企業の経緯そのものにあったため、その点においてはこれからが課題だと考えていました。

日産が実質上の破綻を招いた当時、地方創生のきっかけと機運の高まりを始まりだった頃で、ゴーン氏が日本企業の禁忌であった雇用者の大量解雇を、子会社経営者を説き伏せて断行した結果、景気の影響を最小限に縮められて事にむしろ評価さえしていました。

 

しかし、その後の国内景気は長期デフレの名の下に低迷し続け、期待されていたような再浮上のないまま浮かぶことがありませんでしたが、その影響かどうか今でも疑問ですが地方創生も絵に書いた餅となった事実の方がショックだったのです。

その間にも、地域によっては博多を中心とした九州地方の地場企業努力によるITビジネス拠点化や、鉄道観光事業に顕著な成果が現れたり、政治面でも関西の大阪都構想から始まった常識破りの機運が育ったことは、せめてもの救いだったにせよ、中央集権化と緊縮財政のツケは、ここ最近のインバウンド需要増大が起きるまで地方経済を冷え込ませる結果でしかありませんでした。

 

そのきっかけであり象徴でもある日産の企業の行方の変化は、今後の日本経済の行方も引き続きうらなう重要なフィルターとして、見放せない案件であると見ていますし、この企業の存在自体に日本が抱えてきた、経済的課題が凝縮されているように思えてなりません。

 そうした目線で、日産のようなベンチマークに当たる企業を探せば、いくつか見つかると思うのですが、東芝もそうですし製薬会社にも注目できる企業があるように、私たちが働いている企業を通してだけでなく、その他の企業を定期観測することで、景気低迷を抜け出すヒントが見えてくるのだとおもいます。

 

この国が抱える課題は、経済低迷と同時に世界視野から見ても、経済を支えるエネルギー確保のための防衛力も合わせて見ていく必要がありますが、その方面でも定期観測をすることで、私たちが普段の生活によって忘れがちな俯瞰目線を保つ大きな助けになるはずです。

ゴーン氏が起こした一連の騒動は、 彼が国際的な重要人物だったからこそ、私たちの目線をイヤでも海外に向けさせられたことは、反面教師として捉えらたと思えば、腹も収まるでしょうし、その上で冷静な視点で立場が変わればこうした事件を強かに隠蓑にするものたちへの警戒心を保つことができると、筆者は思う事にしています。

環境変化が問題化される功罪

日本では特にエコと言うキーワードでここ30年ほど前から折に触れて、注目されてきた環境保護問題について、筆者なりにも過去に様々触れてきましたが、ここ数年で日本は海外の環境保護団体から、その努力を評価されるどころか、その要求は高まるばかりでなく、最低ランクに位置づけられる始末です。

それでも真面目な日本人は、単に努力が足りないと謙虚に努力を続け、その支援に補助金を海外へ出し続けていますが、今思い起こせばこの努力はそもそも適切だったのか、懐疑的になっています。

 

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オーストラリアの森林火災は、コアラやカンガルーがすむ独自の生態系まで壊滅させる|WIRED.jp

 

上の記事は、ここ最近の環境の変化を専門家の立場から純粋に警鐘を鳴らすものですが、私達はこの類の記事を読むたびに、猜疑心と罪悪感にかられて何か良いことをしなければとか、胡散臭いとか不用意に行動に影響を及ぼしていないでしょうか。

海外の人々がどれ程同じ感情を抱くかは正確には知りませんが、日本としては猜疑心より罪悪感の方が大きいように感じるのは、筆者だけではないでしょう。

 

環境問題と一括にされやすいこれらのニュースは、日本人の戦争贖罪意識の変化形だと筆者は考えていますが、幸か不幸か日本はこの感情が影響して、効率化やエコ性能の優れた製品や生産システムを先駆けて世に送り出して来れたわけです。

ただ、その一方でそれで得た利潤やノウハウは日本優勢の立場で提供されているのでは無く、まるで賠償させられるかのような認識でされやすい傾向が強いようで、更に深刻なのは日本人自体がそれに違和感を持つことなく受け入れてしまっていると言う現実でしょう。

 

もし、この事実を「ナニソレ?」とお感じの方がいらっしゃるのであれば、良く現状を見直されることをおすすめしますが、今少なく無い日本人がこのジレンマに違和感を感じだしているはずです。

筆者も地方創生に興味を持ち、まちおこしのニュースを5年以上追いかけてきた末に感じだした違和感であり、筆者はまだ遅い方だと思いますが、私達は悪く言えば海外の先進国シンクタンクの搾取を戦争の罪悪感情を利用されて、こき使われてきたと言えるでしょう。

 

環境問題の解決には、日本が最先端をリードして本来誇れる行いとなるはずが、現実はいつになっても世界に対する評価は変わらない理由がここに出ているわけですし、結局はそのミスリードを確信的に誘導してきた企業団体が内部留保率を高めたに過ぎませんでした。

その本質において、環境問題とはその効率化であっても自然保護とは本質的に何の関係も無かったのかもしれませんし、おこぼれで多少の恩恵はあったにせよ、それに貢献していると言う自負感を生きがいに働いてきた人々にとって、本来看過できるものではないはずです。

 

日本が、その贖罪を担ってそうしてきたのなら、百歩譲って良しとするにしても、これからも永久的に集られるいわれはないわけですから、エコ対策を言い訳に利潤を増そうとする企業や団体に、安易に奉仕する姿勢は改めていくことが、本来の課題だと言えないでしょうか。

これからも記事のように、環境の変化には敏感になっておくべきなのは間違いないでしょうが、それと同時に進行する資本主義的社会主義的な便乗報道にも、バランスを重視しながらも敏感に反応すべき時代に入っているのです。

 

エコと親しまれた環境問題への細やかな活動や参加は、私たちにとって少しづつ何らかの贖罪意識への癒しとして効果があったのは事実ですが、これからもそれを続けていくのは、少子化に喘ぐ今後の日本にとって負担でしかなくなります。

この負担を推してでも彼らに利益にしかならないエコ活動に参加するメリットがどれだけあるか、その疑問符をつける人が若い世代から増えていることは、注目しておかなければなりません。

 

欧州から世界の先進国を渡り歩き訴えたある少女の勇気は、確かに称えられるべきことかもしれませんが、彼女を利用し広められる義務の押し付けを正当化できるものではないと考えますし、よほど環境事業に関わっている人以外にとって、ことさら過剰意識を持つような緊急性は無いと見ています。

昨今の地球環境の変化がこの百年以上のスパンで見ても、有るのは事実ですが私たち人類の能力ではそれが人的影響度が高いのか、自然の摂理のサイクルでしかないのかの判断はできるものではありません。

 

日本人は特に神教からくる自然信仰の習慣がある分、今の状況を人間の行き過ぎによるものと思いがちですが、その正否をいたずらに強調しまくるメディアの一方通行情報だけを盲信することはとても危険で、日本の優れた資質や資金の単なる浪費に終わりかねない、切実な問題として捉えるべきです。

そうした立ち位置に立つことは、私たち日本人にとって試練に見えますが、実は新しい境地への入り口になるきっかけでしか無く、日本の独自の特異性を真に世界にアピールするために、欠かせない避けては通れない大事な選択の道だと考えます。

 

何も無い、と言う選択肢

地方の創生を普段から書いていても、地方の良さは理解できても、都会の便利さが捨てられるものでも無く、週末にドライブや旅行で満足して終わるのが普通だと思うのですが、これからの日本は人口減少が進んでいく中で、数の論理は効果が薄くなってゆき、私達も働き方や生活スタイルの大きな見直しをする時代に入っている気がします。

ITの急速な発達で、距離によるハンディが小さくなる一方、人口集中することによる問題や事件から、ストレスやリスクが増える傾向は大きくなって、地方の生活を選択する動きが注目されています。

 

では、田舎で暮らすという事は、どういうことなんでしょうか。

狭い世間では意外と周辺の意見を無視して行動することは、往々にしてタブー視されがちでも、最も自分の生活に心地よい環境の選択を検討するのは、今後の人生を豊かにできるかを大きく左右しますから、敢えて多くの便利さを捨てて心を無一文にする選択を敢えて取る人が少なからずいらっしゃることは、良い傾向だと思っています。

 

news.mynavi.jp

地方創生×ITで何が変わる?(6) ICTを活用した遠隔授業で必要なこと - 地域の魅力発信が人材を育てる | マイナビニュース

 

当初は、定年などで社会リタイア した世代が余生を楽しむために地方移住する選択肢から始りましたが、この三十年ほどの低成長時代と人口減少の時期に、積極的な若い世代や家族による、地方移住の選択肢が注目されてきました。

十分な資金と自由な時間を使える高齢者層とは異なって、現役世代の移住は数多くのリスクと課題が山積していて、検討をするその多くが挫折し都市部へ集中する悪循環が生じています。

 

折角都市部にマンションを購入し満足されている諸氏に悪循環などと表現するのは、心が痛むのですが、もちろん都市部を選択することが悪だと決めつけているのでは無く、選択として正しいという点は予めお断りしておきます。

その一方で、その恩恵を敢えて捨てて地方に移住する選択をする人が、減らないのは一考の価値があると考えたわけで、ではその選択を果たすことでどのような恩恵があるかをじっくり見てみたいと考えたのです。

 

その恩恵とは、様々あげられるとは思いますが筆者が注目したいのは、捨てる選択を選んでいるという、一見矛盾した理由を選んだ人たちが移住をするケースで、彼らが飽食の自由社会を敢えて捨てて、それらの恩恵が何もない場所へ身を置こうとする意味を考えたかったのです。

この行動は、筆者のメインテーマである地方創生にとって、重大なインパクトをもたらしますが、何もない選択肢を選ぶとはどういうことなんでしょうか。

 

 戦中戦後、選択を赦されない時代に生まれ育った世代にとっては、物が溢れる成長や集中こそ正義であり目標だったわけですが、その立ち位置に立つ者にとっては敢えて何もない選択肢は、非常識そのものでした。

しかし生まれながらにして平和で豊かな時代に生まれ育った世代が増えたことで、その世代はもちろん、前世代にもようやく原点に帰るゆとりができたということであり、後世代にも束縛やしがらみなどから抜け出す選択肢として成立したわけです。

 

日本の気質は、どうしても2者選択の機会にどちらかを選ばなければ気が済まない厳格さが起きてしまいますが、本来どちらも正義であり悪など存在していないので、どちらが優位性があるとか何を不便とするのかの基準は、柔軟に判断すれば良いことになります。

筆者の住む名古屋は地方の一つで、地方に有りがちな行きたくない都市にもあげられましたが、一方で一旦落ちつくと住みやすいという評価で定評があるのも事実です。

 

幸せの価値が多様化される時代に、人口減少で家あまりが問題化される現状を、安全性と安住の地を選択するメリットに置き換えて、それ以外の便利さを捨てて移り住むのは、時代のリスクを積極的に採る前向きな生き方です。

都市に住む選択をした人は、金で買うリスク回避をしたということで有り、後追いでそのリスクを分割払いするスタイルであり、地方に住む選択をした人は、先にリスクを負って環境に馴染ませながら、恩恵に順応していくスタイルだと言い換えられるのではないでしょうか。

 

住う場所によって一長一短あるのはどこでも幸福度の確率は一様であり、その選択と行動による恩恵とツケもバランス良く跳ね返ってきますから、敢えて何も無い選択肢を取るということは、自分で原点から考え直そうとする勇気であり、人生の創造を地力で行う価値観につながっていくのでしょう。

何も無いところに身を置く人生体験は、焼け野原から今を作り上げた世代の思いを知ることに繋がりますが、現代なら全くの一文なしで無く彼らの手助けを借りながら、日本の原風景の中で、比較的安全にその原点を見つめる事に魅力を感じた人がいたという事なのかもしれません。

 

繰り返しますが、都市部に住むことは恩恵を先取りすることであっても、勝ち組でも優位性でも必ずしも無いという考察を一度は通るべきでは無いでしょうか。

過去に作られた常識や価値観は、自称勝ち組の都合による幻想でしか無いのかもしれないのですから、それを敢えて逃れて自分のルールと価値観を創造することは、非人間的な技術やルールを根本的に見直すには、とても効果的な選択肢とも言えるのではないでしょうか。