くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

最後に、「日本版CDC」創設より、日本医療界がすべきこと

政府は常に感染症対策を監視し強化するため、内閣感染症危機管理庁と「日本版CDC」の創設を決めたわけですが、本家の米CDCの役割を前に述べ、日本のそれについては過去戦前戦後以来の、膨大な経験値や研究の蓄積があることも書きました、それらを踏まえて今回発表されている範疇で見た場合、果たして日本の感染対策は本家を超えられるのかは、今から注目されるところです。

国立感染症研究所国立国際医療研究センターを統合、感染症の研究と臨床を一体化させるのが日本版CDCであり、1万人以上の職員を抱え60カ国以上に拠点を構える巨大組織となりますが、米国の疾病対策センター(CDC)を見習ったというものの、人員も予算も桁違いで本家の巨大さの足元にも及びません。

岸田政権が創設しようとする日本版CDCは、米国のものとは人員も予算も少ない、一方の危機管理庁は内閣官房に新設され、内閣官房は各省庁間の総合調整にあたり、首相を直接補佐する役所という位置付け、ワクチン確保など厚生労働省にもまたがっていた体制から、指揮命令系統を明確にするのが狙いだと言われます。

つまり官邸主導で、自治体や医療機関を調整するということですが、コロナ禍で難題だったコロナ専用病床への転換が、スムーズになるのかどうか、同時に初期的な対応を日常的に受け入れる地域の診療所や、かかりつけ医がどのように参画するかが気になるところです。

その一つとして、なぜか協定から民間病院が外されていること、病床確保の具体策として、直接都道府県が医療機関と協定を結ぶことにしており、義務付けとなる医療機関は、公立・公的病院と大学病院などの大規模な特定機能病院となっています、ではなぜ民間の普通の病院が外れたのでしょうか、今回のコロナ禍で病床転換に同意したのは、ご存知の通り公立・公的病院が中心であり、民間病院は拒絶するところが多数ありました。

ある調査によると、2021年1月時点で転換を拒んだ病院は、公立で6%、公的で15%なのに対し、民間では45%にも上ったとあります、これはあくまでも200-400病床の中規模病院への調査でしかなく、絶対数が多く住民に身近な存在である、コロナ拒否した民間病院こそ協定の対象にすべきでしょう。

コロナ禍の当初、「コロナ患者は受診しません」と堂々と張り紙を出した診療所もありました、地域医療の役割を放棄したのが中小の医療機関でした、ですが保健所機能がパンクした昨年春に、政府は高齢者施設のコロナ患者を、地域医療チームに委ねることにした「感染者の一律入院」施策からの転換をはじめました。

“地域内で医療・介護を完結させる“という、地域包括ケアの原則がやっと実践されましたが、担い手は訪問診療に熱心な在宅医たちであり、多くの地元医師会の長老たちは苦々しい思いで傍観していたのが実態でした、その上医師会などは会見だけ登壇して、政府に要望だけ突きつける有様でした。

日本の医療環境は、前にも書いたように世界と比べ特異な経緯を持っています、さらに日本の医療機関が持つ急性病床数は世界一多いと言われ約89万床もあるのです、人口1000人当たり7.8床にあたりますが、一方米英国はわずか2.5床、フランスは3.0床で、世界での2倍から3倍規模という、日本は経済協力開発機構OECD)諸国で最多となっています。

その一方で、今年初めて世界一になったものの、トータルで言えばコロナ死亡者は桁違いに少ないです、22年7月14日現在では3万人台でした、かたや英国は18万人台、イタリアは16万人台、フランスは15万人台で、欧州各国の人口は日本の約半分にあたり、人口比でみると日本の12分の1から10分の1という少なさです、もっとも東アジア諸国は、ほぼ日本並みの死者数かそれより少ないと言います。

この地域差の理由解明に、現代の感染・免疫医学は追いついていません、既存のワクチン接種状況や、以前から備わる免疫の違いなど、諸説あっても確定していない現状、自然界や生物社会は奥深く、医学がたどり着けない領域はまだ多い、また最近では遺伝子操作で人工的に加工も可能となっています。

これら数字的に、日本が欧米に比べかなり特異な存在なのは間違いなにしても、死者が少ないことは医療の緊急度が低いことであり、加えて使えるベッド数が多いことからも、本来医療崩壊が起きるわけがないと考えるのが普通です、それなのに重症者を受け入れられなかったり、重度から軽度になっても転院先ベッドが見つからないことも多々起きています。

その原因は、自治体が病床転換できない“医療の壁“にあると言われます、さすがに政府も対策を講じないとは思えませんが、病床転換を狙って昨年1月に感染症法を改正し、都道府県知事に病床転換を促す権限を与えていますが、それでも民間系の医師会は腰が重いようです。

自治体は医療機関に対して、まず「要請」する、断られるとより強い「勧告」に切り替え、それでも応じないと「実名公表」できる。3段階の対応を準備していますが、その実行は医師会の金銭的影響力を越えて、実行できるかどうかは政府の判断です。

昨年4月に奈良県が要請を発動し、その後、大阪府茨城県静岡県、東京都などが続きましたが、どこでも医療機関は応じず、十分なベッド数を確保できませんでした、にもかかわらず勧告に踏み切る自治体は出までんでした。

これは、改正法には「合理的な理由があれば応じなくていい」という抜け道があり、「コロナ拒否」の言い訳に使われてしまっているのです、「看護師が足りない」「建物が小さくてきちんと隔離できない」などが、程のいい「合理的理由」となってしまいました。

加えて、「医療機関と争いたくない」と「本音」を漏らす知事もいたほどです、自治体にとっては現実は、地元医師会や大手医療機関は対等の交渉相手ではないと認めたようなものです、立場の影響力にあぐらをかく医療の壁は高く分厚いと言わざるを得ません。

言い換えれば、医療業界が築き上げてきた強固な「経営観」を崩せないとも言えます、それは日本医師会で会長職を1957年から25年も続けた、武見太郎氏の時代に築かれたと言われます、開業医の利益をなによりも重視した武見会長は、医師が政府を含めた外部からの干渉を受けずに活動する“プロフェッショナル・フリーダム“を掲げて、当時の厚生省と対峙し、“ケンカ太郎“とも言われたり、診療報酬の増額を求めて、全国一斉休診の刃を振るうなど厚労相に公然と歯向かい、医療政策の主導権を握っていたようです。

次第に、地域の開業医を束ねる日本医師会の”権力”は高まり、結果として経営の自由を唱えるほどに裁量権を伸ばしていく…この「権力」を支えたのは開業医の急増だったわけです、また、日本の医療界にない”公”という意識が無いのも大きかった、1961年の国民皆保険制度の創設で急増した、医療ニーズを引き受けたのが民間の開業医でした、個人開業から法人化し、さらに20床以上の病院へと規模を拡大していく医師も現れ、開業の自由が経営の自由の柱として黙認されてきた経緯がありました。

増大した民間の医療機関は、今や全医療機関の大半を占めているといいます、民間の診療所と病院は合わせて約9万で、約11万の全医療機関の82%に達するそうです、公立や公的医療機関が圧倒的に少ないという歪んだ体形が、今の日本医療界の特異な現実なのです。

一方で、欧米ではこの比率が逆転していて、英国では医療はすべて税金で担う国民健康サービス(NHS)を採り”公”の制御下にあって、他の諸国も医療は”公”という意識が強いといいます、よって有事の際には、国や自治体は強い命令を発することが出来ますし、コロナの専用病床への転換もスムーズに進み、日本のような医療危機がほとんど見られなかったのはこの差なのです、こんな事実も日本では報道されていません。

スウェーデンやドイツでは、初期段階で転換策を素早く講じたようです、アメリカでも州知事や市長が緊急命令を出して、専用病床を確保していました、これに反して日本では”経営の自由”を盾に、行政からの要請に応じない医療機関が続出していたのは、記憶に新しいでしょう、さらにはPCR検査やワクチン接種にも経営の自由を、振りかざす法人も出ていたのも、ご記憶の方もいらっしゃるでしょう。

そして、幽霊病床問題も野放し経営が生んだ稚拙な現実でした、コロナ専用の病床確保料金として国から補助金を受け取っていながら、患者を受け入れない悪質な事例が散見されました、感染ピーク時の昨年夏に起きた「コロナ患者を看たくない」という本音を、隠蔽しつつ経営の自由を一方的に主張したのです。

さらに、患者は県をまたいで自由に受診させる、一見便利そうですが原則在り得なかった判断でした、医療側の経営の自由とは実際は、利用者である患者側の自由な受診とは裏腹に傲慢医療組織の独断に過ぎなかったと言え”フリーアクセスとは聞こえが良いですが、国民はどの(開業医を除く)医療機関にも自由に受診できる制度で、これも日本独特と言えます。

高速道路を車で飛ばして、県をまたいで遠くの大病院に受診に来ても構わない…って、アウトレットモールに買い物に行くかのような感覚で医療機関を勝手に探す…その結果、複数の病院への”ドクター ショッピング”や、重複検査・多剤服用という”無駄”の横行を招いたことも問題視すべきでしょう。

医療とは本来、健康な生活を支える社会的サービスであるはず、そして税金と保険料で成り立ち、こう見員と同じ”公僕”に近い立場であり、教育ときわめて同義であるはずですが、医療も”公”意識を取り戻し、国民にもフリーアクセスを放棄する意識転換が必用です、日本医師会は「フリーアクセスが日本医療の金看板」とも主張され、文字通りその考え方と真っ向から向き合うならば、各自治体のエリア内での完結は不可欠なはずですが、医師会は国の新しい病床確保策に対しても、「強制的な仕組みは良くない」と反発している始末、”赤ひげ”のような公僕の医師である意識は、どこに消えたのでしょうか。