「日本版CDC」になるには何が足りない? 本家には世界が注目ぅ??
前回のまとめから岸田文雄首相は「日本版CDC」の創設を打ち出しを新たな感染症対策の目玉としたいようで、本家のCDC(米疾病対策センター)は、日本版も科学的な知見に裏付けられた発信ができるのか、その判断を世界が注目するのか、見極めようとするかたわらで本家の東京支店を設置する意向を発表済です。
日本版CDCは、国立感染症研究所と国立国際医療研究センター(NCGM)を統合するもので、日本国内の感染専門家組織という位置付けでもあると言います、これまでは臨床現場ない国立感染症研究所と弱みを埋める国際医療研究センターと分業していた、前者は厚生労働省が所管し、感染症の研究を担ってきました。
国立感染症研究所は、前身は1947年の国立予防衛生研究所から始まり、終戦直後の劣悪な衛生状態で結核や腸チフス、赤痢などの感染症に対応するために生まれた、国内の感染症の状況を把握し、治療に使う医薬品の検査などを担っており、日本戦後の感染史を作ってきた組織で、戦中も日中戦争時の731部隊による研究成果は、アメリカと日本に折半されながら、疫病感染研究の基礎を日米にもたらし、流れを引き継いでいったと言って良い。
近年では、コロナ禍ではウイルスの基礎研究や、感染状況のデータ収集などをしてきたが、実際に感染した患者を調べる、臨床の現場を持ち得ない弱みを補うのが病院機能をもつNCGMで、これで感染研は臨床の現場で実際に患者を診ながら、治療法や対策などの研究を進めらる。
前回、NCGM国立国際医療研究センターについてあまり詳しく書いていませんでしたが、少し補足しておくと、前進は戦前の旧国立病院医療センターの前進として1871年から日本の医療の中核として始まり、戦中でもやはり満州で蓄積された医療も含めて、戦後に京大や東大の医療技術へフィードバックされていく、一般の医療施設。病院とは異なった重病奇病難病についての治療研究が、世界のそれとは独立した研究を司てきた…。
これらが確認した現状ですが、8月組閣された申請岸田政権の医療安全保障への対策部門として、感染症を中心にコロナの様な大規模感染症による、社会影響力を総合的に解決する意味で、米国CDCと同様の国内のへの影響力を高める狙いが中心となると思われます。
これらを踏まえ、標準的な位置づけの加わった感染症オミクロン株の現状や変異種、国内外の状況はどうなっているのでしょうか、今のところ新型コロナに関しては、米CDCがもっとも中心的な立場のため、その情報が中心とはなりますが、オミクロン株は接種済みのほうが感染しやすい!?という結果が報告されており、厚労省がまとめたコロナ統計の「致命的ミス」と問題化された問題について。
政策決定の根拠が崩壊すような”接種済みなのに「未接種」に”して統計化した問題は、経験や勘で政策を決めるのがこれまでの日本の政治の常識だった、日本の旧態依然の非科学的な仕組みが露呈したと言えます、しかし海外では、“思い込み”ではなく、科学的なデータや統計によって政策を立案する「EBPM」(Evidence-Based Policy Making)が主流になっています、最近では日本政府もこのEBPMに力を注ぎ始めているのですが、今年5月上旬その前提を揺るがす「大事件」が起きていたのはご存知でしょう。
厚生労働省が公表した新規陽性者とワクチン接種歴についてのデータに、致命的な誤りが見つかったのです、EBPMは日本語にすれば「証拠に基づく政策立案」となるが、そもそも“証拠”となるデータが間違っていれば、科学的に政策を立案することなど不可能でしょう、いったいどんなミスがあったのか、詳しく見ていきましょう。
厚労省は、10万人あたりの新規陽性者数を「ワクチン接種済み」「未接種」といった区分で、定期的に公表しているのですが、このデータの元になっているのが、新型コロナ患者を”診察した医師”による聞き取り調査でした、医師は新規陽性者を診る時には、「ワクチンを打ちましたか」「いつ接種しましたか」と尋ねる決まりになっているのですが、問題が起きたのは、医師が記入する報告データの「日付欄」、ワクチン接種日がいつだったかを患者が思い出せなかった場合、医師は接種日を「未記入」で厚労省に送信していました。
ところが厚労省側は、本来は「接種済み」となる人でも、日付欄が記入されていないと「ワクチン未接種」という扱いで処理していたことが関係者外に知られたことで、問題化しました、厚労省はしれっと非を認め釈明しましたが、一部には水増し疑惑も囁かれる始末です。
前にも書きましたが国産ワクチンの承認遅れ問題が、そろそろ表面化しそうです、原価400円のコロナワクチンが3000円に…?「特許制度」はこのままでいいのかという問題もあります、製薬剤は民間企業が生産している以上、利益はそれなりの単価になり得ますが、これだけ特定メーカーの製薬がでまわるようになると、インセンティブと独占の境目が曖昧になり、販売量が莫大なだけに私益と公益のバランスは問題視されるようになりますが、これまでの日本政府はアメリカ企業への忖度か、この当然の問題に国民の税金が投入されているにも関わらず、避ける傾向に有るようです。
グローバルな感染症とワクチンについて、2022年6月にジュネーブで開催された世界貿易機関(WTO)の閣僚会議で、新型コロナウイルス感染症のワクチンのことが重要議題として討論されました、WTO閣僚会議は本来は隔年のはずだが、新型コロナの影響で開催できなかったため4年半ぶりの会合だという、WTOと言えば、自由貿易を維持拡大させるために結成された機関だったが、それだけにとどまらず、世界で市場経済を推進する役割を果たしているグローバルな組織として知られています。
最近では、世界の多極化を背景として、各国の経済的思惑がぶつかり合って、議論がまとまらないことも多くなっているし、また高所得国や国境を越えて活動する巨大な多国籍企業(トランスナショナル企業)の利益を守ることに偏っているとして、市民社会から批判されることも増えてきています、そのためかつては経済グローバル化の一方的な拡大に、反対する市民運動のデモや抗議活動で、WTO閣僚会議の会場が取り囲まれることもありました、1999年シアトルで行われたWTO閣僚会議に対する抗議デモなどです。
そんな世界貿易に関する会議で、ワクチンが議論されている理由は、世界各国での特許権(知的所有権)制度が、WTOでの国際的な取り決め(TRIPS協定)に左右されるからで、具体的に懸念されているのは、ワクチンの特許権の保護によって、ワクチン価格が高止まりして、低中所得国でのワクチン接種が進まなくなることでした、新型コロナは世界に拡大した感染症(パンデミック)であり、一部の裕福な国家の国民だけがワクチン接種を受けても、根本的な解決にはなりませんから。
世界のどこかに、新型コロナウイルスの流行地域が残っていれば、そこで突然変異を起こして、再び世界に拡大しパンデミックになるリスクがある、つまり新型コロナの制圧にワクチン接種が重要だというならば、高所得国だけでなく低中所得国も含めて、グローバルにワクチン接種をすすめることは必須となります。
では、ワクチン価格に特許はどの程度関係しているのでしょうか?ワクチン価格と知的所有権について言えば、ワクチンの特許権というのは、「そのワクチンを発明した企業だけが期間を区切って独占的に製造販売を行う権利」を意味しています、つまり特許が有効な期間内ならば、他の企業はそのワクチンを製造が禁止されるないしは、契約して特許料を支払って製造販売することになる、そして独占的に製造販売できる以上、特許権を持つ製薬企業は、買い手が支払い可能な限りどんな高い価格でもつけることはできるということです。
モデルナ社を例にとってみましょう、2021年の新型コロナのワクチンの売上高は180億ドル(1ドル135円だと2兆4000億円)で、税引き前利益で130億ドル(1兆7000億円)なので、利幅約7割になる(ちなみにファイザーのワクチンの売上高は370億ドル(5兆円))で、モデルナのワクチンの場合、契約時の条件にもよるが、ワクチン自体の市場価格は1回の接種で19~37ドル、平均すれば3000円くらいとなっているようです。
ですが、国際NGOであるパブリック・シチズンの試算では、原価は1.18~2.25ドル(160~380円)と推定されています、ちなみにアストラゼネカ社のワクチンの場合は、開発の中心となったオックスフォード大学との取り決めで、パンデミック期間中は利益を上乗せしないことになっており、市場価格は3ドル(400円)とされます。
この数字を見ても、おそらく新型コロナのワクチンの原価についての、先ほどの試算は正しいとわかります、日本には「薬九層倍」(薬の売値は原価に対して極端に高く、時には9倍にもなる)ということわざがありますが、まさにその通りといってもよいでしょう。
しかもモデルナのワクチンの基礎技術は、主に米国での公的資金による研究がもとなので、研究開発は自己資金ではなく、税金で賄われていることになる、さらにその実用化については、低中所得国でも利用可能な、安価なワクチン提供を目的とする官民連携ファンド(感染症対策連合CEPI)の支援を受けています。
貿易問題としてのワクチンとして、新型コロナのパンデミックを受けて、2020年10月に、インドと南アフリカは、新型コロナのワクチンの特許権を一時的に放棄することを提案ししました、ワクチンを製造販売する企業と米国やEUは、その提案に猛反対したため、WTOでの協議が続いていました(後に米国は態度を少し軟化させた)。
ワクチンの特許権保護を、厳格に行うべきとの欧米の主張の背景には、製薬企業による政府へのロビー活動があると考えられています、一方でインドと南アフリカの提案も人道的理由だけではありません、欧米に比べて新薬の研究開発では後れを取っているものの、既存の医薬品(ジェネリック医薬品)の大量生産と輸出に秀でた国内製薬産業を有しているという背景がありますから。
20世紀末に生じたエイズのパンデミックの際にも、エイズ治療薬の価格をめぐって同様の対立がありました、そのときは2001年にカタールのドーハで行われたWTO閣僚会議で、公衆衛生に関わる緊急事態では加盟国は特許の強制実施権を有する、つまり国際条約であるWTO協定を国内では一時棚上げにできることが確認されたのです(ドーハ宣言)。
その結果、インドなどでの大量生産が可能となって、市場での競争の結果、エイズ治療薬の価格は数十分の一となった、こうして1日1ドル程度でのエイズ治療が可能となったことで、世界で多くの命が救われたことはいうまでもありません。
グローバルな正義という視点では、新型コロナのワクチンの製造には、遺伝子操作などの高度なバイオテクノロジーを用いることが必要です、そのためワクチンそのものの分子式や製法の特許が公開されただけで、簡単に安全な製品が作れるようになるとは限りません、ですから、特許権を免除してもワクチン供給量の拡大にはつながらないため、その必要はないとワクチン製薬企業側は主張しています。
その一方で、ワクチン特許の独占に批判的な側は、だからこそワクチンの製造プロセスの特許権だけではなく、製造ノウハウや臨床試験のデータなどの関連技術の特許権(知的所有権)の放棄も必要だと主張しています、そうすることで初めてワクチンの供給が拡大し、市場での実質的な競争が可能となり、ワクチン価格が適正なレベルまで低下するという見立です。
さらには、パンデミックというグローバルな緊急事態であることを考えれば、ワクチンだけではなく、新型コロナの検査技術や治療薬に関しても、人道的な観点から、一時的な特許権の放棄が必要だとの声もあり、ワクチンや医薬品のような生活必需品については、市場経済や企業収益や貿易という観点ではなく、人間の生命と尊厳という価値を第一に置くことも必要となるでしょう。
それだけではなく、特許権の過剰な保護は、市場経済を歪め、競争を阻害するという有害作用があって、そもそも特許権は優れた技術が、将来的には誰でも使えるようになることを前提とした上で、一時的に期間を区切って発明者に独占価格という、経済的インセンティブを与えるものだったはずです、そう考えれば、競争を通じて優れた安価なワクチンが出回るようになるのが健全な市場経済の本来の姿ともいえます。
また特許権による独占は、本来の意味の「権利」ではなく一時的な特権に過ぎず、その原則を例外的に棚上げしているだけだったはずです、特許権による経済的インセンティブと、独占販売による不当な利益の境目はどこにあるのか、それを決めるのは誰か、どんな手続きで決めるのが好ましいのか。
グローバルな観点に立つと同時に、個々の人間の生命の価値を重視しつつ、改めて特許権のあり方を見直すことが求められている、と言えるのではないでしょうか、ただ現状は明るみにはされないでしょうが、特定メーカーの優先権限と安定供給化が、多くの利権を生んでいるように思えてなりませんが、次回は日本の感染症監視組織がCDCを意識する前に、すべきことについて書きます。