くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

日本人の行方 どこから来てどこへいくのか?

筆者のアイデンティティである日本人という自覚ゆえに、何度も日本人とは何ぞやとか、日本人は世界の中でどうあるべきか、とかを過去に何度も何度も問いただしてきました、多くの日本人にも同様の疑問や自説をお持ちでしょう、その中で考えてきたあくまで持論ですが、その片鱗を今回書きたいと思っています、確たる証拠は無いですが気楽に読んでいただけると幸いです。

人類の定義としては、日本人という人種が存在している証拠は見つかっていません、多くの認識は日本国内に生まれ育った”日本国籍を取得した人”が、日本人と呼ばれているに過ぎませんが、記録に残る範囲えば江戸時代ごろには、すでに日本人を特異な者として扱う学者も居たようで、特異といってもネガティブではなくポジティブな解釈出の話です。

 

いわゆるナチスドイツの掲げた優勢種というか、アーリア人が人類で最も優れている的な、自己満足的な独創論に近いのかもしれませんが、こうした人種の優位性を政治にも利用したのが、第二次世界大戦中の軍部だったのは良く知られています、いわゆる天皇の子として存在する日本が、戦争に負けるわけがないというロジックを、プロパガンダとして当時のあらゆる方法で国内に広めた自己的偏見が、戦後の一定の人にも伝わり残っていると言われます。

しかし、実際の歴史がしめすものは、江戸時代でも伴天連に影響を受けた人や、明治維新が日本独自の文明改革だと信じて疑わない人だとか、第二次世界大戦以降にGHQによって日本らしさの多くを削がれたことなど、多くの日本人疑いこともなくアメリカやイギリスの制度を取り入れてきました、しかしあながち日本人は明治以降西洋に取り込まれて行ったにもかかわらず、他の植民国とは違って吸収したことを短期間で応用し、産業・経済的に本家に追いつき追い越していくのです。

 

その点で、日本人は昔から西洋の人達よりも、頭が柔軟で手先が器用な人が多かったようですね、江戸時代の識字率寺子屋制度によって、世界のどの西洋国よりも高かったのは有名ですが、あまり公にされませんが江戸期の治水事業や災害復興能力は、ダントツであったのも事実です、数え上げたらきりがありませんが、日本人の中でいまでも優れていると確信している人は多いと思いますし、筆者もそれは間違っていないと考えます。

しかし、その優秀さを日本人より早く気付き、研究してきた国があります、それはアメリカ合衆国です、既にアメリカとの付き合いは江戸時代に遡りますが、ペリーが黒船出来航した時に、彼らの最大の身\国的であった金の搾取を進めるために、江戸幕府と交渉するのですが、金の純度を誤魔化して換金しようと画策した際に、見事に見抜かれていました。

 

恐らくですが、その頃以来から日本の研究は本格的になり、当時最大であったアジア大国の清(中国)がイギリス商社によって、阿片漬けされていたことに比べ、日本は英米とも簡単に占領できそうにないと、計算していたようです、そして第二次世界大戦を起こした理由に、優秀な日本を世界の敵に貶めるために、日本がアメリカに反抗するように仕向けた真珠湾攻撃が起き、今のロシアのように国際的に殲滅を正当化させたうえで、日本を叩き潰しにかかったわけです。

日本政府は双方のルールを国際的にあくまでも重んじるスタンスで、彼らの変化球には対応できなかった結果、誘いこまれるように勝てない戦争に引き込まれました、この点ずるがしこさではアメリカに勝てなかったと言えます、そのまま日本は敗戦に追い込まれ、当時禁忌であったはずの原爆を2発も落とす言い訳を、世界に認めさせる形になった結果、日本は国際的に丸裸にされたわけです。

 

それでも日本は、当時GHQが国体の要である天皇を現人神として容認した結果、国民は奴隷化されることなく、実質上アメリカの手足として動く半独立国として、再出発できたのですが、日本人はそのチャンスを最大限に活かし、高度経済成長を遂げた挙句親分のアメリカ経済を抜いて、一時世界最大の経済大国にのまで上り詰めます、もちろんその後は西洋列強がそんな事は認めないので、バブル崩壊と大蔵省を操作して、日本円の対米ドルレートの大差を突けてしまいます。

その後の日本は二度と経済成長でアメリカを抜くことができないように、デフレ化・緊縮財政がはじまり、現在まで慢性的デフレ状態を継続しています、近年の物価上昇で世界が高インフレ化する中でさえ、日本は黙っていてもインフレ化できなくなってしまっています、財務相はインフレを悪のようにののしりますが、アメリカ経済を見て居ればお分かりの通り、5%まで向かうインフレはむしろ経済政策には歓迎すべき事なのです、しかし財務相アメリカ(厳密に言えばアメリカの国を支える巨大資本層)のキツイ圧力で、がんじがらめにされています、というかアメリカ第一主義の経済思想を、植え付けられた日本人によって、監視されているという情けない状態です。

 

さて経済は完全にアメリカによってコントロールされている昨今、日本企業がどれだけ優秀であっても、彼らを超えることは決して許されません、彼らは狡猾であざとい連中ですから、事あるごとに日本を蹴落としに掛かるわけです、そんなアメリカを無造作に信奉するように、戦後の私たちはメディアコントロールされきたおかげで、すっかりその状態が”普通”になってしまったわけです。

さらにけなげな日本人は、与えられた範疇で裕福さや成功を得ようと、彼らの誘うがままに自己資金を使わされています、もっともポピュラーなのはマクドナルドの商品が何であんなに人気なのか?そこで働いたことがある人は知っています、その真の価値の低さに…それを大っぴらに言っても、声が届かないようにできているのです。

 

さて、この様な話は上げたらきりがありませんが、ここからはファンタジーな話になってきますが、日本人はこの先どうなっていくのか?あくまで筆者の妄想として読んでいただきたいのですが、このままいけば日本人は殆ど居なくさせられると思っています、ただ優秀な才能を持っている人、手先の器用な人など日本人の優良特性をもっている人は、何らかの形で残されるかもしれませんが、特段何のとりえもない日本人は、あらゆるほうほうで淘汰させられるかもしれません。

そういう筆者もその一人かもしれませんが、勢力に対して口やかましい者は特にその対象にされるかもしれませんが、程々にしておいても無能者の行きつく先はあかるい話にはならないでしょう、陰謀論者が事あるごとに言う、支配者層にとってどうも日本人は嫌われているようです、理由はハッキリわかりませんが、一説には東洋人という時点で人では在らず、宇宙人のように忌み嫌われているのかもしれません。

 

はたまた、彼らが望む以上に日本人が優秀過ぎるのが金に要らないのかもしれません、日本が継投する天皇家の血筋も、歴史上では世界最古であり、その点も不都合なのかもしれません、宗教的にも八百万の神という多神教な点も、日本人が思っている以上に神経に触っているのかもしれません、とにかく彼らは彼ら以上に優秀な人間は認めたくないようです、特に第二次世界大戦中に日本国民が見せた、あの集中力と結集力は相当彼らを恐怖させたようです、それ以来過剰に日本人であるだけでサル扱いされるようになりました。

そして、その一方で着々とその精神性と素養を消し去るべく、様々な洗脳を日本人に施してきました、その効果は絶大で日本だけが世界の常識から外れていても、日本人の多くが気付かないようにまで変わってしまったのです、日本人はこのまま精神的ロボトミー化を受け容れてしまうのでしょうか、本当にそうなれば日本人が歴史そのものからも消し去られる日もそう遠くは無いでしょう、その仕掛けは既に進行しているかもしれません。

WEF世界経済フォーラムに集う者たちの関心事

世界の主要な銀行家や政治家が毎年世界経済フォーラムのためにダボスに集まっています、今年も少し遅れましたが開催され、日本からも岸田総理や鈴木財務相、黒田日銀総裁らが参席しています、この集会に毎年何のために世界のブレーンが集まって来るのか、一般的には世界経済の流動性と整合性を撮るための、約束事の取り決めや確認がされていると言われますが、もちろん非公開や各参加者同士での、独自の交渉やロビーイングを目的とする者も多くいます、その中で大きな話題はCBDC中央銀行デジタル通貨の使用についてや、ブロックチェーン技術への関心は相当あるでしょう。

中央銀行デジタル通貨のためのフレームワークをどう進めるか、「政府が推進するブロックチェーン技術の一番のユースケースは、データ共有」第50回での会合の際に、スタートアップ企業Guangzhishu TechnologyのCEO、チャン・ジャーチェン(Zhang Jiachen)氏はWEFの会場でそう語った。またジャーチェン氏は、同社は複数の中国の政府機関と仕事をしていると述べた。

 

参加者の中には、世界でも先行する中国人民銀行のCBDC(中央銀行デジタル通貨)開発を大きな期待とともに見守っている人もいて、MIT(マサチューセッツ工科大学)のデジタル通貨イニシアチブ(Digital Currency Initiative)のディレクター、ネハ・ナルラ(Neha Narula)氏は2020年、多くの中央銀行がデジタル資産の実験を行うことは「必然」と語っています、これに関連してWEF(世界経済フォーラム)は1月22日(現地時間)、そうしたプロジェクトが必要に応じて、国際標準にアクセスするためのフレームワークとして「Central Bank Digital Currency Policy-Maker Toolkit」を発表しました。

「タイ銀行はプロジェクト・インサノン(Project Inthanon)と名付けた大規模なCBDCプロジェクトで大きな前進を遂げている」とタイ銀行のウィーラタイ・サンティプラポップ(Veerathai Santiprabhob)総裁はプレスリリースで「我々の経験から言うと、ユースケースがもたらすメリットと関連するリスクの間のトレードオフをさまざまな次元で見極める必要がある」と述べています。

 

一方、ジャーチェン氏は中国の技術者はフェイスブックFacebook)のリブラ(Libra)プロジェクトやイーサリアムからインスピレーションを受けていると語った。だが同氏はどのような取り組みがイーサリアムから、インスピレーションを受けているかについては具体的なコメントは避けたようです、それだけ高度な情報が飛び交っていますから。

中国人民銀行が参加している地域的なデジタル通貨の利用を望む国々のコンソーシアムに我々は参加できるだろうか? それが現実的な選択肢となるかどうかについては、戦略的に考えるべきことが数多くある」とジャーチェン氏はインタビューで語っています。

 

CBDC開発の動きで、各国でのさまざまな取り組みは、ダボスに集まった専門家の多くが、ブロックチェーン技術は、独自デジタル通貨ではなく、より多くのデータ収集に利用すべきという点で一致しているようです、例えばニジェール大統領の技術顧問のイブラヒマ・グインバ-サイドウ(Ibrahima Guimba-Saidou)氏は、新興国にとっては横領や他の金融犯罪を防ぐためにデジタル・レポーティング・システムを利用することはきわめて重要になると述べています。

「私の目標は2028年までにペーパーレス政府を実現すること」と、同氏はWEFの会場で述べており、「指導者や政府の役人は、どのようにして気付かれずにお金を持ち出しているのか? 仮想通貨が防止策となる、ブロックチェーンを使えば、お金がどこにあるかわかる」と。

 

中国同様、ニジェールも地域トークンというアイデアに興味を持っているとグインバ-サイドウ氏は述べています、ビットコインがアフリカの国々で使われるかどうかを見極めることは時期尚早だろうとグインバ-サイドウ氏は続けた。だが、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS:Economic Community of West African States)加盟の15カ国は、ユーロのようなアフリカ共通通貨の発行を議論していると言っています。

WEFの金融システムの責任者、マシュー・ブレイク(Matthew Blake)氏は、ユーロは共同での通貨発行はかなり困難であることを示したが、アフリカでのデジタル地域通貨はきわめて理にかなっていると述べ、ビットコインの進化を見守ることに興味を示しつつも、ブレイク氏は国家がビットコインを使用したり、企業がビットコインを大規模に使うようになることについては懐疑的でした。

 

アゼルバイジャン共和国のミカイル・ジャバロフ(Mikail Jabbarov)国税大臣も同様に、国家が分散型通貨の使用を許可することは想像し難いとCoinDeskに語り、完全な禁止を示唆したわけではないが、ジャバロフ大臣は主にビットコインの所有に関する顧客確認(KYC)情報の収集について懸念を示し、大臣は投機や違法行為以外のユースケースにおける、ビットコインの可能性について否定的だったと言います。

少なくともグインバ-サイドウ氏の場合、焦点は国民ではなく、役人の金融取引を監視することにあると述べ、同様の観点から民間の金融記録や、より広範な監視記録へのアクセスを保護するために、中国人民銀行は先日データへのアクセスを許可する、ブロックチェーンベースのシステムの特許を申請しています。

 

「我々は公開鍵インフラを導入する予定」とニジェールのグインバ-サイドウ氏は述べ「そうすることで透明性とトレーサビリティー、そこから生じる説明責任を確立できると考えている、それらはすべて独立した複数の組織が行わなければならない。でなければ1つの組織が情報を手に入れ、書き換える可能性がある」と、公平性の担保を重要視しています。

また、プライバシーの問題においても実質的に「秘密の銀行口座」を可能にしてしまう、ビットコイン・ウォレットをめぐる懸念は広がっていると、ウクライナの反汚職アクションセンター(Anti-Corruption Action Center)の共同創業者、ダリア・カレニウク(Daria Kaleniuk)氏は語っており、カレニウク氏はビットコインマイニング事業も行っている国営の原子力発電所を持つ国家は、ロシアにとどまらないと語っていて、この傾向はウクライナモルドバにも広がっており、ウクライナの新興財閥は国内のビットコイン市場で、支配的な役割を握っている「ビットコインについて力説する政治家がいると、我々はその人物を『ハイリスク』と見なす。ビットコインプロパガンダキャンペーンに利用できる」と同氏は述べた。

 

中央銀行のプロジェクトの中には、単なるIDチェックにとどまらないものもあります、中国では民間が提供する金融サービスを形成するために、医療データから通信記録まであらゆることに政府のデータを利用する取り組みがすでに行われていて「政府は多くのデータを保有している」とジャーチェン氏は言っていて、さらに「政府は民間セクターがデータを利用できるようにしたいと考えているが、データの所有権は渡したくない。そこで我々は政府のデータ共有構想をサポートしている」とも。

ほとんどの生データは、ブロックチェーンに記録されていないとジャーチェン氏は述べた、その代わりブロックチェーン技術は、元ソースを共有することなく、記録が元ソースで検証あるいは、計算されたことを証明するために使用されている、ジャーチェン氏はそうしたデータをリクエストしたり、アクセスできる人を規制する、厳格な方針が作られることを望んでいると語り、MITのネルラ氏もこの懸念に同意し「プライバシーは中心的な関心事であり、APIアプリケーションプログラミングインタフェース)を念頭に実装されることを望んでいる」と言っています。

 

世界経済フォーラム2020(#WEF2020)の最初のセッション。@jerallaireは、ステーブルコインは「コミュニケーションやデータの共有と同じくらい簡単に他の人と決済」することを可能にすると述べ、国家仮想通貨の実現は大きな変革をもたらし、金融包摂にとって「真のディスラプション(創造的破壊)」となると付け加えた。

悲惨な結末を避ける努力についても、匿名で応じたさまざまな国の個人投資家でさえも、中央銀行の実験に興味を示したが、自身が保有する資産には慎重な姿勢を見せ、ダボスの場でデジタル資産について楽観的な見方をしている人たちは、ガバナンスへの依存を減らすためではなく、ガバナンスを改善するための方法として捉えているようです。

 

「金融フロー全体を追跡することが容易になり、より良い金融政策を作ることができる。ブロックチェーン・ベースのシステムのおかげで、より良いフィードバックループを持つことができる」とジャーチェン氏は、デジタル人民元以外の数多くのブロックチェーンはデジタル人民元に似ているものの、国境を超えた取引をターゲットにしていると同氏は述べた。

一方、エコノミストイーサリアム・コミュニティーの大物であるグレン・ウェイル(Glen Weyl)氏は、新興経済国の政治家との会議に忙しい、ウェイル氏は中国の共産主義的アプローチは好きではないが、中国の共同体的・市民的な精神が、伝統的資産を超えた価値システムを、切り開くために活用されることを期待していると語った。

 

「最終的にはお金を減らし、より社会的文脈を持った価値形態にする必要がある。中国には社会的な信用が存在し、ある意味では(お金の)社会的側面にはるかに調和している」とウェイル氏は述べ、悲惨な結末を避けるために、ウェイル氏は世界銀行(World Bank)などの組織と共同で、データ・フリーダム・アクト(Data Freedom Act)の作成に取り組んでいるとも付け加えた。

これはデータの収集者にデータを保護し、同意なしにデータを濫用しないための「受託者責任と民主的責任」を持つことを求めている、また問題の状況に対処するために、市民に一個人としてよりも大きな力を与えるために「団体交渉」の枠組みを提供することを基盤としているとウェイル氏は言い、CBDCの実験についてより広範に語りつつ、WEFの実行委員会のメンバーを務めるブレイク氏は、WEFはCBDCに「関与」し、「積極的に活動」したいと考えていると締めくくっています。

世界は国境で分割されていない、血脈と国境の奥深さ

ウクライナに対してロシアが起こした国内への攻撃を、誰がここまで長引くと思ったでしょうか、当人のロシアやウクライナや同門ベラルーシは、どう考えたでしょう、この3国は元々から宗教・言語・歴史からしてロシアと同じ人種と言っても良い地域でした、範囲で言えばわずか70km四方の範囲で見れば、国境を除けば同族だった人たちが、戦争をする羽目になったのは、どのような顛末だったのでしょうか

細かい違いを除けば、ロシア語を使いルーツが共通、その一部だったウクライナはロシアが社会主義勢力に取り込まれたソ連時代には統合され、同じ歴史を歩んでいました、ソ連崩壊後ロシアと分裂後は、一国家として国境をもったものの、歴史上ではロシア帝国 オスマン帝国 トルコ帝国3つの影響下のある地域を国としました

 

その周囲の地域には西には欧州共同体、東にトルコロシアが在ったお陰で、第二次世界大戦以降早期からNATOの安全保障上の、きな臭い東西の紛争に巻き込まれていきます

その東西紛争を仕掛けたのは、米ソ冷戦時代から自由主義大勢を維持するための防衛ラインを、アメリカによって経済政治そして民族を分断化されてきました、ウクライナ現政権大統領ゼレンスキーは、西アジアを分断する要にできたウクライナを裏から統治するのに格好の人材でした。

そのゼレンスキーが東西その刺客として、先に開かれた世界経済フォーラムで、声高にロシア経済制裁を訴える姿は、彼らの事情を知らない私たちの心を打つのに十分な演技力でした

一国の平和を身を呈して守ろうと、あちこちで演説する彼の姿は、時代や立場が異なれどかつてのアドルフヒトラーのそれそのもです、違うとすればアメリカを含む連合国側の扱い方が、敵か味方かの違いでしかないことにお気づきでしょうか。

 

ロシアは世界に構築されたヤクザ勢力から自分の国を独立維持させたかっただけなのかもしれません、しかしプーチンのやり方は明らかに、敵を増やすやり方でしか無かったのが、悲劇の始まりだったと、多くの人は見ている以上、彼の主張が歴史的にまた民族的に正当性を持っていたとしても、それを認める人は居ないという状況に追い込まれてしまいました。

戦争を始めた当初は、まだ幾つかの識者がロシアの正当性と西洋側の狡猾な情報統制に憤る者もいましたが、半年も長引くと多くの人は疲れ果て、泥沼化して筋道などどうでも良く、ただただ今の立場を互いに正当化し合う状態に陥っています。

 

この状態を快く思えるのはどの国でしょうか、アメリカと中国ということになります、両国は互いに国内のエネルギー備蓄が間に合っており、持久戦に持ち込めば生き残れるからです、その両国で今度は消耗戦に入ろうとしています、そうアメリカは台湾問題を持ち出し、エネルギー供給で太平洋側からの供給を絶ち、産業的には台湾の精密機会産業の優位性を削ごうとし始めました。

日本はロシアと中国そのどちらの仮想敵に対しても、挟まれ持久力最低の国としては、最悪の立場に置かれ始めています、岸田政権はこのタイミングで組閣をし直しています、これは米下院議長ペロシ氏が訪日の際、中国が台湾侵攻を始めると脅されたからだと見ていましたが、その割には岸田総理の新組閣がまったりしすぎて居ないかと、多くの人が匙を投げている向きもあります。

 

安倍元総理が暗殺されたもっとも合理的な理由は、日本の政治は”血脈”で動いていないからという節があります、逆に言えばアメリカの大統領の継投は、血脈で繋がっているということであり、そうでない日本の政治は天皇制とは違って、軽んじられている傾向が強いということです、同じ日本でも天皇は最も古くから継承される王家として、今でも西洋王族や他の血脈からは一目置かれています。

第二次世界大戦で日本が負けても国民が奴隷化されなかったのは、その恩恵が大きかったと言えるでしょう、歴代の米大統領にはれっきとした血のつながりがあり、例外は数名だと言いますしその例外は、まともな実績を残せていません、この話をしても一般の国民や市民には何の得も損もないかのようですが、血脈によって世界の流れは決められてきたとなれば、あながち無関係でも無さそうです。

 

話が反れましたが、世界は地図上では国境で国や州や県として分けられていますが、政治経済文化歴史においては、今在る”境”を基準にしては物事は考えられない、と誰もが知っておくべきでしょう、タイムリーな所ではロシアウクライナ戦争や、中国台湾、イランイラクなど中東や、東南アジアで続く諍いがなぜ理解できないのか、国境を基準に考えている限り永久に理解できないということです。

欧州は陸続きのため、血脈と国境が何度も再編成されてきた歴史を持っています、その欧州から資本の自由を勝ち取るために大西洋を越えて作られたアメリカ合衆国、しかしながらここでも結局は連綿と繋がる歴代米大統領の血脈と系統、結局ロシアも社会主義という新しい思想を受け容れながらも、同族をモスクワに集えと強制しています、中国は民族そのものが全く異なるのに、北京を核に半共和国とさせられている。

 

そもそもアメリカは州単位で権限を約束されて独立採算性をとれる国ではあっても、アメリカ以外の国は県境・州境で独立できていないことが殆どです、日本は廃藩置県で再編成された結果、江戸幕府に対する年貢は無くなったが、日本の文化や血脈などの日本らしさは分断され、西洋化というヒエラルキーを受け容れてしまった結果、日本独自の優れた政治経済民生の制度が、それより劣っていた西洋方式に取って代わってしまったわけです。

稀に例外的に離れた地域同士でも諍いをおこしたり、逆に深いつながりができる事が、歴史の経過上起きることがあるので、なんとなく理解できている場合もありますが、旧約聖書的に言えば、かつて一か所から分かれていった結果、今の他民族多言語が存在しているなら、またひとつになることができると考えがちですが、本来一つで済ませられれば、ここまで複雑に分かれる必用は無かった筈です、”血を分かつ”ということは、それだけ背に腹を変えられない大きな事件が起きてそうなった、その仕組みを理解するのは困難ですが、避けて通れない現実です。

国民の多くが誤解している、日本農薬基準の甘さ

アメリカそして世界にとって、CDCの役割は多岐にわたりますが、前回の感染医療への関わりの他に、農業にも関わっていることもわかりました、その関わりとは農薬の人体への影響です、米国の尿サンプルの 80% にグリホサートが含まれているというCDCの調査について、2022年7月14日 ベル・カーターによれば、CDC米疾病管理予防センターによる調査 では、米国の子供と大人の尿サンプルの80%に、除草剤グリホサートが含まれていることが判りました。

公衆衛生局は、6歳以上のアメリカ人から採取された、2,310の尿サンプルの内1,885でグリホサートが検出されたと述べた、国民健康栄養調査 (NHANES) でこの衝撃的な発見を明らかにしました、6月30日のNHANESレポートは、尿サンプル中のグリホサートの量が検出可能なレベルであり、人々の体全体への化学物質の、浸透の程度を反映していると付け加えています。

 

ワシントン大学のリアン・シェパード教授は、「私たちのほとんどが尿中にグリホサートを持っているという認識は、多くの人々を不安にさせるだろう. 「しかし、このNHANES分析から、人口の大部分が尿中にそれを持っていることがわかったので、多くの人々はそれがそれらを含むかどうかについて考えているでしょう」

ボストン カレッジのグローバル パブリック ヘルスおよびコモン グッド プログラムのディレクターである Phil Landrigan 氏は「あらゆる年齢の人々がNHANESの調査結果に関心を持つべきだ」と述べ、「私は特に子供たちを心配しています」とコメントし、彼らは大人よりも多くの水を飲み、より多くの食べ物を食べ、より多くの空気を呼吸するため、農薬にさらされている、彼はさらに子供たちには、がんなどの潜伏期間の長い病気の影響を、受ける可能性のある将来の人生が、まだ何年もあると警告しました。

 

尿中のグリホサートの存在が持ち出されたのはこれが初めてではありません、カリフォルニア大学サンディエゴ校の2017年の研究では、1994年に除草剤に耐性のある「ラウンドアップ対応」遺伝子組み換え作物が導入されて以来、ラウンドアップの使用が約15倍に増加したことが指摘されています、人間の尿中のグリホサートの有病率は約 500% に達しました、少なくとも 23 年間にわたってテストされた南カリフォルニアのコミュニティの 100 人についてです。

当時のプレス リリースで、主任研究員のポール J ミルズ博士は次のように述べています。(関連:グリホサート検査が利用可能になりました! 人間の血液、尿、母乳で検出されたグリホサート – 汚染されていますか? )

 

6月30日のNHANESレポートによると、モンサント社が1974年にラウンドアップというブランド名で、グリホサートを最初に導入して以来、グリホサートの使用は200倍に爆発的に増加しています、グリホサートは広葉樹の雑草や草を制御するために広く使用されていますが、多くの対象となっています、がん特に非ホジキンリンパ腫を引き起こす可能性があるため、研究や訴訟を起こしています。

裁判所は EPA にグリホサートの環境、人間の健康への影響を再検討するよう要求する、6 月、第 9 回米国巡回控訴裁判所は、グリホサートが人間、野生生物、または環境に潜在的に有害であるかどうかを、再評価するよう環境保護庁 (EPA) に命じました。連邦控訴裁判所は、2020年1月にグリホサートを再認可した際、当局がグリホサートの潜在的な危険性を、十分に評価していなかったという3対0の判決を下しました。

 

一方バイエルは、準備された声明の中で、EPA の以前の決定を支持すると述べたドイツの化学会社は、2016 年にモンサントを660億ドルで買収し、2018 年に取引が成立しました「EPAや他の規制当局が40年以上にわたって一貫して結論付けてきたように、EPA はグリホサートベースの除草剤は安全に使用でき、発がん性はないと結論付け続けると信じています」と同社は述べています。

「グリホサートベースの除草剤は、その種の製品の中で最も徹底的に研究されている製品の1つであり、世界中の農家が効果的な雑草防除だけでなく、耕作農業の慣行を最小限に抑え、温室効果ガスの排出を削減するためにも、これらの製品に依存し続けている主な理由です 、生息地のためにより多くの土地を保護し、世界中で増加する人口のニーズを満たすのに十分な食料を提供します。」

 

最終的に、この顛末ではモンサントが他企業に買収されたことで、解決に導かれたかのようなことになっていますが、グリホサートそのものの薬害効果や安全性は、担保されたかどうかは曖昧にされているように見えます、最近日本でも仕切りにラウンドアップのCMを見かけるようになりましたが、日本の農薬検査期間にあたる農林水産省は、この農薬を認可したことを意味します。

問題はタイミングです、誤解している人が多いようですが、アメリカをはじめ世界では、日本より農薬の安全基準は厳しく、このような訴訟問題は茶飯事ですが、日本で近年30年ほどでこのような農薬訴訟の話を聞いたことがありません、海外で売れなくなったラウンドアップを、日本で裁こうとする利権が存在するとすれば、戦後実際にあった有り余る粗悪な小麦を、日本に強制輸入させたGHQと日本政府の関係がここでも起きているのではないか、最近は陰謀論社だけでなく当事者の農業関係者からも不審の声が上がっているように、この農薬基準の話は根が深そうです。

最後に、「日本版CDC」創設より、日本医療界がすべきこと

政府は常に感染症対策を監視し強化するため、内閣感染症危機管理庁と「日本版CDC」の創設を決めたわけですが、本家の米CDCの役割を前に述べ、日本のそれについては過去戦前戦後以来の、膨大な経験値や研究の蓄積があることも書きました、それらを踏まえて今回発表されている範疇で見た場合、果たして日本の感染対策は本家を超えられるのかは、今から注目されるところです。

国立感染症研究所国立国際医療研究センターを統合、感染症の研究と臨床を一体化させるのが日本版CDCであり、1万人以上の職員を抱え60カ国以上に拠点を構える巨大組織となりますが、米国の疾病対策センター(CDC)を見習ったというものの、人員も予算も桁違いで本家の巨大さの足元にも及びません。

岸田政権が創設しようとする日本版CDCは、米国のものとは人員も予算も少ない、一方の危機管理庁は内閣官房に新設され、内閣官房は各省庁間の総合調整にあたり、首相を直接補佐する役所という位置付け、ワクチン確保など厚生労働省にもまたがっていた体制から、指揮命令系統を明確にするのが狙いだと言われます。

つまり官邸主導で、自治体や医療機関を調整するということですが、コロナ禍で難題だったコロナ専用病床への転換が、スムーズになるのかどうか、同時に初期的な対応を日常的に受け入れる地域の診療所や、かかりつけ医がどのように参画するかが気になるところです。

その一つとして、なぜか協定から民間病院が外されていること、病床確保の具体策として、直接都道府県が医療機関と協定を結ぶことにしており、義務付けとなる医療機関は、公立・公的病院と大学病院などの大規模な特定機能病院となっています、ではなぜ民間の普通の病院が外れたのでしょうか、今回のコロナ禍で病床転換に同意したのは、ご存知の通り公立・公的病院が中心であり、民間病院は拒絶するところが多数ありました。

ある調査によると、2021年1月時点で転換を拒んだ病院は、公立で6%、公的で15%なのに対し、民間では45%にも上ったとあります、これはあくまでも200-400病床の中規模病院への調査でしかなく、絶対数が多く住民に身近な存在である、コロナ拒否した民間病院こそ協定の対象にすべきでしょう。

コロナ禍の当初、「コロナ患者は受診しません」と堂々と張り紙を出した診療所もありました、地域医療の役割を放棄したのが中小の医療機関でした、ですが保健所機能がパンクした昨年春に、政府は高齢者施設のコロナ患者を、地域医療チームに委ねることにした「感染者の一律入院」施策からの転換をはじめました。

“地域内で医療・介護を完結させる“という、地域包括ケアの原則がやっと実践されましたが、担い手は訪問診療に熱心な在宅医たちであり、多くの地元医師会の長老たちは苦々しい思いで傍観していたのが実態でした、その上医師会などは会見だけ登壇して、政府に要望だけ突きつける有様でした。

日本の医療環境は、前にも書いたように世界と比べ特異な経緯を持っています、さらに日本の医療機関が持つ急性病床数は世界一多いと言われ約89万床もあるのです、人口1000人当たり7.8床にあたりますが、一方米英国はわずか2.5床、フランスは3.0床で、世界での2倍から3倍規模という、日本は経済協力開発機構OECD)諸国で最多となっています。

その一方で、今年初めて世界一になったものの、トータルで言えばコロナ死亡者は桁違いに少ないです、22年7月14日現在では3万人台でした、かたや英国は18万人台、イタリアは16万人台、フランスは15万人台で、欧州各国の人口は日本の約半分にあたり、人口比でみると日本の12分の1から10分の1という少なさです、もっとも東アジア諸国は、ほぼ日本並みの死者数かそれより少ないと言います。

この地域差の理由解明に、現代の感染・免疫医学は追いついていません、既存のワクチン接種状況や、以前から備わる免疫の違いなど、諸説あっても確定していない現状、自然界や生物社会は奥深く、医学がたどり着けない領域はまだ多い、また最近では遺伝子操作で人工的に加工も可能となっています。

これら数字的に、日本が欧米に比べかなり特異な存在なのは間違いなにしても、死者が少ないことは医療の緊急度が低いことであり、加えて使えるベッド数が多いことからも、本来医療崩壊が起きるわけがないと考えるのが普通です、それなのに重症者を受け入れられなかったり、重度から軽度になっても転院先ベッドが見つからないことも多々起きています。

その原因は、自治体が病床転換できない“医療の壁“にあると言われます、さすがに政府も対策を講じないとは思えませんが、病床転換を狙って昨年1月に感染症法を改正し、都道府県知事に病床転換を促す権限を与えていますが、それでも民間系の医師会は腰が重いようです。

自治体は医療機関に対して、まず「要請」する、断られるとより強い「勧告」に切り替え、それでも応じないと「実名公表」できる。3段階の対応を準備していますが、その実行は医師会の金銭的影響力を越えて、実行できるかどうかは政府の判断です。

昨年4月に奈良県が要請を発動し、その後、大阪府茨城県静岡県、東京都などが続きましたが、どこでも医療機関は応じず、十分なベッド数を確保できませんでした、にもかかわらず勧告に踏み切る自治体は出までんでした。

これは、改正法には「合理的な理由があれば応じなくていい」という抜け道があり、「コロナ拒否」の言い訳に使われてしまっているのです、「看護師が足りない」「建物が小さくてきちんと隔離できない」などが、程のいい「合理的理由」となってしまいました。

加えて、「医療機関と争いたくない」と「本音」を漏らす知事もいたほどです、自治体にとっては現実は、地元医師会や大手医療機関は対等の交渉相手ではないと認めたようなものです、立場の影響力にあぐらをかく医療の壁は高く分厚いと言わざるを得ません。

言い換えれば、医療業界が築き上げてきた強固な「経営観」を崩せないとも言えます、それは日本医師会で会長職を1957年から25年も続けた、武見太郎氏の時代に築かれたと言われます、開業医の利益をなによりも重視した武見会長は、医師が政府を含めた外部からの干渉を受けずに活動する“プロフェッショナル・フリーダム“を掲げて、当時の厚生省と対峙し、“ケンカ太郎“とも言われたり、診療報酬の増額を求めて、全国一斉休診の刃を振るうなど厚労相に公然と歯向かい、医療政策の主導権を握っていたようです。

次第に、地域の開業医を束ねる日本医師会の”権力”は高まり、結果として経営の自由を唱えるほどに裁量権を伸ばしていく…この「権力」を支えたのは開業医の急増だったわけです、また、日本の医療界にない”公”という意識が無いのも大きかった、1961年の国民皆保険制度の創設で急増した、医療ニーズを引き受けたのが民間の開業医でした、個人開業から法人化し、さらに20床以上の病院へと規模を拡大していく医師も現れ、開業の自由が経営の自由の柱として黙認されてきた経緯がありました。

増大した民間の医療機関は、今や全医療機関の大半を占めているといいます、民間の診療所と病院は合わせて約9万で、約11万の全医療機関の82%に達するそうです、公立や公的医療機関が圧倒的に少ないという歪んだ体形が、今の日本医療界の特異な現実なのです。

一方で、欧米ではこの比率が逆転していて、英国では医療はすべて税金で担う国民健康サービス(NHS)を採り”公”の制御下にあって、他の諸国も医療は”公”という意識が強いといいます、よって有事の際には、国や自治体は強い命令を発することが出来ますし、コロナの専用病床への転換もスムーズに進み、日本のような医療危機がほとんど見られなかったのはこの差なのです、こんな事実も日本では報道されていません。

スウェーデンやドイツでは、初期段階で転換策を素早く講じたようです、アメリカでも州知事や市長が緊急命令を出して、専用病床を確保していました、これに反して日本では”経営の自由”を盾に、行政からの要請に応じない医療機関が続出していたのは、記憶に新しいでしょう、さらにはPCR検査やワクチン接種にも経営の自由を、振りかざす法人も出ていたのも、ご記憶の方もいらっしゃるでしょう。

そして、幽霊病床問題も野放し経営が生んだ稚拙な現実でした、コロナ専用の病床確保料金として国から補助金を受け取っていながら、患者を受け入れない悪質な事例が散見されました、感染ピーク時の昨年夏に起きた「コロナ患者を看たくない」という本音を、隠蔽しつつ経営の自由を一方的に主張したのです。

さらに、患者は県をまたいで自由に受診させる、一見便利そうですが原則在り得なかった判断でした、医療側の経営の自由とは実際は、利用者である患者側の自由な受診とは裏腹に傲慢医療組織の独断に過ぎなかったと言え”フリーアクセスとは聞こえが良いですが、国民はどの(開業医を除く)医療機関にも自由に受診できる制度で、これも日本独特と言えます。

高速道路を車で飛ばして、県をまたいで遠くの大病院に受診に来ても構わない…って、アウトレットモールに買い物に行くかのような感覚で医療機関を勝手に探す…その結果、複数の病院への”ドクター ショッピング”や、重複検査・多剤服用という”無駄”の横行を招いたことも問題視すべきでしょう。

医療とは本来、健康な生活を支える社会的サービスであるはず、そして税金と保険料で成り立ち、こう見員と同じ”公僕”に近い立場であり、教育ときわめて同義であるはずですが、医療も”公”意識を取り戻し、国民にもフリーアクセスを放棄する意識転換が必用です、日本医師会は「フリーアクセスが日本医療の金看板」とも主張され、文字通りその考え方と真っ向から向き合うならば、各自治体のエリア内での完結は不可欠なはずですが、医師会は国の新しい病床確保策に対しても、「強制的な仕組みは良くない」と反発している始末、”赤ひげ”のような公僕の医師である意識は、どこに消えたのでしょうか。

最後に、「日本版CDC」創設より、日本医療界がすべきこと

政府は常に感染症対策を監視し強化するため、内閣感染症危機管理庁と「日本版CDC」の創設を決めたわけですが、本家の米CDCの役割を前に述べ、日本のそれについては過去戦前戦後以来の、膨大な経験値や研究の蓄積があることも書きました、それらを踏まえて今回発表されている範疇で見た場合、果たして日本の感染対策は本家を超えられるのかは、今から注目されるところです。

国立感染症研究所国立国際医療研究センターを統合、感染症の研究と臨床を一体化させるのが日本版CDCであり、1万人以上の職員を抱え60カ国以上に拠点を構える巨大組織となりますが、米国の疾病対策センター(CDC)を見習ったというものの、人員も予算も桁違いで本家の巨大さの足元にも及びません。

岸田政権が創設しようとする日本版CDCは、米国のものとは人員も予算も少ない、一方の危機管理庁は内閣官房に新設され、内閣官房は各省庁間の総合調整にあたり、首相を直接補佐する役所という位置付け、ワクチン確保など厚生労働省にもまたがっていた体制から、指揮命令系統を明確にするのが狙いだと言われます。

つまり官邸主導で、自治体や医療機関を調整するということですが、コロナ禍で難題だったコロナ専用病床への転換が、スムーズになるのかどうか、同時に初期的な対応を日常的に受け入れる地域の診療所や、かかりつけ医がどのように参画するかが気になるところです。

その一つとして、なぜか協定から民間病院が外されていること、病床確保の具体策として、直接都道府県が医療機関と協定を結ぶことにしており、義務付けとなる医療機関は、公立・公的病院と大学病院などの大規模な特定機能病院となっています、ではなぜ民間の普通の病院が外れたのでしょうか、今回のコロナ禍で病床転換に同意したのは、ご存知の通り公立・公的病院が中心であり、民間病院は拒絶するところが多数ありました。

ある調査によると、2021年1月時点で転換を拒んだ病院は、公立で6%、公的で15%なのに対し、民間では45%にも上ったとあります、これはあくまでも200-400病床の中規模病院への調査でしかなく、絶対数が多く住民に身近な存在である、コロナ拒否した民間病院こそ協定の対象にすべきでしょう。

コロナ禍の当初、「コロナ患者は受診しません」と堂々と張り紙を出した診療所もありました、地域医療の役割を放棄したのが中小の医療機関でした、ですが保健所機能がパンクした昨年春に、政府は高齢者施設のコロナ患者を、地域医療チームに委ねることにした「感染者の一律入院」施策からの転換をはじめました。

“地域内で医療・介護を完結させる“という、地域包括ケアの原則がやっと実践されましたが、担い手は訪問診療に熱心な在宅医たちであり、多くの地元医師会の長老たちは苦々しい思いで傍観していたのが実態でした、その上医師会などは会見だけ登壇して、政府に要望だけ突きつける有様でした。

日本の医療環境は、前にも書いたように世界と比べ特異な経緯を持っています、さらに日本の医療機関が持つ急性病床数は世界一多いと言われ約89万床もあるのです、人口1000人当たり7.8床にあたりますが、一方米英国はわずか2.5床、フランスは3.0床で、世界での2倍から3倍規模という、日本は経済協力開発機構OECD)諸国で最多となっています。

その一方で、今年初めて世界一になったものの、トータルで言えばコロナ死亡者は桁違いに少ないです、22年7月14日現在では3万人台でした、かたや英国は18万人台、イタリアは16万人台、フランスは15万人台で、欧州各国の人口は日本の約半分にあたり、人口比でみると日本の12分の1から10分の1という少なさです、もっとも東アジア諸国は、ほぼ日本並みの死者数かそれより少ないと言います。

この地域差の理由解明に、現代の感染・免疫医学は追いついていません、既存のワクチン接種状況や、以前から備わる免疫の違いなど、諸説あっても確定していない現状、自然界や生物社会は奥深く、医学がたどり着けない領域はまだ多い、また最近では遺伝子操作で人工的に加工も可能となっています。

これら数字的に、日本が欧米に比べかなり特異な存在なのは間違いなにしても、死者が少ないことは医療の緊急度が低いことであり、加えて使えるベッド数が多いことからも、本来医療崩壊が起きるわけがないと考えるのが普通です、それなのに重症者を受け入れられなかったり、重度から軽度になっても転院先ベッドが見つからないことも多々起きています。

その原因は、自治体が病床転換できない“医療の壁“にあると言われます、さすがに政府も対策を講じないとは思えませんが、病床転換を狙って昨年1月に感染症法を改正し、都道府県知事に病床転換を促す権限を与えていますが、それでも民間系の医師会は腰が重いようです。

自治体は医療機関に対して、まず「要請」する、断られるとより強い「勧告」に切り替え、それでも応じないと「実名公表」できる。3段階の対応を準備していますが、その実行は医師会の金銭的影響力を越えて、実行できるかどうかは政府の判断です。

昨年4月に奈良県が要請を発動し、その後、大阪府茨城県静岡県、東京都などが続きましたが、どこでも医療機関は応じず、十分なベッド数を確保できませんでした、にもかかわらず勧告に踏み切る自治体は出までんでした。

これは、改正法には「合理的な理由があれば応じなくていい」という抜け道があり、「コロナ拒否」の言い訳に使われてしまっているのです、「看護師が足りない」「建物が小さくてきちんと隔離できない」などが、程のいい「合理的理由」となってしまいました。

加えて、「医療機関と争いたくない」と「本音」を漏らす知事もいたほどです、自治体にとっては現実は、地元医師会や大手医療機関は対等の交渉相手ではないと認めたようなものです、立場の影響力にあぐらをかく医療の壁は高く分厚いと言わざるを得ません。

言い換えれば、医療業界が築き上げてきた強固な「経営観」を崩せないとも言えます、それは日本医師会で会長職を1957年から25年も続けた、武見太郎氏の時代に築かれたと言われます、開業医の利益をなによりも重視した武見会長は、医師が政府を含めた外部からの干渉を受けずに活動する“プロフェッショナル・フリーダム“を掲げて、当時の厚生省と対峙し、“ケンカ太郎“とも言われたり、診療報酬の増額を求めて、全国一斉休診の刃を振るうなど厚労相に公然と歯向かい、医療政策の主導権を握っていたようです。

次第に、地域の開業医を束ねる日本医師会の”権力”は高まり、結果として経営の自由を唱えるほどに裁量権を伸ばしていく…この「権力」を支えたのは開業医の急増だったわけです、また、日本の医療界にない”公”という意識が無いのも大きかった、1961年の国民皆保険制度の創設で急増した、医療ニーズを引き受けたのが民間の開業医でした、個人開業から法人化し、さらに20床以上の病院へと規模を拡大していく医師も現れ、開業の自由が経営の自由の柱として黙認されてきた経緯がありました。

増大した民間の医療機関は、今や全医療機関の大半を占めているといいます、民間の診療所と病院は合わせて約9万で、約11万の全医療機関の82%に達するそうです、公立や公的医療機関が圧倒的に少ないという歪んだ体形が、今の日本医療界の特異な現実なのです。

一方で、欧米ではこの比率が逆転していて、英国では医療はすべて税金で担う国民健康サービス(NHS)を採り”公”の制御下にあって、他の諸国も医療は”公”という意識が強いといいます、よって有事の際には、国や自治体は強い命令を発することが出来ますし、コロナの専用病床への転換もスムーズに進み、日本のような医療危機がほとんど見られなかったのはこの差なのです、こんな事実も日本では報道されていません。

スウェーデンやドイツでは、初期段階で転換策を素早く講じたようです、アメリカでも州知事や市長が緊急命令を出して、専用病床を確保していました、これに反して日本では”経営の自由”を盾に、行政からの要請に応じない医療機関が続出していたのは、記憶に新しいでしょう、さらにはPCR検査やワクチン接種にも経営の自由を、振りかざす法人も出ていたのも、ご記憶の方もいらっしゃるでしょう。

そして、幽霊病床問題も野放し経営が生んだ稚拙な現実でした、コロナ専用の病床確保料金として国から補助金を受け取っていながら、患者を受け入れない悪質な事例が散見されました、感染ピーク時の昨年夏に起きた「コロナ患者を看たくない」という本音を、隠蔽しつつ経営の自由を一方的に主張したのです。

さらに、患者は県をまたいで自由に受診させる、一見便利そうですが原則在り得なかった判断でした、医療側の経営の自由とは実際は、利用者である患者側の自由な受診とは裏腹に傲慢医療組織の独断に過ぎなかったと言え”フリーアクセスとは聞こえが良いですが、国民はどの(開業医を除く)医療機関にも自由に受診できる制度で、これも日本独特と言えます。

高速道路を車で飛ばして、県をまたいで遠くの大病院に受診に来ても構わない…って、アウトレットモールに買い物に行くかのような感覚で医療機関を勝手に探す…その結果、複数の病院への”ドクター ショッピング”や、重複検査・多剤服用という”無駄”の横行を招いたことも問題視すべきでしょう。

医療とは本来、健康な生活を支える社会的サービスであるはず、そして税金と保険料で成り立ち、こう見員と同じ”公僕”に近い立場であり、教育ときわめて同義であるはずですが、医療も”公”意識を取り戻し、国民にもフリーアクセスを放棄する意識転換が必用です、日本医師会は「フリーアクセスが日本医療の金看板」とも主張され、文字通りその考え方と真っ向から向き合うならば、各自治体のエリア内での完結は不可欠なはずですが、医師会は国の新しい病床確保策に対しても、「強制的な仕組みは良くない」と反発している始末、”赤ひげ”のような公僕の医師である意識は、どこに消えたのでしょうか。

「日本版CDC」になるには何が足りない? 本家には世界が注目ぅ??

前回のまとめから岸田文雄首相は「日本版CDC」の創設を打ち出しを新たな感染症対策の目玉としたいようで、本家のCDC(米疾病対策センター)は、日本版も科学的な知見に裏付けられた発信ができるのか、その判断を世界が注目するのか、見極めようとするかたわらで本家の東京支店を設置する意向を発表済です。

日本版CDCは、国立感染症研究所国立国際医療研究センター(NCGM)を統合するもので、日本国内の感染専門家組織という位置付けでもあると言います、これまでは臨床現場ない国立感染症研究所と弱みを埋める国際医療研究センターと分業していた、前者は厚生労働省が所管し、感染症の研究を担ってきました。

 

国立感染症研究所は、前身は1947年の国立予防衛生研究所から始まり、終戦直後の劣悪な衛生状態で結核や腸チフス赤痢などの感染症に対応するために生まれた、国内の感染症の状況を把握し、治療に使う医薬品の検査などを担っており、日本戦後の感染史を作ってきた組織で、戦中も日中戦争時の731部隊による研究成果は、アメリカと日本に折半されながら、疫病感染研究の基礎を日米にもたらし、流れを引き継いでいったと言って良い。

近年では、コロナ禍ではウイルスの基礎研究や、感染状況のデータ収集などをしてきたが、実際に感染した患者を調べる、臨床の現場を持ち得ない弱みを補うのが病院機能をもつNCGMで、これで感染研は臨床の現場で実際に患者を診ながら、治療法や対策などの研究を進めらる。

 

前回、NCGM国立国際医療研究センターについてあまり詳しく書いていませんでしたが、少し補足しておくと、前進は戦前の旧国立病院医療センターの前進として1871年から日本の医療の中核として始まり、戦中でもやはり満州で蓄積された医療も含めて、戦後に京大や東大の医療技術へフィードバックされていく、一般の医療施設。病院とは異なった重病奇病難病についての治療研究が、世界のそれとは独立した研究を司てきた…。

これらが確認した現状ですが、8月組閣された申請岸田政権の医療安全保障への対策部門として、感染症を中心にコロナの様な大規模感染症による、社会影響力を総合的に解決する意味で、米国CDCと同様の国内のへの影響力を高める狙いが中心となると思われます。

 

これらを踏まえ、標準的な位置づけの加わった感染症オミクロン株の現状や変異種、国内外の状況はどうなっているのでしょうか、今のところ新型コロナに関しては、米CDCがもっとも中心的な立場のため、その情報が中心とはなりますが、オミクロン株は接種済みのほうが感染しやすい!?という結果が報告されており、厚労省がまとめたコロナ統計の「致命的ミス」と問題化された問題について。

政策決定の根拠が崩壊すような”接種済みなのに「未接種」に”して統計化した問題は、経験や勘で政策を決めるのがこれまでの日本の政治の常識だった、日本の旧態依然の非科学的な仕組みが露呈したと言えます、しかし海外では、“思い込み”ではなく、科学的なデータや統計によって政策を立案する「EBPM」(Evidence-Based Policy Making)が主流になっています、最近では日本政府もこのEBPMに力を注ぎ始めているのですが、今年5月上旬その前提を揺るがす「大事件」が起きていたのはご存知でしょう。

 

厚生労働省が公表した新規陽性者とワクチン接種歴についてのデータに、致命的な誤りが見つかったのです、EBPMは日本語にすれば「証拠に基づく政策立案」となるが、そもそも“証拠”となるデータが間違っていれば、科学的に政策を立案することなど不可能でしょう、いったいどんなミスがあったのか、詳しく見ていきましょう。

厚労省は、10万人あたりの新規陽性者数を「ワクチン接種済み」「未接種」といった区分で、定期的に公表しているのですが、このデータの元になっているのが、新型コロナ患者を”診察した医師”による聞き取り調査でした、医師は新規陽性者を診る時には、「ワクチンを打ちましたか」「いつ接種しましたか」と尋ねる決まりになっているのですが、問題が起きたのは、医師が記入する報告データの「日付欄」、ワクチン接種日がいつだったかを患者が思い出せなかった場合、医師は接種日を「未記入」で厚労省に送信していました。

 

ところが厚労省側は、本来は「接種済み」となる人でも、日付欄が記入されていないと「ワクチン未接種」という扱いで処理していたことが関係者外に知られたことで、問題化しました、厚労省はしれっと非を認め釈明しましたが、一部には水増し疑惑も囁かれる始末です。

前にも書きましたが国産ワクチンの承認遅れ問題が、そろそろ表面化しそうです、原価400円のコロナワクチンが3000円に…?「特許制度」はこのままでいいのかという問題もあります、製薬剤は民間企業が生産している以上、利益はそれなりの単価になり得ますが、これだけ特定メーカーの製薬がでまわるようになると、インセンティブと独占の境目が曖昧になり、販売量が莫大なだけに私益と公益のバランスは問題視されるようになりますが、これまでの日本政府はアメリカ企業への忖度か、この当然の問題に国民の税金が投入されているにも関わらず、避ける傾向に有るようです。

 

グローバルな感染症とワクチンについて、2022年6月にジュネーブで開催された世界貿易機関WTO)の閣僚会議で、新型コロナウイルス感染症のワクチンのことが重要議題として討論されました、WTO閣僚会議は本来は隔年のはずだが、新型コロナの影響で開催できなかったため4年半ぶりの会合だという、WTOと言えば、自由貿易を維持拡大させるために結成された機関だったが、それだけにとどまらず、世界で市場経済を推進する役割を果たしているグローバルな組織として知られています。

最近では、世界の多極化を背景として、各国の経済的思惑がぶつかり合って、議論がまとまらないことも多くなっているし、また高所得国や国境を越えて活動する巨大な多国籍企業トランスナショナル企業)の利益を守ることに偏っているとして、市民社会から批判されることも増えてきています、そのためかつては経済グローバル化の一方的な拡大に、反対する市民運動のデモや抗議活動で、WTO閣僚会議の会場が取り囲まれることもありました、1999年シアトルで行われたWTO閣僚会議に対する抗議デモなどです。

 

そんな世界貿易に関する会議で、ワクチンが議論されている理由は、世界各国での特許権知的所有権)制度が、WTOでの国際的な取り決め(TRIPS協定)に左右されるからで、具体的に懸念されているのは、ワクチンの特許権の保護によって、ワクチン価格が高止まりして、低中所得国でのワクチン接種が進まなくなることでした、新型コロナは世界に拡大した感染症パンデミック)であり、一部の裕福な国家の国民だけがワクチン接種を受けても、根本的な解決にはなりませんから。

 

世界のどこかに、新型コロナウイルスの流行地域が残っていれば、そこで突然変異を起こして、再び世界に拡大しパンデミックになるリスクがある、つまり新型コロナの制圧にワクチン接種が重要だというならば、高所得国だけでなく低中所得国も含めて、グローバルにワクチン接種をすすめることは必須となります。

では、ワクチン価格に特許はどの程度関係しているのでしょうか?ワクチン価格と知的所有権について言えば、ワクチンの特許権というのは、「そのワクチンを発明した企業だけが期間を区切って独占的に製造販売を行う権利」を意味しています、つまり特許が有効な期間内ならば、他の企業はそのワクチンを製造が禁止されるないしは、契約して特許料を支払って製造販売することになる、そして独占的に製造販売できる以上、特許権を持つ製薬企業は、買い手が支払い可能な限りどんな高い価格でもつけることはできるということです。

 

モデルナ社を例にとってみましょう、2021年の新型コロナのワクチンの売上高は180億ドル(1ドル135円だと2兆4000億円)で、税引き前利益で130億ドル(1兆7000億円)なので、利幅約7割になる(ちなみにファイザーのワクチンの売上高は370億ドル(5兆円))で、モデルナのワクチンの場合、契約時の条件にもよるが、ワクチン自体の市場価格は1回の接種で19~37ドル、平均すれば3000円くらいとなっているようです。

ですが、国際NGOであるパブリック・シチズンの試算では、原価は1.18~2.25ドル(160~380円)と推定されています、ちなみにアストラゼネカ社のワクチンの場合は、開発の中心となったオックスフォード大学との取り決めで、パンデミック期間中は利益を上乗せしないことになっており、市場価格は3ドル(400円)とされます。

 

この数字を見ても、おそらく新型コロナのワクチンの原価についての、先ほどの試算は正しいとわかります、日本には「薬九層倍」(薬の売値は原価に対して極端に高く、時には9倍にもなる)ということわざがありますが、まさにその通りといってもよいでしょう。

しかもモデルナのワクチンの基礎技術は、主に米国での公的資金による研究がもとなので、研究開発は自己資金ではなく、税金で賄われていることになる、さらにその実用化については、低中所得国でも利用可能な、安価なワクチン提供を目的とする官民連携ファンド(感染症対策連合CEPI)の支援を受けています。

 

貿易問題としてのワクチンとして、新型コロナのパンデミックを受けて、2020年10月に、インドと南アフリカは、新型コロナのワクチンの特許権を一時的に放棄することを提案ししました、ワクチンを製造販売する企業と米国やEUは、その提案に猛反対したため、WTOでの協議が続いていました(後に米国は態度を少し軟化させた)。

ワクチンの特許権保護を、厳格に行うべきとの欧米の主張の背景には、製薬企業による政府へのロビー活動があると考えられています、一方でインドと南アフリカの提案も人道的理由だけではありません、欧米に比べて新薬の研究開発では後れを取っているものの、既存の医薬品(ジェネリック医薬品)の大量生産と輸出に秀でた国内製薬産業を有しているという背景がありますから。

 

20世紀末に生じたエイズパンデミックの際にも、エイズ治療薬の価格をめぐって同様の対立がありました、そのときは2001年にカタールのドーハで行われたWTO閣僚会議で、公衆衛生に関わる緊急事態では加盟国は特許の強制実施権を有する、つまり国際条約であるWTO協定を国内では一時棚上げにできることが確認されたのです(ドーハ宣言)。

その結果、インドなどでの大量生産が可能となって、市場での競争の結果、エイズ治療薬の価格は数十分の一となった、こうして1日1ドル程度でのエイズ治療が可能となったことで、世界で多くの命が救われたことはいうまでもありません。

 

グローバルな正義という視点では、新型コロナのワクチンの製造には、遺伝子操作などの高度なバイオテクノロジーを用いることが必要です、そのためワクチンそのものの分子式や製法の特許が公開されただけで、簡単に安全な製品が作れるようになるとは限りません、ですから、特許権を免除してもワクチン供給量の拡大にはつながらないため、その必要はないとワクチン製薬企業側は主張しています。

その一方で、ワクチン特許の独占に批判的な側は、だからこそワクチンの製造プロセスの特許権だけではなく、製造ノウハウや臨床試験のデータなどの関連技術の特許権知的所有権)の放棄も必要だと主張しています、そうすることで初めてワクチンの供給が拡大し、市場での実質的な競争が可能となり、ワクチン価格が適正なレベルまで低下するという見立です。

 

さらには、パンデミックというグローバルな緊急事態であることを考えれば、ワクチンだけではなく、新型コロナの検査技術や治療薬に関しても、人道的な観点から、一時的な特許権の放棄が必要だとの声もあり、ワクチンや医薬品のような生活必需品については、市場経済や企業収益や貿易という観点ではなく、人間の生命と尊厳という価値を第一に置くことも必要となるでしょう。

それだけではなく、特許権の過剰な保護は、市場経済を歪め、競争を阻害するという有害作用があって、そもそも特許権は優れた技術が、将来的には誰でも使えるようになることを前提とした上で、一時的に期間を区切って発明者に独占価格という、経済的インセンティブを与えるものだったはずです、そう考えれば、競争を通じて優れた安価なワクチンが出回るようになるのが健全な市場経済の本来の姿ともいえます。

 

また特許権による独占は、本来の意味の「権利」ではなく一時的な特権に過ぎず、その原則を例外的に棚上げしているだけだったはずです、特許権による経済的インセンティブと、独占販売による不当な利益の境目はどこにあるのか、それを決めるのは誰か、どんな手続きで決めるのが好ましいのか。

グローバルな観点に立つと同時に、個々の人間の生命の価値を重視しつつ、改めて特許権のあり方を見直すことが求められている、と言えるのではないでしょうか、ただ現状は明るみにはされないでしょうが、特定メーカーの優先権限と安定供給化が、多くの利権を生んでいるように思えてなりませんが、次回は日本の感染症監視組織がCDCを意識する前に、すべきことについて書きます。