くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

戦後の日本が、今もアメリカと取り交わす驚愕の要望

ウィキペディアWikipedia)など客観性・公共性の高い政府などの公的機関や研究機関のサイトは、情報量が多かったり難解な専門用語や複雑な統計データなどによって、敬遠されたまま、一般のニュースソースだけを根拠に、生活の基礎を作っている方が散見されますが、余程警戒心の強い人でない限り、言うまでもなく暗闇で証明なしで進むのと同じように危険極まり有りません。

世間の常識でうさん臭がられる陰謀論ですが、ウィキペディアで拾っても、一般的に陰謀論として語られる事実は、結構簡単に見つかるものも事実で、私たちはまさかねという先入観で、意外に多くの物事を判断しているのではないでしょうか。

 

これは、普段の生活に精一杯で氾濫する情報に追いまくられる毎日が続いている人が多いため、本能的にいちいち自分でエビデンスを調べるのを避けるのが、習慣になってしまっているせいでしょう、そういった一見陰謀めいた話題で、戦後日本はアメリカに搾取され属国化している圏で、今回は「年次改革要望書」について触れたいと思います。

年次改革要望書とは、”日本政府とアメリカ政府が、両国の経済発展のために改善が必要と考える相手国の規制や制度の問題点にをまとめた文書”と記載されています、2001年から毎年日米両政府間で交換され、2009年(平成21年)自民党民主党へと政権交代した後、鳩山内閣時代に廃止された経緯があります。

 

正式名称

アメリカへの日本側の要望書は(

『米国の規制改革および競争政策に関する日本国政府の要望事項』

英語: Submittion By the Government of Japan To the Government of the United States Regarding Regulatory Reform and Competition Policy (2001年-2002年) / 

語訳:規制改革及び競争政策に関する日本政府の米国政府への提出書類(2001年-2002年)

 

Recommendations By the Government of Japan To the Government of the United States Regarding Regulatory Reform and Competition Policy (2003年-2009年)

語訳:規制改革と競争政策に関する日本政府の米国政府に対する勧告 (2003年-2009年)

)、

日本に対するアメリカ側の要望書は『日米規制改革および競争政策イニシアティブ(主導・提案)に基づく、日本国政府への米国政府の年次改革要望書』(

英語: Annual Reform Recommendations from the Government of the United States to the Government of Japan under the U.S.-Japan Regulatory Reform and Competition Policy Initiative)。

語訳: 日米規制改革・競争政策イニシアティブに基づく、米国政府から日本政府への年次改革提言書

 

概要

「成長のための日米経済パートナーシップ」の一環として最初に「年次改革要望書」が作成されたのは2001年(平成13年)であるが、これは先行する「日本とアメリカ合衆国との間の規制緩和に関する対話に基づく双方の要望書」が現行の「イニシアティブ(主導・提案)」形式に整えられたことによる。

 

由来・沿革

1993年(平成5年)7月の宮澤喜一首相とビル・クリントン米大統領の会談で決まった

「日米の新たなパートナーシップのための枠組みに関する共同声明」

(英語: Joint Statement on the Japan-United States Framework for a New Economic Partnership)とされている。

書籍『拒否できない日本』によれば、最初の要望書は1994年(平成6年)の説も。

当初は「提案書」(英語: submission)だったアメリカからの要望書は以下のような変遷を経るが、アメリカからの日本への要望書では年次改革要望書となった2001年からより推しの強い「勧告書(英語: recommendations)」となった一方、日本側からのアメリカへの要望書の英語版では2003年から「勧告書(英語: recommendations)」に改められている。

 

日本における規制緩和、および行政改革に関する米国政府から日本政府への要望(提案)書(Submission by the Government of the United States to the Government of Japan Regarding Deregulation and Administrative Reform in Japan 1994年)

語訳:日本における規制緩和行政改革に関する、米国政府による日本政府への提出文書 1994年。

 

日本における規制緩和行政改革および競争政策に関する米国政府から日本政府への要望(提案)書(Submission by the Government of the United States to the Government of Japan Regarding Deregulation, Administrative Reform and Competition Policy in Japan 1995年-1996年)

語訳:日本における規制緩和行政改革および競争政策に関する米国政府による日本政府への提出文書 1995年-1996年。

 

日本における規制緩和、競争政策、透明性およびその他の政府慣行に関する日本政府への米国政府の要望(提案)書(Submission by the Government of the United States to the Government of Japan Regarding Deregulation, Competition Policy, and Transparency and Other Government Practices in Japan 1997年-1999年)

語訳:日本における規制緩和、競争政策、透明性、その他の行政慣行に関する米国政府による日本政府への提出書類 1997年-1999年。

 

規制撤廃および競争政策に関する日米間の強化されたイニシアティブに基づく日本政府への米国政府の年次要望(提案)書(Annual Submission by the Government of the United States to the Government of Japan Under the U.S.-Japan Enhanced Initiative on Deregulation and Competition Policy 2000年)

語訳:規制緩和と競争政策に関する日米強化イニシアティブに基づく米国政府による日本政府への年次提出物 2000年。

 

日米双方の要望書は両国政府によって公開されており、日本から米国への要望書については、外務省のウェブサイトにおいて公開されている。同様に、米国から日本への要望書については、駐日アメリカ合衆国大使館のウェブサイトに日本語訳されたものが公開されています 。

説明では、日米双方双方向に要望が出され、それぞれの国が議会で競技して妥当と判断されたものが、法案や政策として実行されることになっているということですが、例えば日本に対して米国側からの要望が、施策として実現した例としては、以下などが挙げられます。

 

建築基準法の改正

法科大学院の設置の実現

著作権の保護期間の延長や著作権の強化

裁判員制度をはじめとする司法制度改革、独占禁止法の強化と運用の厳密化

・労働者派遣法改正(労働者派遣事業規制緩和

郵政民営化

 

米国政府からの要望で実現していない項目としては、

再販制度

・特殊指定の廃止

ホワイトカラーエグゼンプション

が挙げられますが、年次要望改革書では引き続き取り上げられている一方、日本側からアメリカ側への要望の一切は実現されていないのです。

 

鳩山元総理が廃止した年次要望書は、自民党民主党から政権奪還した後、その機能を「2プラス2」へシフトさせる形で、今もなお継続していると言っていいと思います。つまり、「日米合同委員会」と「2プラス2」が日本をコントロールしていると言え、GHQ以降もアメリカは日本を”肝心なところで”日本を実質支配していると、言い切って良いのではないでしょうか。

これをご存知でしたか?今は”日米経済調和対話”という文言に変えられてますけど、内政干渉であることには全く変わっていませんし、変えようとすればアメリカから圧力が掛かってきます、それを歴代日本政府は無視できないでいるのです。

 

年次改革要望書を廃止させた鳩山由紀夫は、結構メディアで””はとぽっぽとか馬鹿にされる事も多い人ですが、これによって即葬られたという話もあるのは興味深いですね、おかしな発言後にその日に亡くなった中川昭一氏や、特別会計絡みでで暗殺されたとされる石井紘元議員、あとこれはあくまで推測ですが、日航ジャンボ123便墜落においても、間接的にアメリカ側の何らかの圧力が、掛かっていた疑いもあります。

筆者が、このブログで日本の属国化を書いているのも、こうした事実を基に調べた妥当性のある範囲での事実と、それに基づいた推測が柱になっている事をご理解言頂き、決して日本で暮らしている人にも、他人事でなく”お今そこにある、避けられない危機”であることを時間していただきたいのです。

 

今回は敢えて、引用先を具体的に示して書きましたが、何時もはできるだけ書かないようにしています、それはコピペとは言え文字数が増え、読みにくくなることもありますが、皆さんにエビデンスを自分で探る、切っ掛けにしていただきたいこともありますので、まずは気になるキーワードが目に入ったらソースを探し、関連した記事や意見などを納得のいくまで探す習慣にしていただければと思います。

またソースを探す際に、できれば英語サイトも積極体に利用したり、中国サイトはフェイクも多く政府隠ぺいが甚だしいですが、施設サイトや中国人のニュース・ソースも、是非参照しながら、自分なりに確度の高い判断ができるよう、普段から行動して頂ければと思います、このブログのように無料情報だから信用できないという事はありません、むしろ有料サイトの方がバイアスが掛かっている事も少なくありません、ご注意ください。



以下引用

 

2014-05-07

年次改革要望書」という名の内政干渉/『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』関岡英之

 

この「年次改革要望書」という名の内政干渉は、単なる形式的な外交文書でも、退屈な年中行事でもない。アメリカ政府から要求された各項目は、日本の各省庁の担当部門に振り分けられ、それぞれ内部で検討され、やがて審議会にかけられ、最終的には法律や制度が改正されて着実に実現されていく。受け取ったままほったらかしにされているわけではないのだ。

 そして日本とアメリカの当局者が定期的な点検会合を開くことによって、要求がきちんと実行されているかどうか進捗状況をチェックする仕掛けも盛り込まれている。アメリカは、日本がサボらないように監視することができるようになっているのだ。

 これらの外圧の「成果」は、最終的にはアメリカ通商代表部が毎年3月に連邦議会に提出する『外国貿易障壁報告書』のなかで報告される仕組みになっている。アメリカ通商代表部は秋に『年次改革要望書』を日本に送りつけ、春に議会から勤務評定を受ける、という日々を過ごしているわけである。

 

【『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』関岡英之(文春新書、2004年)以下同】

 

 10年前の本だがまったく古くなっていない。というよりはTPP締結を控えた今こそ本書が広く読まれるべきだ。関岡は基本的に取材を行わない。オフィシャルな情報だけを手掛かりにして、アメリカの内政干渉と日本政府の欺瞞を暴く。個人的には「保守の質を変えた」一書であると考える。日本人であれば心痛を覚えない人はいるまい。「敗戦」の意味を思い知らされる。半世紀という時を経ても尚、日本はアメリカ各地の州以下の扱いを受けており、文字通りの属国である。この国は独立することを阻まれているのだ。

 年次改革要望書宮澤喜一首相とビル・クリントン米大統領との会談(1993年)で決まったものだが、日米包括経済協議(1993年)、日米構造協議(1989年)に淵源がある。ということはバブル景気の絶頂期にアメリカが動き出したわけだ。プラザ合意(1985年)に次ぐ攻撃と考えてよかろう。

・牛肉・オレンジ自由化交渉の舞台裏

 

アメリカによる外圧のわかりやすい例が紹介されている。

 

日本の国内では、建築基準法の改正や住宅性能表示制度の導入は、阪神・淡路大震災での被害の大きさからの反省や手抜き工事による欠陥住宅の社会問題化などがきっかけとなって日本政府内で検討が始められ、導入が決定されたものだと理解されている。それは日本の国民の安全と利益のためになされたはずだ。

しかし実はこれらの法改正や制度改革が、日本の住宅業界のためでも消費者のためでもなく、アメリカの木材輸出業者の利益のために、アメリカ政府が日本政府に加えた外圧によって実現されたものであると、アメリカ政府の公式文書に記録され、それが一般に公開されている。

 

日本国民はおろか政治家だって知らなかったことだろう。政府が二つ返事で引き受けて、官僚が具体的な法案を作成しているに違いない。マスコミがこうした事実を報道することもない。日本の新聞は官報なのだろう。日本で民主主義が機能しないのは情報公開がなされていないためだ。むしろ情報は統制されているというべきか。

1987年にアメリカの対日貿易戦略基礎理論編集委員会によってまとめられた『菊と刀~貿易戦争篇』というレポートがある。執筆者名や詳しい内容は公表されていないが、アメリカ・サイドから一部がリークされ、その日本語訳が出版されている(『公式日本人論』弘文堂)。

 この調査研究の目的は、日本に外圧を加えることを理論的に正当化することだった。そして結論として、外圧によって日本の思考・行動様式そのものを変形あるいは破壊することが日米双方のためであり、日本がアメリカと同じルールを覚えるまでそれを続けるほかはない、と断定している。つまり、自由貿易を維持するという大義名分のためには、内政干渉をしてでもアメリカのルールを日本に受入(ママ)れさせる必要がある、と主張しているのである。

 このレポートの執筆者のひとりではないかと推測されるジェームズ・ファローズは『日本封じ込め』(TBSブリタニカ)というエッセイのなかで「叫ぶのをやめて、ルールを変えよう」という有名なせりふを吐いた。こうした声が、アメリカのルールを強制的に日本に受け入れさせること、もっと露骨に言えばアメリカの内政干渉によって日本を改造するという、禁じ手の戦略を正当化することになったのである。そしてそこから導き出されたアメリカの政策こそ、「日米構造協議」と呼ばれる日本改造プログラムに他ならない。

 

 ジェームズ・ファローズはジミー・カーター大統領のスピーチライターを務めた人物だ。アメリカの傲慢は戦勝国意識とプロテスタント原理主義に支えられている。ま、原爆投下を一度も謝罪しないような国だ。我々黄色人種を同じ人間としては見ていないのだろう。

 鳩山由紀夫首相が年次改革要望書を斥(しりぞ)けた。そして直ぐに小沢一郎と共に葬られた。その後TPPと名前を変えて再びアメリカは日本に要求を突きつけているのだ。当初は「聖域なき関税撤廃が前提なら参加しない」としていた安部首相も態度を180度変えた(田中良紹)。

 今ニュースとなっている憲法解釈の閣議決定アメリカからの要求であり命令だ。彼らは日本を再軍備するつもりだ。

 

柔らかい表現に変わる?

日米経済調和対話

日米経済調和対話

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 

日米経済調和対話(英:UNITED STATES-JAPAN ECONOMIC HARMONIZATION INITITAIVE 日:日米経済協調活動提案・主導案)

は、アメリカ合衆国連邦政府日本国政府に対して、規制緩和の改善を求めた要望事項。

その後関連して、日本からアメリカ合衆国への要望も含めて話し合うため、

2011年3月に開始された日米両国間で持たれた会合の名称ともなった。

1994年から2008年まで年次改革要望書が存在したが、

これとは異なる形で現れた日米間の連携。

 

概要

民主党鳩山由紀夫内閣の時代に年次改革要望書の交換は事実上廃止となった。

 

2010年11月13日、横浜で開催さたAPECの際、菅・オバマ会談の「新たなイニシアティブに関するファクトシート」にて「日米経済調和対話」の立ち上げが発表された。

2011年2月28日~3月4日、東京で第一回目の日米経済調和対話が開催された。

・地域ローカル・グローバル課題への連携

・貿易の円滑化

・ビジネス環境、個別案件の課題

などについて、日米が協力し取り組むための事務レベルの会合がもたれた。

 

鳩山由紀夫内閣

2009年(平成21年)9月16日から2010年(平成22年)6月8日まで

衆議院議員民主党代表の鳩山由紀夫が第93代内閣総理大臣に任命された日本内閣。

第45回衆議院議員総選挙における民主党の圧勝を受け、民主党社会民主党国民新党の3党連立内閣(民社国連立政権)として成立した。非自民・非共産連立政権の誕生は1994年の羽田内閣以来15年ぶりの出来事であったが、1993年の細川内閣、翌年の羽田内閣とも非自民・非共産内閣ではあったが比較第一党は自由民主党であった。

 

黒幕小泉純一郎飯島勲……密告者菅直人

石井紘基議員の暗殺の密告者とネットで囁かれ、官僚支配を終わらせるチャンスを潰した存在。また、鳩山政権がせっかく廃止した年次改革要望書を日米経済調和対話という名前で復活させた。日本破壊の礎を作ったこんなのを未だに支持するリベラルやら左翼やらがいるのだから日本の夜明けは遠い。

  • 2017年9月26日

これが偽装民主主義国日本の正体。菅直人「小池に日本のメルケルを期待」安倍と同類の極右小池がメルケルに成れるはずが無いのを承知で愚民を小池支持へ誘導する野党?の元首相。