コロナウイルス、言論統制に利用されかねない事象
「 新型コロナウイルスに関係する内容の可能性がある記事です。」
などの表示が付く記事や、動画が散見されるようになりました、これらの類似表示で最も知られている表示は、かなり以前からYoutube動画の下に必ずついている、国内政府機関へのコロナ情報のサイトリンクです、最初はリンク先へ飛ぶ人も多かったと思いますが、段々とクリックすらしなくなってきたのではないでしょうか。
Youtubeに関しては、動画の種別・内容如何にかかわらずリンクがありますが、コロナ関連の記事と判断されたブログや記事や動画に、運営側から付けられるケースもありますし、最近ではFACEBOOKやInstagramやTwetterのように、いきなり強制削除されるものも出ており、削除された記事動画の多くは、確信犯でコロナウイルスを批判したりワクチンの効用にネガティブな意見を、書き込んだものが対象であり、また一見関係なくともAIがそう判断した場合、削除されます。
削除されなくとも、上のようなお墨付きが付いた記事動画は、まずAIで監視対象になり、場合によっては人為的に、BAD判断がなされる対象になったと考えていいでしょう、これはどれほど理にかなった事を言っていても、論理的に正当な事を書いていても、削除されるかどうかは、運営側の任意基準によって裁量されるため、実質上は言論統制に当たります。
この統制が始まる前に、アメリカでは大統領選挙時から、トランプ側の言論統制が左派メディアや民主党再度から、露骨に実行された経緯がありますが、コロナ関連の情報も、接種者寄りな目的というより、ワクチン製造販売に力点を置く、アメリカ企業や民主党政府に、偏った情報統制が起きているのは、十分に想像できる話です。
こうした情報統制の動きは、残念ながら日本も積極的に実行されていて、他国より素直で従順な国民性から、受け入れたり無反応な傾向が強いようです、その傾向は戦後からどの先進国も、確信犯的に利用しており、国どころか一部自治体でさえ、スパイ防止条例を敷かないという従順さです。
返して言えば、それだけ愛国心は無く、自分からと言うよりも、国がなんとかするだろうと言った依存性が、他国から不思議がられているのも、日本独特でありその自覚がない点でも、情報統制が相当数成功している実例なのでしょう。
コロナウイルスに限っても、海外ではアメリカはもちろんイギリスやイタリアさえ言論の自由と、統制の選択はできる一方で、日本は選択すらないかのような空気を作り出すのは、国民が自らそうしているのか、そのようにされているのか、他国から見れば違和感が残る反応です。
自然信仰を基礎に自然の成り行きに、沿って生きてきた日本人的な言動を、自己主張を先行させるグローバリズムの考えに、どこまですり寄れるかは、日本人の国際社会への適合への課題です。
コロナウイルスによって、世界が未曾有の危機に陥るきっかけを、受け容れる羽目になったのは、ウイルス自体の問題よりも、人為的な新市場の争奪戦の前に、周到な計画と準備があった事実を、受け入れて闘えるかが、日本企業に問われています。
そして、それさえも自由主義経済では、人の命よりも優先されるフェーズに、突入した事を私達が受け入れて、自分でリスクを選んで生きていけるかが、特に若い世代や子どもたちに問われますが、その生き方を模索し、若い世代へ引き継いでこそ、日本らしさが生きるのかもしれません。