くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

TVメディア・情報発信者がバラエティ感覚でニュースを作る意味と結末

筆者がオールドメディアと書いているTV・新聞メディアが、ニュース番組さえエンタメ感覚で視聴率を稼ごうとするのは、最近のネットニュースが力をつけてきたことで、視聴率がさがり、スポンサー離れが半端なくなっているという、厳しい現実があるとのこと。

しかし、特に悪名高き朝日毎日系のメディアの姿勢が、日本を貶めようとする偏向報道をしたり、ひどい場合エセ民主を嵩に左翼系情報を珍重する報道が、有り余ることが一般的に知られるようになったからでした。

 

当時毎日系はまだ中道だった一方で、この朝日系の偏向報道に至っては、最近に始まったことでは無く、第二次世界大戦にまで遡り、当時(朝日新聞)大衆に戦争を煽る記事を流布し、国民の視野を限定的にしたこと以来今日まで姿勢が変わってないようです。

視聴率を稼げばスポンサーは付くと言う、報道とバラエティを混在させる習慣を某報道ステーションで、当たり前にしてしまったことで、報道の信ぴょう性に不信感を増幅させてしまいました。

 

昨今ではコロナウイルス報道において、どの放送局も示し合わせたように不正確なPCR検査で陽性反応を1度でも出した人数を、感染者数にカウントして毎日更新報道、中にはカレンダーに増減を表示し、増えたの減ったのと煽る局まで出ています。

ご存知の通り、コロナは一般的な風邪と同種のものであり、気温低下で発症しやすくなって日本では感染リスクは高まっていますが、主に数字が増えているのはPCR検査者が増加している事の方がウエイトを占めています。

 

そういう原因や経緯を全く説明することなく、感染者数増加を繰り返し唱えることで、不安感を煽って視聴率を上げる事を最優先していますから、報道者の顔は増えるととてもうれしそうな顔になっているようにさえ見えますね。(おっと、これは私見です)

アメリカでも、未だ殆どのメディアの偏向報道で大統領選が地とんでもない混乱をしていますし、様々な情報操作の証明に大統領でさえ相当苦心している有様で、数字上の勝者に対してのネガティブ情報を、一切流しません。

 

アメリカはまだ、最初から視聴率主義な風潮があって、国民も半分はその煽り合いを楽しむところがあるのでまだしも、日本のオールドメディアは真面目に報じるべき内容を、シリアスに歪曲・誤解を招く表現を意図的にする悪意さえ感じます。

これがドラマや芝居のようなフィクションと告知していれば問題ありませんが、ノンフィクションで在るべき領域との境界を、極めて曖昧にしながらメディア側に都合の良い解釈を印象付ける工夫に手を抜きません。

 

彼らがこうした姿勢を止められないのは、指導する上部の様々なしがらみや、あまりの高額給与から逆らえず、現状維持をするためには偏向報道も辞さないという、歪んだ曲の体制にも及んでおり、大手は芸能プロダクション・広告企業も同様な構造の様です。

この傾向は、これまで安定と言われ人気の公務員職への執着に似ているように見えます、一度入れば上に逆らわず余程のミスをしない限り、エスカレーター四季の収入が保障されています。

 

平和が続く日本では、より安定した公務員職を求め本来の仕事の使命より、安定収入・高収入を目的に就く人が増えてしまいましたが、報道・広告メディア企業もこれと同じ轍を踏んでいると言って良いでしょう。

このエスカレーター式、いわゆる年功序列型を安定して運用する企業は、その無駄ゆえのシステム温存のために、不毛な経費を費やすことになりますが、大手日本企業が海外企業、特に米中などの海外企業より競争力に劣ると言われる所以とも言えます。

 

多くの企業がテレワークのリスクをかぶりながら企業努力をする中で、メディア企業のほとんどは出社しなければ成立しない業種ですし、社屋や機材など保有する不動産・固定資産を簡単に整理・合理化できません。

だからというわけでは無いでしょうが、コロナ禍を煽って言われるほど高リスクでもないのに、高視聴率を稼ごうとする姿勢は、ある意味哀れに見えなくもないし、既にインターネットという安定した情報網がある中で、オールドメディアは詰んでいます。

 

彼らは今後どう生き抜いていくのでしょう、衛星放送の高画質番組ですか?それは高性能化するPCや、定価価格のカメラが一般人へ普及する時代、TVメディアの専門技術への価値観は落ちていくでしょう。

さらに厄介なのは、これからもネットの尻馬に乗ってくだらない二番煎じの情報を、垂れ流す立場にしがみつきかねない事ですが、これは業種の末期状態であり、DX社会に不適合な業種として淘汰されていくのは、意外にそんな遠くないかもしれません。