くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

PCR検査に対する誤解と認識の違いが迷走の元

TVの街頭インタビューで、PCR検査がもっと増えないのか、という意見を聞いて筆者は驚きました、三密やクラスターなどのキーワードが、流行語大賞にあがるなど娯楽化するTVニュースの影響が出ているのでしょうか。

オールドメディア側は、事実を伝えているのですが、あくまで1意見であり、時間の都合上数件のインタビューで終わらせてしまうわけですが、時間を惜しむ傾向が有る現代社会では、この意見を真に受ける事も多いでしょうし、頻繁に流すことで煽りにもなりかねない、確信犯とも言えます。

 

筆者はネットと比べ時代に古いからオールドメディアと呼んでいるわけでなく、戦後から改善も無く旧態依然の報道を崩さないからそう呼んでいるだけで、本当の意味で"民主的"に事実を公平に報道する生真面目さを持って欲しいと願っているに過ぎません。

恐らく誰もが願っている事を、これだけ批判批判指摘されても、一向に何かに忖度するような偏向報道をむしろ増長させているメディアとして、何度でも指摘しているわけで、視聴者をエンタメ風姿勢で楽しませたり脅したりするのが、ニュースメディアの本道とズレていると言いたくもなります。

 

もしかしたら、正しく公正な報道してますよ、と聞けば真顔で答えるかもしれませんが、今回のコロナという新種の風邪ウイルスが年初ならともかく、年末までワクチン開発を盛り上げるように過剰に経済を混乱させた事は事実で、オールドメディアが素人同然の反復報道をした影響は否めません。

加えて、エンタメ要素が含まれると言うことは、公正というよりも嗜好でニュースを偏見する事を意味し、人によっては事実としてでなく、好き嫌いで結論を出しかねないとても恐ろしいことだとご理解いただけるでしょうか。

 

こうした報道姿勢の下地の上で、PCI検査は実に曖昧な判定結果や、測る度に結果が変わる信用性の低い検査で、国がなかなか補助金や保険適用をされなかったのはこのためで、すべて自費で受けなければならないのは当然でしたが、そんな低信用性の検査数を増えた分危険と判断できますか?

確かにコロナが原因で重症になったとか、亡くなったと言う事例もあるので一概に危険で無いと言い切れませんが、それより死亡者数の多い病気は前からもっとあって、コロナウイルス感染病だけがここまで過剰扱いされるいわれは無いと、もう半年程前から解っていての報道です。

 

流石にいくら素直な人でも、そろそろ違和感を感じても不思議はありませんし、医師会の会見を見るに、医療崩壊は限定された医療機関だけで、対応しているためにしわ寄せがキツくなってはいる病院と、従来通りの診療をしている病院の格差は大きくなるばかり。

米英の製薬会社で、ワクチンが準備できるようになってきた今頃から、急にそれまで沈黙していた医療機関が、妙に動きが慌ただしくなり出したのも、どうだろうと思うし、負担が大きい病院が優遇されないのは、何かの忖度や圧力でも働いてると思えてしまう。

 

そもそもこんなズレが生じてきたきっかけは何だったのか、明確にされないままワクチン完成で結果オーライになったり、オールドメディアはエンタメのように済まして涼しい顔をしそうだし、こんな結果を視聴者は期待しているんでしょうか。

このタイミングでワクチン接種が米英で実施されると、その効果や結果にもよりますが、日本に回って来るのが早くて来年春にも関わらず、年末年始はタガが外れたようにお祭り騒ぎのような反動が来そうで、そっちの方が恐ろしいです。

 

今、東京都でGOtoキャンペーン継続してますが、他の感染者パンでミック都市に比べ、圧倒的に多いこの都市がキャンペーン対象外にならない時点で、商業的にも医療的にも地方との格差を拡大させるだけで無く、パンデミックによる医療崩壊を懸念するのと矛盾しないでしょうか。

PCR検査が風邪の万能の試験効果が有れば問題無いですが、そうでない検査結果が決定的な経済活動の方向性を、決定付けている姿はとても異常にしか見えないのに、オールドメディアはしつこく繰り返す、この手法は暗に洗脳のそれを彷彿とさせる気味悪さです。

 

街中を歩いたり商業施設店舗に入ると、マスクをしている人は殆どですが、本気でこれらが効果があるかそろそろ半信半疑に陥ってこないでしょうか。日本人はそれ以前に接触感染の対処に有効な除菌や手洗いをキチンとしている時点で、優秀なのです。

欧米製薬会社でワクチンの完成の報道されたその前後から、報道はついに死亡者数増加を強調し出し、医療団体はまた体制の限界を訴え始め、各自治体はパンデミックの再来を警戒しています、他の風邪ウイルス同様冬だから当然ですが、もうワクチンが効こうが効かまいが、多くの人が進んで検体になる準備は整ったということです。