腹を括って覚悟と共に生きた日本人、依存ししがみつき生き急ぐ日本人
未来に投資するということとは?その一つに選挙権を行使することもその一つでしたが、直近の参院選の得票率は、コロナ前19年と比較して22年与党に自民・公明はやや減、野党では立民・国民やや増、維新爆増、他は全体で増でした、投票率は48、8%→52、05%とやや増加したものの、これは安倍氏の暗殺が直前でおきた、リベンジ的気運もてつだったのかもしれませんし、参院選がいくら衆院選に比べ重要視されていないとは言え、衆院選が間接的にしか議員選出に関われないのに対し、参院選は国民が直接選出に関われる点で、国民の意気込みが示せる筈の選挙でした。
一部N党のガーシー氏や参政・れいわを除いては若年層の勢いが感じられなかったように思えます、安倍氏の暗殺が多くの国民に衝撃を与えたにもかかわらず、選挙が混乱しただけで国民の意志が反映された形跡は無く、政府・オールドメディアの予想通りになったのは、成功だったのか失敗だったのか、少なくとも国民の気持ちは現れていないように見えました。
私たちは愚直に日本を愛せているのでしょうか、メディアや企業に振り回されて、生き急ぐのに必死になっていないでしょうか、安倍元首相暗殺報道でも私たちは振り回されているようです、その報道の矛盾に気付いているでしょうか、搬入先の医者の記者会見から安倍氏が暗殺されてから数日が過ぎ、銃撃があまりにも不自然だったという解説がネット上に出ては削除されいたようです。
あまりにも不可解な死に様々な憶測が飛んでいますが、明らかに整合性が取れない点をにお気づきでしょうか、たとえば事件のあった8日の午後六時頃から、奈良県立医大の医師が記者会見を開き、記者からの質問に答えています、安倍氏に当たった銃弾の入り口と出口について語ったのですが、国内報道と全く一致していないのです。
報道では、安倍氏は背後から撃たれたとされており、1発目は外れて2発目が当たったとされていますが、動画を見ても犯人は安倍氏の背後から近づいていて、1発目の発砲音で安倍氏が左から後ろを振り返ると、2発目の発砲音と共に右襟が少し揺れて、その後に彼は倒れています。
ところが医師の記者会見による回答では、安倍元首相の弾丸入口の傷跡は首に2カ所あったと言っています、一つは天突と呼ばれる喉の急所あたりで、鎖骨と胸鎖乳突筋の交差する点辺りだそうです、もう一つは天突から右に5センチほどズレたところで、その2発の弾の1発が心臓を破壊し、もう1発は左肩前方から抜けていったというのが医師の説明。
当時、安倍元首相は台の上に乗って演説を行なっており、犯人は彼の背後、そして下側から撃っています、ところが医師の説明では、銃弾は喉から入り心臓に達したということで、弾の軌跡は上から下に向かっている…?報道では、犯人は安倍元首相の背面、やや左、下方からと言っているのに対し、発表当時の医師は、銃弾は安倍元首相の全面、やや右、上方からと説明しています、心臓に達したはずの銃弾は消えた?ということなのでしょうか。
この矛盾は時間が経つにつれ混乱していた事を理由に修正され最もらしい結論に落ち着きます、事件現場には隠蔽された1発が上から撃つのに妥当なビルは見当たらないようですが、この暗殺事件は協力者がいるという説に賛否両論あります。
筆者が以前指摘したように、アメリカで起きたケネディ大統領暗殺事件と、経緯や奇跡の弾道、犯人の経緯動機などが酷似しているのも、その疑惑を大きくしていますし、なにより多くの日本人には「まさか日本でそんなことは…」と性善説的感情が事件の可能性を狭めていることも大きいと思います。
しかし、それは警察の仕事だと思っていたなら、この事件は何時までも解決しないでしょう、警察はあくまで彼らが断定した犯人だけを追及するだけです、言われたことしか言わない報道は、それ以上の可能性事実追及をすることはありません、私たち市民が犠牲になるような殺人誘拐事件でも同様でした、警察は保身やメンツのために平気でウソをでっち上げ、冤罪を有罪に、被害が出ても事件と判断するまで介入はしてきませんでした、警察は市民のための警察では無いのです、軍同様に政府の保安を司る機関でしかありません。
それさえ知らないつまり、永く平和漬けになった私たちは、身の回りに何も起きない限り安全地帯が存在するかのように、偶然に生活や仕事を謳歌できていたわけですが、日本から一歩出ればその先は戦前戦後なんら変わりない現実世界が続いていたにも関わらず、それすら他人事にして良き急いできたわけです、その実は海外の多くはアメリカ資本層や中国共産党のアジア戦略に、組み込まれていただけだったにも関わらずです。
その中でも、安倍氏のように人並みの愛国心を愚直に行動で示した人もいれば、そうでない人も沢山いたわけで、その結果が投票率に現れていたり、その結果子どもを安心して産み育てられない環境や教育を赦し、自給率をのばせないまま外資企業・干渉を赦し、コスパを突き詰めすぎて地域コミュニティを崩壊させたり…これらは全て選挙結果をか損じてきた私たちへのツケでしかありません。
日本の斜陽化を極力隠しながら、傀儡国の思惑を優先させた政府にも責任はありますが、政府から甘い汁を与えられた国民が、なあなあに見て見ぬふりをしてきたことが、今の結果を生んでしまいました、本来とまるべき時に横断歩道をみんなで渡ってしまったのです。
江戸時代に日本人は士農工商で、それぞれの立場がバランスがとれていて平等だったのですが、明治以降第二次世界大戦以降、日本の優れた制度を放棄してしまった時点で、日本人を私たちは放棄してしまったのかもしれません。
自民党は、戦後アメリカの傀儡政府としてデザインされました、その勢力を監視するために社会党や共産党ができますが、それは日本人のためではなく中ソの戦略的な道具としてしか存在していませんでした、国民を納得させる社会保険制度や年金制度で、江戸時代に一揆に当たる反乱や暴動は、他国に比べ起きることもありませんでしたが、今となってはその補償も影が薄くなって来ています、筆者はいつ革命が起きても不思議ではないと考える程、国民の冷遇は強くなってしまいました。
しかし、今緊急事態法案が可決してしまった今、反乱が起きれば中国・香港同様、通常の人権法を無視して政府の一存で、武力鎮圧は認められたということで、武器の無い国内では反乱すらままならない状態です、安倍氏の死は明確な「暗殺」にも関わらず、報道・政府・国民はいまだ穏便な表現に始終しています、そんな平和ボケは「話し合い」でなんでも解決できると、真顔で信じて疑わない国民という名の奴隷であり、その皮が何れはがれる時がきても、自覚もないまま死んでいくのかもしれません。