くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

日本が日本であるために、可能な限りの時間を費やすこと

私たちの国は、少子化という先進国病にかかって久しいですが、人口比で高齢者比率が多い事は、介護問題だけでなく、日本がこの先も世界で主要な位置を占めるために、新しい制度法制や政治を柔軟に積極的にカイゼンできるかにかかっています。

高齢者世代の旧制度依存の習慣や常識が強い今、少ない若い世代でどのように新制度を作り上げていくか、若い世代ほどその反対勢力を監視し、影響力を少しでも弱めるために、行動しなければならなくなっています。

 

一見困難なように思えるかもしれませんが、ウェブネイティブと言う優位性での、ネットワークでのコミュニティは、既存世代との優位性に繋がります、ネットでの情報共有と、定期的なミーティングで、新しい意志の集団化をいくらでも作ることができるのは強みです。

ネットでの情報統制は、今少しづつ進行していますが、国に対しての反逆行為でなければ、安易に取締はできないはずです、がしかし今のところ、日本に溶け込んでいる外国人とのトラブルや裁判沙汰は、中々経験する人は少ないかもしれませんが、予想も出来ない現状に陥っているそうです。

 

現在、個人ITジャーナリストの深田氏が新しい試みを続けていますが、本来当たり前のはずの日本人の人権が、成り済ましの中国人に人権を優先させる、在り得ない展開が法廷で進行しているとのことでした。

他にも、感染拡大に伴うワクチン接種機会の増発が、単に国民を不安に陥れ、楽しみや最悪は仕事まで奪う、機会損失を政府は減らす努力には、非常に消極的ですし、ついには妊婦さんや若者・未成年まで提起接種を勧めるようになっています。

 

ワクチン接種はあくまで個人の責任において行われるもので、最近の接種者の増加は、保守的な日本人にしては以上に多いケースです、このワクチンは定期接種の習慣化ができるまで、あらゆる手段を使って、感染者増加を続けていくことでしょう。

また、今年末に向けて衆院選による政府与党の、入れ替えが進んでいる不安定な盛況の中でも、その結果に対して影響が出てくるだけに、SNSで多くの国民によって、重要案件の見過ごしの無いように、訴えかけなければなりません。

 

経済や金融は、アメリカのそれと連動して、半自動的に景気を悪くしないようにしていれば、誤魔化されてしまうことが往々にして起きます、実際は自分の身の回りにおかしな変化が起きるからですが、政府はこれを慢性化させたり、慣らさせようと、オールドメディアを通して、さまざまな情報を流しています。

硫酸をバラまいた事件でもそうですが、何か重要な変更があるなどの時期に限って、ショッキングな事件がなぜか起こるのです、これは仕組んでいるというよりも、普段起きている事件から、必要な時に強調し、不必要な事件は一斉に抹殺しているだけです。

 

このオールドメディアの、報道リズムに慣れ切っている高齢者層などの国民は、いとも簡単に印象操作にハマって、安易に朝一番に見るNHKのニュースを妄信したり、彼らの情報を基準にして、物事を考えるようになってしまいました。

日本の歴史でも、私たちは教育や教科書によって、誇れる日本人の歴史を矮小化され、いつのまにか日本をバカにするようになってしまいましたが、そんな自国を自ら貶めたり、あ愛国心の意味をはき違える国民は、おそらく日本人位でしょう。

 

今、ネットで愛国心をもった有志による、正しい情報を共有しようとする動きも、多くの障害に遭いながらも増えてきたおかげで、本来の日本人を取り戻しつつあります、そうようやくスタートラインに立ち戻りつつある段階ではあります、しかしこれから日本の社会の中心を担うべき若者や子どもは減少し、スタートから奪取しなければならない時期に、仲間を逸しつつあるのです。

その分、彼らは少ない仲間と協力し、中身の濃い情報交換と連係を取っていくことになりますが、既得権益はその連係を”個人主義”の普及によって、そして感染予防の言い訳として、コミュニケーションの分断を加速させようとしているのが、当に今なのです。

 

このコロナ感染拡大は、間もなくアメリカの調査発表によって、中国由来が確定され共産党は追い込まれていくでしょう、そして実質王者を独占するアメリカが、ワクチンの定期接種の常識化によって、私たちの自由・楽しみ・ゆとりを、じわじわと取り上げて行くことでしょう。

この現実に感じるところあれば、特に若い世代の人達は、大人に頼らない自活の方法を、今から確立できるように準備することをお勧めします、親に扶養されている内に出来るかぎりその厚遇を最大限に利用して、正しい情報集めが出来て、最低限食いつなげる準備をすることをお勧めします、親以外でもう大人には子どもを、守ってやれるゆとりはなくなりつつあるのですから。