くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

この時期こそ最も大事なスキル、物事をフラット公平に考える思考

コロナパンデミック、矢継ぎ早にロシアのウクライナ侵攻と続く中で、世界情勢は急激に悪化したような印象が、世界中に広がっている今、いわゆる世紀末論を声高に叫ぶ人々の声が、特に不安ガチな日本人がその声にインフルエンス(感染・伝染)されていくのを、ニヤケながら見ている者が居ると思うと、とてもいたたまれなくなってしまいます。

世界状況を点で見ている限り、この連鎖と変化の重要なポイントを見落としてしまうばかりか、判断を踏み誤る人が近くにいることで、負の影響が拡散していくリスクは増してしまいます、日本のように”平和主義”が刷りこまれた社会では尚更の事で、どうあっても戦争がない平和な状態が絶対的正義だと疑わない人が、今回のような紛争を短絡的に戦争悪だけの目線で見てしまう悲劇が起きようとしています。

 

グローバリズムが浸透してきたと言うことは、戦争を仕掛て自国家の利益をより広げるにはどうすべきか、この戦略に長けた国・組織・企業が最も成長できる好機を得られる事を意味します、日本発展の課題はこの現実を受け容れられるか否かに掛かっていると言っても過言ではありませんが、既に日本はアメリカ・中国の指揮下に実質上敷かれている現実すら、理解してい無い日本人が多い段階では、それ以前の問題です。

第二次世界大戦、いわゆる日本で言えば大東亜戦争以前の日本人は、こうした国家間のパワーバランスの状況を、メディアは報道していたし、政府や多くの国民にはオープンでした、しかし今の日本人の多くはまずこれらを理解した上で、世界情勢に対応していく枷をはめられていると言われても、何も返すことができません。

 

そうでなくとも今の国内の主流は、メディアによる情報の隠蔽体質や印象操作すら、陰謀論として片付けてしまう有様で、その時点で既にその罠にハマっていることに自覚が無い、つまり物事を公平にバランスよく見聞きしていない事を、認めているようなものです、この悲劇日本人に責任があるわけでなく、その多くは戦後から変質していった政府の傀儡政権化と、それによる国民への意識改革の結果ですが、この事実自体つい最近になって、情報公開の多様化が進んだ結果漏れ広がりだしたことなので、国民同士責められません。

問題は、こうした事実が徐々に一般の人に漏れるようになった今、その分余りにも情報が増加・多様化したために、その情報を上手く切り分け難くなっている点が問題で、それをするにはわざわざ時間を割いて、その情報のシャワーを浴びるリスクを負わなければ、スキルとして身に付かないですが、ただでさえ生活困窮や本職に時間を割かれる中で、極めてそのような時間を作ることすらできずに、情報の渦に飲み込まれ混乱していく、そしてただただ不安に陥る負のスパイラルに落ちており、それは極めて不幸です。

 

海外でもそれぞれの国なりに、同じような情報錯誤の混乱や不安があるのは確かですが、ここで国民性が大きく影響してくるため、保守的で平和主義の日本は殆どをネガティブに情報を捉え、行動で突破口を開こうとする人より、縮こまって逃避する人が増える悪循環で、状況を更に悪くするという悲劇が頻発してしまうのです。

その時には、普通に考えればまず自分を落ち着かせて、冷静に周りの状況を見て立ち位置を確認し、行動すべき方向をしっかり考える者ですが、その基本動作ができているか客観視できなくなってる状態は、受け容れられないことは全て陰謀視し、他人の行動に盲目的に従おうとしてしまいます。

 

その負のスパイラルから抜け出せるかどうかは、自分の良識・価値観を一旦リセットし、まず全てを受け容れる体制を作れるかで、大きく変わってきますが、それができているか自問自動できるでしょうか、その際平和の意味・善悪の価値・力関係の善し悪し・相手目線で考える力を、全て見直しされるべき事を柔軟にできるように、自分に言い聞かせるように訓練するしか方法は無いのです。

もしかつての筆者のように目先のことに追いまくられて、日々の生活よりも優先されるべき行動を見誤っていたら、その先は暗黒の未来しか待っていません、逃げたい・目を閉じたいと本能が言い聞かせても、ロボットのようにそれを断ち切って、そうしたい自分からそうあるべき自分に改造していく、大げさな言い方かもしれませんがそれができるかどうかに掛かっているのでしょう、しかも一旦始めたらそれは恐らく死ぬまで続けなければならない苦行でしかありません。

 

必要に応じて臨機応変に自分を殺せるようになれば、自己自他共に公平な目で見たり判断したりできるようになると、何かの本で読んだような気がしますが、当にそれが目標なのかもしれません、そうすることによって自然と溢れる情報を見分けて、全体を見通せるようになるのだと思っています。

さて精神論はこの位にして、ではそうした観点で今の状況を見た場合、必ずしもロシアが悪でウクライナが正義だとは短絡的に見ること自体が危険だと気付くはずです、その疑問をもってその根拠を探せば、幾らでも出てくるはずです。

 

これは戦争による殺人を正当化できると言うことではありません、それは人である以上殺人や窃盗はあってはならないことです、では何がどうなって殺人に至ったのか?単に殺人そのものを嫌悪し思考停止せず、深堀りすることで最終的に殺人しない解決法を模索する姿勢が需要だということです、そのそれぞれの結論を闘わせることが、本来あるべき民主主義社会の筈です。

世界それぞれ千差万別で正しい事も間違ったことも多種多様、それぞれがその定義に沿って行動しますが、その異種格闘技戦を殺戮で解決しないのは共通意識でなければなりませんが、宗教や主義の優先順位によって、ある国は人を已める位なら自分が犠牲になると考える国もあれば、主義を貫くためには自分の命と刺し違えても殺戮も辞さない国もあります。

 

まずは”譲れない領域”を理解し、合意に至れるか闘うかの判断は、世界情勢のグローバル社会化で最も理解しがたい所ですから、また一方でそういった双方の意志を取り継ぎする国もあれば、煽って混乱を増そうとする国もあります、さらにその動きは国ではなく力を持った企業・団体によって仕掛けられる場合もあるのが世界の常識・トレンドなのです。

さて、今起きている殺戮はその中のどれでしょうか?こうした目線で見渡した場合、ウクライナ✖世界(欧米)VSロシア(中国)という単純な図式ではない事が見えてくるかもしれません、ならば日本はどう動くべきか、日本人はどう考えるべきか、ようやくそのスタンスに立てるのです、多くの批評家や論者はメディアで主張している事が、自己都合に沿っている点を見落とさないように、また自分の私益に合致した情報だけを選んで見ないよう、何よりも必ずしも自分が正しいというスタンスでものを見続けない、これが基本です。

 

この姿勢でなぜ今更にロシアウクライナに侵攻したのか、なぜ今コロナウイルがまん延したのか?さらに同じ構図が他の地域でも、過去にも起きていること、そしてそのサイクルが偶然発生したのか?計画的なのかまで考えられると、思考は劇的に進化するでしょうし、あらゆる考察や行動に凄く役立ちますので、この混乱の時期だからこそ思考の訓練は価値が大きいと思います。ただ周りに心を閉ざすものが居たとしても、それを責めたり嘆いてはいけません、それは諭してもダメなら赦すしかありません、むしろそれで苦しんで立ち止まるほうが悲劇です、家族に自分一人でも居れば十分ですから。

単に日々の現実社会で根拠のない常識に支配される生活では、常に一歩引いて考え無ければ、全く自分の可能性を弱めるものでしかありません、今までは全くアウトオブ眼中にしていた陰謀論への意見にも、納得できるの事例が出てくるかもしれませんし、事実彼らの中にはその優れた思考回路を有した発信者、”切れ者”は存在します、自分はそこまでにならなくとも、自分の目標達成に役立つ多くを得られると考えれば、大した根拠もなく自分で自分を拘束してしまう、自分の心の足かせを取り外せる、絶好の転機なのかもしれ無いのです。