くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

無意味な常識を装った、利権常識が経済を非効率に

世の中で一番便利な言葉に“常識”がありますが、あまりに便利すぎて過剰に使いすぎる傾向がないでしょうか、筆者も気をつけていないと、そんなの常識だと呟いていて、ハッとすることが往々にしてあります。

この日本語で使い慣れてしまった、常識の2文字ほど宛にならないものはないと言われます、そもそも常識などという価値観は曖昧で、これ程基準が定まっていないルールはないのにも関わらず、日本国内の日本人比率が異常に多いため、行動様式がたまたま似通っているだけに過ぎないことを、この一言でさも当たり前のように言い切ってしまっているのです。

 

これが個人同士による、意見の相違な分にはたわいないですが、常識意識を法人が利用していくとなると、話は変わってきます、実際に私達の身の回り、特に商空間が取り巻く都市部に至っては、利益誘導への常識化が、結構な頻度で進行しています。

例えば街中で、急にハンバーガーが食べたくなったり、何かの購買意欲が突然湧いてきた事はありませんか? このきっかけの多くが、視覚聴覚などの五感による衝動意識だと言われますが、これを積み重ねる事で、習慣化・常識化できるそうです。

 

一旦それが波に乗ると、人はほとんど良し悪しの判断を省いて、情動に身を任せるようになります、そうなれば一見は自己選択している様に、それぞれは思っていますが、実際は感覚的に情報誘導されていて、その自覚が極めて薄くなります。

中国などのやり方は、方向は同じでもわかり易いため、大抵の人は気づきますが、資本社会で行われているのは、巧妙でナチュラルですから、気づくのが遅れがちで、注意を怠るとミスリードにつながりかねません。

 

一時期、映画を見ている観客に対し、コカ・コーラが急に飲みたくなるという噂が広まり、それがきっかけで、サブリミナル効果という刷り込みの一種が、心理学にあるという話題が出たことがあります、今では殆どの人が只の都市伝説だと思っているようですが、今でも陰謀論者の中では戦後アメリカが、ドイツ人などの科学者を捕虜にした、ペーパークリップ作戦の一環だと信じている人も居ます。

 

ペーパークリップ作戦は実在の作戦で、かき集めたナチスドイツの科学者の才能を、当時のアメリカの国力増進のために、利用したと言いますし、その一つにフォンブラウン率いるチームの核爆弾開発や、NASAの始めた航空宇宙計画にも協力させたと言われる、人材陽陽計画でした。

話はそれましたが、その計画で集められた知性たちは、あらゆる研究に利用され、マインドコントロールや洗脳計画に関わる、MK-ULTRA作戦にも利用されたと言われます、この計画によって、人々のさまざまな心理作用が研究され、サブリミナルや怪しいものでは超能力まで研究されたと、マニアは言っています。

 

実際にその研究成果が、どこまで実現してどこまで今の技術に生かされているのかは、知る由もありませんが、私たちの生活する商空間に、私たちよりも企業側に優位に働く、心理操作をCMやメディア手法によって、利用されているのは事実だろうと思われます。

筆者が、以前から既にバーチャルの世界に私達が入り込んでいると言っているのは、多分にこの偏向報道を含めた心理操作が、大きくモノを言っているためであり、詐欺師と被害者のいたちごっこのように、エンドレスゲームを続けている時点で、その規模が余りに大きくなりすぎて、まるでバーチャルの在り得なかった世界が、現実的に起きている事が、その何よりの証拠になっているのです。

 

実際には、現実の世界で起きているのですから、夢だとかバーチャルだとかは、言い訳にしかならないのですが、自由主義の世界を欲したわたしたちが、求めた自由とは金も時間も関係ない、自分自身の思考や行動への自由の保障だったにもかかわらず、実際はその選択肢は徐々に減らされてきている、という事実に気付いているかどうか、気付いていてもそれに抗えてない時点で、私たちは人間として自由では無いということです。

その自由を奪う者たちは、私達が目を逸らしている間に、次のステージを準備していますが、その先鋒は商業空間のインフルエンサー達であり、流行に敏感な人はもしかしたら、その人自身が仮想常識の構築に、加担しているかもしれないということなのです。

 

自由主義圏の自由を奪う手法は、共産主義国のそれのように露骨でなく巧妙で、罪の無いところから静々と囲まれていく様なものです、それに対応し自由に振舞おうとするには、自ずと自由になるマネーと自由な時間が、何時でも使えるようになってないと、出来ないようになりつつあるのです。

自由なマネーと時間の浪費…一見有意義に使っているように思われているそれらが、実はもし自分の意志で使われていないとすれば、それこそが彼らの狙っている理想的な浪費であり、その浪費を満足に変えさせること、そのために黒を白と見せかけ、ガラクタに価値を刷り込んでいく、究極のサブリミナルと言えるのかもしれませんね。