くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

投資家は仮想現実社会の夢を見るか?

ハリウッド映画で、仮想現実をテーマにした映画でよく取り上げられるのが「マトリクス」ですが、今月4作目の「マトリクス・レザクションズ」がアメリカより日本で先行上映されたそうです、筆者はまだ見ていないですが、ご覧になられた方はもういらっしゃるでしょうね、ただYoutubeでは賛否両論を呼んでいるそうで、人気映画スターウォーズも最終回では、賛否こもごも話題になりました。

こうした映画は古くから娯楽のひとつとして、発展進化しながら私たちにとって、手軽に疑似体験できる楽しさを得られるもので、今では中国さえもハリウッドを超える巨額投資をして、高品質でスケールのでかい作品を作る様になりました、残念ながら中国作品は日本では殆ど見ることができませんが、あの忌まわしい事件が起きる一時期までは、香港映画が私たちの目を楽しませてくれていましたね。

 

さて、この映画の企画→制作→放映は、ビジネス市場として欧米を中心に発展し、文化として、そしてプロパガンダとして、日本にも浸透してきましたし、その中で日本はアニメ映画を独自進化させ、ジャパニメーションという独自の地位を築くまでに進化させ、今では世界中で高い評価を受け、熱狂的なファンやコスプレ文化まで生み出してきました。

この映画ビジネスは、日本のそれと世界のそれでは、そもそも立ち位置が異なるように思われます、にほんの映画はビジネスな点では同じですが、やはり文化の創出という点が強く、舞台劇に近いですが、海外とくにアメリカや中国の映画は、トレンド誘導やプロパガンダの影響力が高いように見えます。

 

もちろん、映画と言っても多種多様で制作側の意図も様々なので、簡単に決めつけるわけには行きませんが、単にSFや歴史ものや流行、アクションライフスタイルなどなど、そもそもアメリカや中国では、企画段階で多くのスポンサー集めから製作意図や企画をプロデューサーが仕切るのですが、彼らがやはり重きを置くのは、スポンサーの意図が大きく占めてくるのです。

例えば陰謀論的な映画でも、日本では監督自体が中心に陰謀そのものをテーマにし、スポンサーを探すみたいな形になりますが、アメリカだとスポンサーの意向を最優先させた企画に合う、監督や俳優を探すという流れが多いようで、儲かる映画いわゆるA級映画はできて当たり前、失敗してスポンサーに損をさせればジエンドです。

ハリウッドで全米ナンバーワンヒットとして放映前から宣伝するのは、その点まで計算されたうえで映画製作するシステムが秀逸だからでしょう、だからこそ潤沢な資金を提供してくれるスポンサーが付けられるし、それだけでなく投資する意図が、一般では考え付かないものだったりします。

 

一方で中国で多いのは政府、つまり中国共産党が検閲するために、最初から政府の意向を汲むメッセージ性の強い作品が、自ずと増えてきますが、アメリカハリウッド映画でも、同じ意図が含まれた作品が製作されるのは、有名な話です。

何よりもスポンサーが映画商品に求めるものは、拡散力の高いインフルエンス性であり、かつスポンサーのイメージを、絶対に貶めないものでなければなりません、多くのヒット作品は巧みに、作品テーマの中に彼らの目的が折りこんであったり、分かり易いものではシーンの中に彼らの商品がしっかりコマーシャルされているものもあったりしますが、本当のスポンサーは明かさないので、そもそも貶めようがありません。

 

私たちは、最新の映像技術を駆使し、現実と非現実の世界に没頭させてくれる映画は大好きで、叶うならその仮想世界に浸っていたいと思ってしまいますが、同時にスポンサーである投資家も、作品のファンタジー性の中に、自分自身がより高尚な境遇に昇りつめて行く姿を、夢見ているのでしょうか。

私たち一般人は、日頃の現実に耐えながら、夢のある話を見聞きして、希望に転嫁することで、モチベーションを上げていますが、投資家は現実で既に一般人の持つ夢は、叶えている前提で資産を増やすための夢を、叶えようと日々行動していますから、そもそも立ち位置が異なるがために、一般人とは金銭感覚や対人対物の常識が、全く異なっているために、その乖離が問題になることも多いと思われます。

 

彼らの常識によって、仮想現実社会はより現実的に、より身近なものに今後増殖していくでしょう、その恩恵やリスクを得られる人も居れば、高齢者や貧困層の人は得られる機会がないかもしれませんが、大なり小なりほぼ誰もが避けて通れない、現実になっていくのではないでしょうか。

日本でのムーンショット計画がその一例ですが、今回の新型コロナのまん延は、単なる流行り病だけではなく、仮想社会の実装に向けての準備が、いたるところで行われた事を、あと数年で気付く人も増えてくるでしょうが、その時点で今まで通りに、本当の自由の中でどれだけの人が生活できているか、監視・許可制・分別などのルール作りは、少しづつ既に始まっている、それを常に意識して自分の人生を丁寧に選んで、行動していきたいものです。