くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

リバティオブアメリカの崩壊の悪夢に自由の価値は暴落するか

とうとうアメリカ合衆国の時期大統領交代は現実になりそうです、待ち焦がれた人も、地団駄を踏む人もその現実によって起きる大きな変化を受けいれ、その対処に動く事になります。

自由社会の崩壊を見ることになってしまうのか、普段曖昧にしか考えない自由の価値重みをこの一件は、私たちに改めて考えさせられますが、まずは時系列で経緯をざっと振り返ります。

 

昨年からコロナパンデミックと闘いながらも、4年に一度のアメリカ大統領選挙は始まりました、共和党トランプ現大統領系統をかけ、対抗馬は民主党で紆余曲折ありながらも、最終的ににバイデン氏が候補にあがりますが、大方はトランプ圧勝の予測に、大番狂わせが起き出したのは後半からで、突然続く市民運動や暴動で形勢は大きく変わりました。

そして年明けもさらにトランプ大統領の立場は悪くなっていき、1月7日現大統領トランプ氏のポジティブ情報が表に公平に流されること無く、大統領選と同様に民主党優勢のまま、上院選で民主党2議席を確保、これで議席数50対50でねじれ議会が確定しました。

 

バイデン氏はこれを受け、大統領当選を正式発表する準備を始めたようですが、この結果に議会選挙前からトランプ大統領の支持者によるデモがアンティファ騒動と同様に発展報道されます。

ワシントン議事堂占拠暴動へ様変わりする事に、その批判が高まる結果になりイギリス首相や、FB マークザッカーバーグ氏などはトランプ氏のFBとインスタアカウントの無期限凍結を発表、完全にヒール扱いの状態でした。

 

トランプ大統領も配下の共和党員から辞任が出るなど民主党の前代未聞の解任手続きが進行、上院ペンス副大統領が弾劾申請案を拒否したあと、共和党議員の賛成規定数を確保し、大統領弾劾を可決したと14日朝のモーサテ放送枠内にテレ東は緊急報道しました。

他局でこの手の報道は未実施ですが、事実ならこの日を持って実質!大統領交代が決まったと支持者以外が認識した事になると同時に、不正選挙の解明とバイデン氏のまた家族の過去の悪歴は事実か無根になる事を意味します。

 

アメリカのこうした動きの中で、本来対中政策に関わる審議を進めるべき時期でしたが、これは例に漏れずコロナ感染激増の政府回答をどこぞから再三催促され、見切り発車の緊急事態宣言発令に持ち込まれたと見ています。

それを待つかのように中共政府は近隣国や自国内で、民主とは隔たりの大きい暴挙を強行し始めていて、最初からこの展開を分かっていたのか定かでないにしても、彼らにとっては思うツボにハマったというところなのでしょう。

 

民主党中国共産党にしても、トランプ大統領のアジア対策は、都合の悪いものだったと言わざるを得ず、大統領弾劾成立の実現は、その悲願わんばかりの必死さが伺えましただったのか

日本政府は、親中派の意をくんだため、これに便乗しつつ、米中関係を無難に取りなす行動に出ざるを得なかったと弁解するかもしれませんね。

 

さて、いよいよ日本の令和3年は、これで色々なものに巻き込まれる1年になりそうですが、当面コロナ対策関連は過剰反応に気をつけて、くだらない誹謗中傷を助長させないようにしたいですよね。、こうした本来関連も無かった組織や企業が、利害一致で行動を共にすることはあり得ることですが、被害者は必ず国民市民ですから。

こうして自由社会が侵されていく、そんな碌でもない未来が始まれば、その崩壊する歴史体験を、今私たちはその真っ只中に生きていることになりますが、そんな近未来は多くの人がごめん被ると、思っていて欲しいです。

 

中国共産党が世界の覇者になって世界をリードする世界、バイデン氏が新大統領に就任し、アメリカの資産を確証のない環境対策や偏った人権擁護に浪費する社会、これは自国民でなくとも許容範囲を超えていますが、なぜ強制国家中国ならまだしも、自由主義国家アメリカ国民の半数以上が支持したのか?

彼らの大半が不十分な情報の範疇で選択を迫られ、感情だけで多くの選択を限定してしまった、その末路だったのかもしれませんが、新政権誕生が実現した後に彼らの多くが思惑通りに満たされた満足を得られると願うばかりですが、さて?

 

正しいと思う事を正しく行動を貫くのが、本来王道であるはずが、トランプ大統の弾劾を正当化させる執念は、どれほどのもなんでしょうか、正当側がどれだけ努力しても、簡単に財力で無に帰してしまう事例をこれ以上認めれば、もう正しい行動を取るのさえ放棄しかねない、そんな世の中になるかどうかは、一人一人の踏ん張り次第というしかないですね、逃げちゃダメだ…。

アメリカで起きた集団行動の恐ろしさを、他国の人々はまざまざと見せつけられました、私たちは日本でこれと同じことが起きた時に、便乗すべきか、反抗すべきか、傍観して見過ごすか、その選択肢によっては強力な向かい風に向かって、突き進んで行かなければならなくなる、その覚悟は今から自問自答すべきです。

 

人間は、ある一定期間一定の条件に慣れてしまうと、それを常識と思い込みそこに居座ろうとしますが、そのそもそも常識自体が作られたものなら、おそらくどんな常識を持ってこられても、そこには真実味がある保証などないにもかかわらず、自ら足抜けできないようにしてしまう、不思議ですがこれが現実です。

そうならないようにするには、常に自問自答と行動に鞭打って是正を繰り返さなければなりませんが、そんな完璧な事を何人の人ができるでしょう?またそれができたとしても、どうやって周りの人に理解してもらえばいいのでしょう?

 

人は自分を最優先し誇示したがる生き物である以上、自ら十字架を背負うような真似はまずしないでしょうし、そんな無駄な時間は人生にマイナスにしかならないと、考える前に切って捨ててしまいがちです。

それでも、自由な空間や時間、言論行動の自由を得ようと思うのなら、自信をある程度律した分を他人と自由を認め合う関係を作る必要は避けられませんが、一部のルール無視がここまでこうじた時に、どこまで律する事を要求できるか、それを行動で示す時が、正に今なのです。