くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

SDGsが環境対策の取り決め目標がやたらと話題になるのはナゼ?

持続可能な開発目標(SDGs:Sustainable Development Goals)とは,2001年に策定されたミレニアム開発目標(MDGs)の後継として,2015年9月の国連サミットで加盟国の全会一致で採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に記載された,2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標です。17のゴール・169のターゲットから構成され,地球上の「誰一人取り残さない(leave no one behind)」ことを誓っています。SDGs発展途上国のみならず,先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものであり,日本としても積極的に取り組んでいます。

今、私たちが直面している人道危機における様々な課題を解決するためには政府、企業、NGO、そして、地域や個人がともに力を合わせることが必要と主張するように、差別や人権の均等化も大きな柱となっていて、他にも企業の利潤追求の行き過ぎに、雇用均等や福利の面で課題を課す狙いもあるようです。

 

この目標は、欧米に対して都合のいい条件が多いため、日本にとってはメリットが大きいかどうか、考え方次第ですが、国際社会において日本の活躍は、結果的に利用されてる以上の価値は、認められないのが過去の実績から見ても、期待できるものではありませんが、日本はその期待にそれなりに応えてきました。

SDGsは、過去の課題と比べても遠大で継続的んあ目標であり、創設者事態でも達成はほぼ不可能でしょう、それゆえに出来るところから進めるというのが現実的です、その達成する順番はもちろん彼らがイニシアチブを取れる順番で進められ、それ以外の参加国はその後を追う、つまり永久に彼らを超えることは出来ない仕組みです。

 

彼らの論理では、先に始めた者が優先権がある、それがあとで追いついても、それがどれだけ優秀であっても認められない、またはゴールポストをずらしてくる、中国は端から彼らのルールに従うどころか、利用して彼らとの立場を逆転させようとかくさくしているのでしょうか。

先行して始まっている、CO2削減目標において中国は、最も不利な世界排出量の半数を出しているため、そもそもそれを逆転ささせることは不可能です、それを実行すれば中国の経済は完全に沈黙せざるを得ない、そんな真似を中共政府がするわけがありません。

 

中国は、自身が最悪の成績であることを知っている、加えて欧米もこのまま削減を続けても、目標達成出来ない事も知っている、むしろ欧米が目標達成できない事を確認するまでに、その技術を今の内から欧米や、それが阻止されるのなら日本から、削減技術を例によって合法的・半強制的に奪い取りながら、目標期限以降から一気に世界との排出量の差を、智締めようと動くでしょう。

CO2削減目標を達成するポーズを採ることで、産業は自動的に発展し、総じて経済活動も上向きます、その結果出た排出CO2は、最終的に数字的に何とでも出来ると思っているのでしょう、始めた彼らにその結果である数字を操作するのは造作ない事です。

経済が上向けば、人権向上や差別など別の目標も、裁量幅は広くなる訳ですし、総合的に全体目標はコントロールしやすくなる、そうした緻密な計算はされたうえで、SDGsは作りこまれている限り、勝ち意外に最悪イーブンはあっても、負けは絶対ない訳です。

 

これらの計画は、既に始まっていますが、これはSDGsが始まっているのでなく、製造業に必要な原材料調達の段階において、既に買い占めや調達手段確保が始まっているという意味で、日本はこの行動において完全に蚊帳の外です。

かつて日本は、第二次世界大戦を仕掛けられた際、どうやって連合国に追い詰められ戦争を始めることになったか?ご存知だと思いますが、石油などエネルギー調達を輸入に頼っていた日本が、その輸入経路を絶たれた、鉄鋼も食料も同様でした、いわゆる兵糧攻めにあったわけですが、それを一部の軍部が政府の緻密な計画を無視して、真珠湾攻撃を始めた…させられた事で、宣戦布告したことにされたわけです。

その当時の連合行である国家は、今でもいざとなれば徒党を組んで、手を握るように提携されています、日本は彼らに逆らえば何時でも、過去と同じ立場に追い込めるように出来ているのです。

 

日本はそれが解っていても、彼らに従う事しかできない、戦後の協定で日本が占領されなかったのは、その代わりに不利な立場に立たされるのを飲んだからで、日本がそもそも優秀なために、その腕を買われたことは幸いですが、その代償に骨抜きされたというのが、実際のところでしょう。

与党がどの政党にが第一党に立とうと、パッとしない仕事しか出来ないのは、単に党員の能力の問題でなく”したくてもさせてもらえない”現実があるからでしょう、戦後生まれの日本人の多くはその暗黙の約束に気付かないまま、もっとも肝になる旧大蔵省の能力を解体され、財務省になって以来は、完全に財布までも握られていると言えるかもしれません。

 

日本は出る杭になってはいけないのです、戦後どこまでの約束事が成立したかは、諸説ありますが、今の現状を見ればそれ相当のルールが今も生きているだろうことは、容易に想像できるはずです、財布を握られている限り、生産者である国民に本来支払う正当な賃金が、払われていない理由も説明がつきます。

その条件の上で、より生産性向上を求められながら、国の体裁も保たなければならない、普通の景気通りに、またアメリカ並みに賃金が支払われていれば、国の財政はもたないでしょうから、政府が考えたのはプライマリーバランスという概念であり、弱デフレーションを継続させるための言い訳ということです、消費税導入も国の債務をまるで一般人の借金と同じように解釈させるための、詭弁に使われているだけで、日本人そのものが能力が低いわけでは無く、低いように思わせる、このロジックがSDGsの目標に仕掛けられていると、筆者は推測しています。