くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

令和初期に起きている試練を超えた時に、あなたは?

イギリスが口火を切って、コロナウイルスの予防ワクチンが、試験体以外の一般者への投与が始まりました、それを追うようにイギリスと同様に先行するアメリカもワープスピード作戦によって前倒しで、国民への投与を開始する目処を発表しました。

日本は慎重な姿勢を崩さず、最終調整が進んでいながらも来年第二四半期頃の完成を目指していますが、気になるのは中国とロシアで、英米に対抗するように、どちらも実用域に達しているとしながら、試験結果が不確実なまま見切りで国民投与を始めています。

  

新しい展開が加わりながらも、私たちの実社会で未だコロナウイルスの過剰な扱いによって、疾病の重症者や死亡者数がコロナ由来なのか、合併症によるものかせいかの境が曖昧なまま、都合よく数字に組み込まれている現状があります。

以前から書いているように、筆者の周辺で毎日のように繁華街を出歩いても、6月以降街の賑わいは増える一方で、手洗いやマスク着用衣服の洗濯という今や当たり前の生活で、海外のようなパンデミックは起きていませんし、ワクチンという抑止も加わります。

 

これは筆者が楽観視しすぎているのでしょうか?人は我慢できる期間は限られています、1年を経たことで多くの日本人は、自分なりの息抜きの仕方を覚えた時期だからではないでしょうか、ただ政府行政・医療機関は国民とは考えが逆です。

それぞれが持つ対策用の人材や資金など、限られたリソースを破綻させることがない様にしなければならないため、かなりオーバーな物言いで国民の行動を抑制させなければならず、この抑止行動がオールドメディアとも絡んで感染者数で煽る手段を正当化していると言えます。

 

加えて、国民のなかのには、相当な不安症の人や潔癖症の方が結構居て、その反応も手伝って自己抑制のバランスが保たれていましたが、気温が下がり出し空気も乾燥し出して、既存のウイルスが活発化し始めて最近は、特にコロナ由来かどうか判別できなくなっている、これも混乱や不安を増長させる基になっています。

その状況で、GO toキャンペーンをすぐに止めろと言った暴言も、医療関係者から出、実際に年末年始一時停止と決定、一方で経済活動は彼らの警告を気にしないかのように、活性化されつつ金市場も全てを織り込んで、むしろ活況を呈してさえいるのです。

 

来年は、市場、ワクチン、実体経済の要素がチグハグの動きを見せる年となりそうだと、経済専門家の意見を聞いて、こうした乖離が出てくるのもなるほどと納得しましたが、皆さんはこの状況を混乱とお考えですか?試練とお考えですか?

後者ならまだモチベーションは保てているでしょうが、前者なら偏向報道に巻き込まれてしまっているか、自身の立ち位置を見失っているのかもしれないですが、日本の年号が変わってしばらくは、大なり小なりの変化のしわ寄せは起きるものですから、織り込んで行動すべきですよね。

 

 安定期に入るであろう数年を経るまでは、安定した政権によって誤った方向に導かれないよう、政府はもちろんのこと国民もある程度の緊張を強いられるわけですが、その後にどれほどの新年号の名にふさわしくできるかは、多くの国民の願いと行動次第ですから。

かつて世間知らずで海外国の思惑に乗って、自ら掴みかけた大きなチャンスを逃した事を、無駄にしなくて済むよう自重するところは忍耐強く、主張すべきは積極的に海外国の注目だけで無く、本来持っている実力を、相手から認められる真摯な態度こそ、礼和の年号に相応しいし日本流でしょう。

 

 混乱する時期とは、なにかにつけて思うように進まないのが常ですが、せっかく立ち止まるチャンスができたなら、自分を見直して良い部分を褒め、伸ばしながらどうして進めないのかを思い巡らしてみてはどうでしょうか。

上手く行かないから尻込みする、これを繰り返して幸せになった人は見た事がありません、かつて西川きよし師匠は云いました「小さな事からコツコツと」これもいいことかもしれません、それぞれのペースや方法が有れば、まずはトライアンドエラー、失敗しながら成功に近づくこれしか無いです。

日本が世界から日本らしさを求められていない理由

私たち日本人なら、生まれながらにして日本らしさを生活から学び、海外国の人々の反応からどうあるべきかを本能的に考えて、日本人らしさを自然に演出しているようですが、日本らしさという曖昧な自覚はもしかしたら、作られたものかもしれません。

唯一確かなのは、日本語を学んで普段の生活に会話や文等でコミュニケーションや、様々な行動をしている事実と家族が代々日本で生まれ骨を埋めているというくらいしか無いでしょう、それによって政府が国籍を与え徴収を課す、いわゆる国民の義務が大人にはあります。

 

こうした日本国民としての権利と義務は別として、誰もが日本人だと意識する要素は、過去百年前と比べて格段に少なくなっているように見え、国際化で多くの人が世界中を移動生活するようになって、肌の色やアジアの人とか、東洋人の括りで見られる事が多く、アイデンティティに理解が不十分ですね。

もちろん、欧米人にしてもアフリカ人にしても、同様の立場であることに変わりありませんが、戦後これだけ世界に貢献してきたという自負の代償通りには、認知度は限定的で日本人の国際化慣れしていない事も含め、その課題の整理と行動を見直してみたいものです。

 

日本人自体がその状態の上に、単なる人種差別とは異なった日本人ヘの特殊な扱いを、感じた事は無いでしょうか、筆者は以前からあって、近代歴史に興味を持ち始めて以来、特に違和感を覚えるようになってきました。

本来の日本の歴史、つまるところの産業の発展とその実績は、明治維新前後に始まりい満州事変後から更に複雑化していて、トドメは敗戦後の日本国憲法の強制に繋がりますが、これらの流れで絡んでくるのがいイギリスアメリカそして中国ですね。

日本を極東の貿易の拠点として重要視した米英の戦略に始まって、日本が、外交を匠に対応し軍事力も世界に並び出した後で、アジアの独立性を実現し始めた日本を、欧米は警戒しだしまますが、日本は中国大陸に満州国を建国し、本格的な大東亜共栄圏を目指し始めます。

 

そして順調かと思った矢先に起きたのが満州事変で、中国が欧米肝いりで中国政府を焚きつけて暴動を起こし、その上に日本を石油確保を断って窮地に落とし、無謀な戦争へ追い込んでいき、ご存知の通り日本は様々な戦争の影響に関する実験場にされたと考えられます。

これは、私たちが学校で習った歴史と比べてもかなり大胆な解釈ですが、筆者だけで無く国際通の歴史学者やジャーナリストでも近代歴史を再解釈する動きが出ていて、広い立場や目線で日本の実績を見直す人も増えていることからも、さほど荒唐無稽とも思えません。

 

これらが事実か否かは別として、私たち日本人が良かれと思っても、国益上都合が悪かったり妬む国が国際社会では起こっているのは事実で、中国政府の無謀な世界戦略が思うように進まないのも、敢えてこれまでの社会ルールを覆すためなのかもしれません。

ただ、今のところは日本はその西洋経済圏の立場で動いていることと、明らかに日本を搾取対象にしている点で、日本の大東亜共栄圏構想とは似て非なる暴挙として対応すべき対象だと言えますが、戦後から中共側は、実質国内に日本の国益を弱める工作を続けているとのこと。

 

日本は第一次世界大戦後にその需要景気で国際地位と経済力を、余りにもスムーズに持った事で欧米列強国の警戒心を一気に高めてしまったのかもしれませんし、国が成長できたとしても既に出来上がっていた国際秩序に意識が無かった事で、虎の尾を踏んだということなのでしょうか。

それ以前から、国際秩序の計画にとって日本は、アジア太平洋地域の極東極東基地として計画に組み込まれいたのであり、たとえ国連に加入できていた当時従順にしていたとしても、平扱いを受けていたのかもしれません。

 

今度は中国が、かつての日本とは違う方法で世界掌握を目指していることになりますが、日本の動機や志とは全く違う、独裁政権のやり方がどこまで通用するかは未知数です、しかし日本は彼らに迎合したり野放しには決してできない、自負と責任感を持っていると信じたい。

そのかつての心意気を取り戻せるかは、まずはコロナ風評被害や経済力立て直し、内需率の拡大など課題はたくさんありますが、今のところ与党はその目的を実行しようとしています、加えて憲法第9条の改正は、過去のトラウマからの脱出に欠かせないものですから、大変な時期だからこそ踏ん張れるか、試されています。

AI採用の進化は、DX化の普及度によって格段に成果をあげる

 表題の言わんとすることは、当たり前と言えば当たり前ですが、AI黎明期に言われたシンギュラリティという、AIと人間の関係の到達点が短期間で達成されるかどうか、今年一年で相当実感身が湧いてくるようになりました。

日本でも、スーパーコンピュータによるAI分析デモをNHKなどが時々するので、その便利さは専門家でない私達にも何となく理解できるのですが、これらのデモはあくまで素人に分かり易く見せているごく一部の成果であり、その実は相当進んでいるようです。

 

その進化の根幹には、前提として人間側のAI活用の可能性と理解があってのことですが、専門家がAIの使い道をより具体的に実行することで、AIは多種多様な顔を見せていくことになります。

その過程で、私達一般にはそのプロセスや意図は知らされる余地がなくとも「便利だなぁ」と思えれば、細かいことは知る必要が無いし既に理解できない領域まで進化している以上、結果がどうであろうともう止められないのです。

 

次に、AIの進化の重要な要素として、AIの技術的課題よりも人間のAIへの理解の方が先に進まない可能性が高くなりそうですね、AIは人間の考え方や行動の結果を集計分析して傾向やある推測を導くのが仕事で、人がAIを意識することなく生活してくれた方が、都合が良いはずです。

優位性の転換シンギュラリティが起きるとすれば、それまでは開発者が、その後はAIがその都合を更に徹底するようになることを意味しますから、ちょっと違和感を感じるようになったら要注意かもしれません、というか遅いかな。

 

とにかく、AIが社会に一般的に認知されるようになってまだ数年しか経っていなくても、私たちの生活に身近な商業的なシーンだけでも、結構な機会にAIは機能・活躍をしているのが現状ですし、それ以前に後進国と言われたアジア諸国の進歩と突き上げに、AIとITによる徹底合理化をしないと出遅れは避けられません。

かつての日本経済の勢いをこれからも復活させようとするのか、遅れたなりにアジア諸国とイーブンに持っていくかから産業事業の団体はどう判断するか、日本の産業の多くが、中国の工場だけで無く企画から発送までを一貫したシステムに、依存するだけでは補えない、

 

分かり易いのは、オンライン販売システムで注文から配送までの、流れをスムースにする最大高利化にはAIが大活躍していて、それには私たちの購買・消費活動をAIがつぶさに分析した成果によって、時短と利便性が実現しています。

この環境に慣れてしまえば、それ無くしては生活は成り立たなくなるのが世の常で、今後さらに加速度的にこのサービスはより”当たり前”を要求されていくでしょうから、AIとの関係は結果が共存であろうと支配であろうと、拒むのは相当難しいでしょう。

 

筆者は、人間にとってシンギュラリティより不安になるのは、機械的で冷徹なその判断能力がスタンダートになる時代が来て、人が人らしく生きられる時間が削られはしないかという点ですが、これも時代の変化として受け入れられなければならないのは確実。

この先そう遠くない時代に、この勢いがどの方向に進むかによって、シンギュラリティの行方が私達に知らされるのか、それもないまま便利さに見て見ぬふりをするか、AIの真価が人よりなのか独走してしまうか知りたいですが、その自由は担保されるでしょうか。

 

この変化の進度は、来年早々に決着する米大統領選挙でどちらが大統領になるかで変わってくると予測していますが、意外に思われるかもしれませんが、民主党から大統領が選出された後上院下院が民主党優位に働いた場合、環境エネルギーやCO2排出規制が最優先されると、日本政府はその対応に追われて、思うように進まないかもしれません。

共和党続投となった場合、これまで通り経済成長を更にうわ上げしていきますので、最も理想的な形でAIが最大限有効に使われて行くと期待出来ますね、AIを活かすも殺すも人間次第ですから、有効に機能させたいと願うばかりです。

注目されるべき業務管理のITマッチング化

社会のDX化が本格的に、そして着実に進んでいる実感と危機感を、どれだけの企業が認識しているかわかりませんが、最近またテレワーク規模を縮小する企業がでていると聞きました、なぜいまさら後退するのでしょうか。

業態の性格上、テレワーク化できなずその段階から、業態改変に取り組まなければならない企業もある中で、サービス業起点として設備のうテレワーク化と不動産の資産転用は、最優先課題であるにも関わらず、短期間で企業をスリム化できる絶好のチャンスなのに、です。

 

テレワーク化は、心理的な障壁が多くの経営層に課せられ、場合によって、は根本的な刷新を覚悟しないとならないためで、遅かれ2030年代には軌道に載せておかないと、完全に不利を覚悟で競争する事になりますが、

企業の、最大かつ難儀な壁になり得る課題で、これを引きずる期間が伸びれば、その分だけ従業員への負担は無駄に大きくなり、余計な経費を増やすだけです。

企業業務や指示系統や管理をITシステム対応させるには、企業ごとに取り組むべき課題は多様ですが、自作するか外注するかは別として、最も時間と手間を掛けなければならないキモであり、本来余裕のある大企業ほど有利なはずです。

 

 小規模経営では、運用リスクは小さいので変化に柔軟に対応できるため、あとはどう生き抜くか明確に決断しやすいですが、問題は国内で最も比率の高い中堅企業で、明確な経営方針と無駄のない管理体制が出来ている企業はまだしも、それ以外は危険です。

そうした企業で働く社員は、曖昧なもやもやした職場環境で働いていて、モチベーションやインセンティブが持てないままだと、そもそも経営方針が曖昧なので、誰のせいともわからないまま迷走していくからです。

 

そうした企業こそ、管理体制の透明性を高め無駄を機械的に抽出改善するためにも、ITマッチング化は最優先かつ緊急課題です、テレワークもウイルスリスク回避のため何となく始まったように見えますが、必然性があっでのテレワークです。

それを短期間危機が薄れたからと言って、旧態依然の非効率な環境に戻すのは自社で経営効率化のチャンスを放棄しているようなもので、一度実施したことを無かったことにする経営姿勢の会社で働く人は疑った方が良いです。 

 

さて、正常進化する企業が前提で話を進めますが、セキュリティ面では企業秘密より顧客情報管理を優先させるべきで、むしろ業務の仕組みはより透明感し、積極的に独自の仕組みをアピールポイントにすべきでしょう。

日本の企業が海外のそれに比べて評価が低くされるのは、示すべきビジョンが明確でなく、透明性を保つリスク取りに消極的過ぎるからで、この改善に成功しクリアした企業は大企業から個人事業の関係なく成功しているのです。

 

あくまで経営未経験のド素人の筆者でさえ、この程度は考えられるのですから、現役ならさらに優秀な道筋を提示できると期待したいところで、その成果の見通しが来年までには明確に出てくれば、かなり優秀なのではないでしょうか。

むしろしがらみのない立場の方が、より全体が見通せることは良く知られていても、実際にそうした優秀な人材が社内にいたとしても、それを積極的に採用するかどうかは経営者・管理者層のビジョンが明確かどうかにかかっています。

 

まず透明性を高めるのは、自動化させれば明確に出ますし、最も最初に手を付け易い改善点な筈です、ビジョンの明確化は経営者の判断力次第ですから、その判断が個人向きか全社員向きかによっても差が出ますので、どうこう言えません。

様々なニュースから見聞きすれば、このITマッチング化をポジティブに実行している企業ほど株価評価や業界の評価は高いように見受けられますので、むしろ従業員の旧態依然の意識をどう好転させるかの方が、時間のかかる課題かもしれませんね。

日本人と中国人の購買意欲の違いとグローバルな商習慣の大きな変化

前回の記事で、日本に影響力を与える国がシフトする可能性について触れましたが、たとえ太古から歴代大陸国の影響を受けやすくとも、日本が日本でありつづけるのが当然のことには変わりませんし、主導権や主体は日本の神道にまとめられた自然信仰が基です。

それに対し、現在の大陸国中国は共産主義社会国であり、一部経済貿易には資本主義の仕組みを採用しているものの、共産党の都合によっては不合理な判断をするところなど、ここまで資本自由社会で成長した日本の方向性とは異なっています。

 

その発想や行動の違いは商習慣にも出ていて、一見どちらも自由な消費活動や取引ができているようにニュースで報道されていても、中国政府の方針は一方的都合で押し切る事も往々にしてあり、その強気さは、アメリカでさえ消費される製品の多くをコスパを高めるために、中国製品を輸入せざるを得なくなっているからです。

日本でも永らく独自の商習慣は無くり、中国生産による依存度が非常に高く、国内の生産設備はどんどん排除されつつあり、これはかつての林業や農業と同様で、国内製造企業は最もコスト高の人件費と設備投資をリストラし利益を上げる安易な経営は蔓延してます。

 

コロナ禍で、1年もの期間外出制限による対処に慣らされた私たちは、外出できない間に仕事以外の時間、モノの消費をしやすくなっていて、ある程度のストレス発散が出来ているうちは良いのですが、それ以上に自然と外出欲求が高まる時期です。

日本は間もなくクリスマスや正月が控えており、消費意欲は期待MAXですなのに、緊急宣言発動で、やんわり待機要請されればストレスもMAXで、強引な行動に出やすくなってもおかしくない状況が起きる、国民を試すというより追い込んでいる体です。

 

お隣の中国国内で行われている購買活動は、他国同様にコロナ禍によって冷え込んでいたり、郊外部は災害や気候変動バッタの大群襲来で、ダメージを受けて特に衣食住で食の購入がままならない一方、都市部の中国人購買意欲は日本の比ではありません。

内需製品に飽きたらない分を良質な海外製品に求め、その海外メーカー品の不足を、海外にバイヤーを送り込んでまで大量購入し、莫大な消費活動を支えようとする勢いで、終いには日本人の消費枠も持ってかれかねません。

 

都市部の市民の購買欲が、過剰なほど煽られて社会主義国であるなら、平等に与えられる製品は需要と供給は大きく偏り、本来の均衡は崩れるだけでなく、好景気なシーンばかりを公開して政府はその歪みを見せようとしません。

日本ではそのような偏った報道をすれば、大問題になるところが中国では情報統制が徹底され、問題どころかその現実を知らない人の方が多いというおかしな状態で、これも日本とは違った点と言えます。

 

中国人が、あらゆる方法を使って欲しがる優秀な製品は、中国生産のものであっても逆輸入という非効率な方法を取っても、欲しいと思わせるほど優秀なものであり、これらが今後も日本のブランド価値を、日本製として維持できるかは、それらノウハウを中国企業に委託した時点で怪しくなるでしょう。

それを承知してでも、今や人件費メリットも無い中国生産委託に、こだわる意味はどこにあるか、もうこれまでの依存関係から足抜けできなくなっているのではないでしょうか、そのままでは、多くの企業はいずれ中国企業の下請けにすり替えられてしまうでしょう。

 

中国政府は自ら他国の商習慣やルールや法律を、可能な限り無視して自己都合を強要するとはっきり言っているのですから、そんな政府が最終決定権を有する企業と提携すれば、日本企業が打てる手はほぼ無いと言ってもいいでしょう。

日本や資本主義諸国の商習慣を模倣しているように見える、中国企業のそれは似て非なるものであると同時に、餌に食いついた企業は骨の髄までしゃぶり尽くされる、トラップのようなものとして、可能な限り他国にシフトすべき緊急案件ではないでしょうか。 

 

アメリカではトランプ政権時にそれを見抜いて、経済制裁を徹底したわけですが、その正しい当然の行為を非難したり、歪んだ形で報道するメディアが多かったのも、注目すべきポイントです。

結局このメディア報道姿勢によって、多くの日本人やアメリカ国民まで、本来あるべき国の経済のあり方を、見誤ってしまったのはそれぞれの国の判断というより、これも中国政府の商業印象操作の戦略とその成果が出だした、ということなんでしょう。

 

日本人と中国人の価値観や購買意識が違うのは当然と言えば当然ですが、コロナウイルスへの国民の対応が異なるのと同じように、お得な情報発信や流行やトレンドの誘導を計画するのは、その国の企業です。

中国は日本と違ってその方向性を政府が直接介入でき、日本でそれをすればある筋から徹底的にバッシングされる、しかしすでに何年も前から巨大な資本はそれさえも乗り越え、国の統制機能さえ効果の無いほどに影響力を持ち出している事実を、個々が理解した上で購買活動をしないとならない時代になっているのです。

もうこの時期に総括?この一年を経て、私たちが学ぶべきこと

今年1年もの長い期間を経たことで、コロナウイルスによる市場の混乱と、消費活動の度重なる抑制が、多くの人々にとって既存の流行性ウイルスとは異なり、危険であるという印象を定着させました。

新種のウイルス自体、SaaSやMaaSなど高致死率のウイルスが出たにもかかわらず、インフルエンザより性能が低いにも関わらず、ワクチン開発競争とアメリカ大統領選が目処をつける間は、オールドメディアに煽られて続けた、これが事実の概要です。

 

この事実は、経緯の理由はあくまで偶然と考えて、これから前向きに向上すれば良いと考えるのは正しいにしても、一方で多くの人が未だ未知の脅威に対する警戒感を、脳内に植え付けてしまったことで、今後何らかの脅威が起きた時には国民から率先して、思考停止し易くなったことを示します。

この思考停止へのプロセスが出来上がってことで、国家主導型の国々は国民の誘導が可能になったし、そうでない一見民主的な国々でも報道や、政府のネガティブな政策姿勢によっては、国民の危機意識を調整し易くなったと言えます。

 

もう一度大きな話題となった、ウイルス対策の要であるワクチンの効能を整理したいですが、誤解してはいけないのは抗体ワクチンは予防のために作られたもので、そもそも完全な再発を無くせるものではありません。

これを理解した上で摂取されている人はいますが、今回のコロナウイルスワクチンを摂取しても、効果は人それぞれだと予測できます、その根拠はそもそもウイルスと人間は共生関係でバランスを保つもので、駆逐は有り得ないからです。

 

これでは十分な説明になっていませんが、ウイルスの勢力を抑制するのは、人間の身体全体の免疫機能の性能次第だからで、個体の治癒能力次第であり、それは普段からの健康管理と健全な精神状態あっての前提です。

免疫力の低下しがちな高齢者や、別の疾患を持った人が感染率や死亡率が高いのは当然で、ワクチンは打っても結合部分レセプターを一部塞ぐ役割を果たすだけで、これは全てのウイルス予防薬や、ガン治療でも同様です。

 

今回のコロナウイルスワクチンは、日本では全額国負担のため打っても一見個々に不利益は生じませんが、それよりもこの一年の行動抑制による危機意識の大きな変革は、国民の税金の使い道を根本から変えていく懸念は大きいと考えています。

特に国家の枠を越えて、大企業や大資本のプロジェクトや製品が、メディア報道網やロビー活動によって国家予算の一部企業への収益化が正当化し易くなったのは、偶然なのかそうでないのかは別にしても、確定的になった功績は大きいでしょう。

 

安倍政権時代から、おそらくこうした動きは知られていたと考えられますが、その勢いは回避できなかった結果、首相は病み交代せざるを得なくなったし、より実務重視の菅政権でも困難を極めていると筆者は見ています。

それはさておき、結局国家予算レベルの大金を投じても、所詮人がウイルスを駆逐するどころか、共生関係に多少の優位性を保つ幻想を持てる程度の成果しか得られないし、その弱みを利用して資本家は国家という究極のパトロンを得たことになります。

 

それが事実だったとしても、私たちには知らなくても全く生活には影響が出ない点が、問題化浮上を回避し当たり前の社会として成立していきますが、これがニューノーマルの実像なのかも知れません。

そう、起こる様々な変化や革新が、大きな懸念を呼び起こさないように、いざ起きた時にはそれをコントロールしながら、一定の方向に誘導できる社会、これがニューノーマル社会の完成形だと、ようやく気づくことができました。

 

私たちはこの流れに、乗っていけば天災や宇宙からの不用な危機以外からは、安全にいつもの平穏な日々を得られる社会になるのです、その対価に国の予算を一部の管理企業や投資家に回せば良いだけです、簡単でしょ?

これからの時代はもう、国家としての国体は機能しなくなり形骸化していくでしょう、ポジティブな言い方をすれば世界統一経済社会が、ウイルスや災害からの不安を和らげてくれるでしょう、そういう未来はもうすぐそこです。

 

こうした未来は、AIによって膨大な情報から意図した傾向や方向性を、短時間で分析し抽出することが期待できるようになった最大の成果であり、AI開発に投資した企業はこの成果を多くの企業分析に応用できるようになりました。

この応用によって、企業はますます超効率化され、無駄のない経営を目指せる素地を持つことが可能である一方、国や政府機関は出遅れた分国家ありきだった仕組みが、バランスを逆転し民間企業側へ有利に働くと予測できます。

 

 あとは、私たちが働いている企業がそのトレンドに追随できるかどうかは、それぞれの経営方針と企業努力次第ですが、そこに乗っかりやすい指針として機能するのがSDGsでありシステムのDX化だと、企業経営者は腑に落とした上で戦略を立てなければなりません。

思い起こせばここもう何十年前から、日本でさえ経済の仕組みを大きく変えて、事業化に転用し大成功した事例がありますが、働く就業者側も、経営者の戦略を正確に把握したうえでないと、今後の生活設計は迷走することになります。

 

来年は、もっと効率的なAI分析によって、欧米・環太平洋・インド中東で経済圏の枠組みの再編成が大きく変わっていくと筆者は予測します、その姿は戦争さながらで新たな1年は、古いままでは日本の国としての立場をさらに微妙な立場に置くでしょう。

このような話は、これまでならば本来年末ぎりぎりにすべきでしょうが、これまでの慣例が通るほど悠長な時代では無くなるという危機感に気づけば、このタイミングでも遅い位です、さあ来年の事を書きました、鬼にわらわれるのでしょうか?

PCR検査に対する誤解と認識の違いが迷走の元

TVの街頭インタビューで、PCR検査がもっと増えないのか、という意見を聞いて筆者は驚きました、三密やクラスターなどのキーワードが、流行語大賞にあがるなど娯楽化するTVニュースの影響が出ているのでしょうか。

オールドメディア側は、事実を伝えているのですが、あくまで1意見であり、時間の都合上数件のインタビューで終わらせてしまうわけですが、時間を惜しむ傾向が有る現代社会では、この意見を真に受ける事も多いでしょうし、頻繁に流すことで煽りにもなりかねない、確信犯とも言えます。

 

筆者はネットと比べ時代に古いからオールドメディアと呼んでいるわけでなく、戦後から改善も無く旧態依然の報道を崩さないからそう呼んでいるだけで、本当の意味で"民主的"に事実を公平に報道する生真面目さを持って欲しいと願っているに過ぎません。

恐らく誰もが願っている事を、これだけ批判批判指摘されても、一向に何かに忖度するような偏向報道をむしろ増長させているメディアとして、何度でも指摘しているわけで、視聴者をエンタメ風姿勢で楽しませたり脅したりするのが、ニュースメディアの本道とズレていると言いたくもなります。

 

もしかしたら、正しく公正な報道してますよ、と聞けば真顔で答えるかもしれませんが、今回のコロナという新種の風邪ウイルスが年初ならともかく、年末までワクチン開発を盛り上げるように過剰に経済を混乱させた事は事実で、オールドメディアが素人同然の反復報道をした影響は否めません。

加えて、エンタメ要素が含まれると言うことは、公正というよりも嗜好でニュースを偏見する事を意味し、人によっては事実としてでなく、好き嫌いで結論を出しかねないとても恐ろしいことだとご理解いただけるでしょうか。

 

こうした報道姿勢の下地の上で、PCI検査は実に曖昧な判定結果や、測る度に結果が変わる信用性の低い検査で、国がなかなか補助金や保険適用をされなかったのはこのためで、すべて自費で受けなければならないのは当然でしたが、そんな低信用性の検査数を増えた分危険と判断できますか?

確かにコロナが原因で重症になったとか、亡くなったと言う事例もあるので一概に危険で無いと言い切れませんが、それより死亡者数の多い病気は前からもっとあって、コロナウイルス感染病だけがここまで過剰扱いされるいわれは無いと、もう半年程前から解っていての報道です。

 

流石にいくら素直な人でも、そろそろ違和感を感じても不思議はありませんし、医師会の会見を見るに、医療崩壊は限定された医療機関だけで、対応しているためにしわ寄せがキツくなってはいる病院と、従来通りの診療をしている病院の格差は大きくなるばかり。

米英の製薬会社で、ワクチンが準備できるようになってきた今頃から、急にそれまで沈黙していた医療機関が、妙に動きが慌ただしくなり出したのも、どうだろうと思うし、負担が大きい病院が優遇されないのは、何かの忖度や圧力でも働いてると思えてしまう。

 

そもそもこんなズレが生じてきたきっかけは何だったのか、明確にされないままワクチン完成で結果オーライになったり、オールドメディアはエンタメのように済まして涼しい顔をしそうだし、こんな結果を視聴者は期待しているんでしょうか。

このタイミングでワクチン接種が米英で実施されると、その効果や結果にもよりますが、日本に回って来るのが早くて来年春にも関わらず、年末年始はタガが外れたようにお祭り騒ぎのような反動が来そうで、そっちの方が恐ろしいです。

 

今、東京都でGOtoキャンペーン継続してますが、他の感染者パンでミック都市に比べ、圧倒的に多いこの都市がキャンペーン対象外にならない時点で、商業的にも医療的にも地方との格差を拡大させるだけで無く、パンデミックによる医療崩壊を懸念するのと矛盾しないでしょうか。

PCR検査が風邪の万能の試験効果が有れば問題無いですが、そうでない検査結果が決定的な経済活動の方向性を、決定付けている姿はとても異常にしか見えないのに、オールドメディアはしつこく繰り返す、この手法は暗に洗脳のそれを彷彿とさせる気味悪さです。

 

街中を歩いたり商業施設店舗に入ると、マスクをしている人は殆どですが、本気でこれらが効果があるかそろそろ半信半疑に陥ってこないでしょうか。日本人はそれ以前に接触感染の対処に有効な除菌や手洗いをキチンとしている時点で、優秀なのです。

欧米製薬会社でワクチンの完成の報道されたその前後から、報道はついに死亡者数増加を強調し出し、医療団体はまた体制の限界を訴え始め、各自治体はパンデミックの再来を警戒しています、他の風邪ウイルス同様冬だから当然ですが、もうワクチンが効こうが効かまいが、多くの人が進んで検体になる準備は整ったということです。