くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

AIの冷徹さは、人情を受け入れず人を道具にする

私達人間が、これからの未来を幸せに生きていくために、避けては通れない大切な課題は、AIという疑似知性との付き合い方次第ということになりますが、その急速な知能進化に人間が飲み込まれないかどうか、常に隣人を気にするように、警戒していく姿勢を崩すことはできません。

今のAIは千差万別で、多くのAIが実証実験中で、それぞれのAI連係も限定的であることから、AI利用の方向性もバラバラで、問題が起きても極めて限定的ではありますが、今後数年程度のピッチで進化が、格段に上がることを考えると、私たちの身の回りに浸透しつつあるAIの功罪について、考えを深めておく必要があります。

 

多くのAI開発者、特に日本人開発者の言うところでは、人と親和性のあるAI開発を目指す企業が多いと言われます、本来全てのAIがそうであるべきなのは、言うまでもないはずの事ですが、海外のそれ全般にすればグローバリズムの潮流に沿っています。

よって、AI開発の資本投入は必ずしもそうでない事の方が、多くなりつつあると当時に、より開発意図は秘匿性が高まって、人との親和性の有無を含めて、陰にかくれた存在になりつつあるわけです。

 

AIはアルゴリズムという、電子世界の決まりごとに則って、判断され実行されますが、その判断の過程がAIによって、概ね任されるため、開発者でもその経路やルールはわからないと言います。

これは自動学習機能を使った、人からの命令とは独立した機能で、覚えたことをアルゴリズムに取り込める性能を備えているためですが、AIの判断を学習機能に依存するか、製作者の指示を基にするのかは、彼らの目的によって千差万別です。

 

ただ、総じて言えるのは、今の所彼らには感情や情動などの、人の苦しみやストレスを、汲み取る機能はなく、合理的に目的への最短コースを、導くだけが仕事なので、人間から見れば、非人情に感じたり、冷徹と感じる程融通が効かないという、人間感情を逆なでする判断を下される、これをされると人はAIに理解をしなくなります。

これがAIの学習不足で偶然に発生し、一時的に齟齬が発生するのは、仕方がないのかもしれませんが、この行き違いが頻発すると双方の関係は悪化し、静かな抗争に発展しかねませんし、さらにこのトラブルをAIが意図的に起こし、ストレスを増殖することで、目的を達成したり、人の思考や行動をコントロールするようになれば、それこそ戦争になりかねません。

 

その限りでは、戦争にこそ即繋がらないにしても、人が人材や顧客として認識されない恐れは、十分にあり得るでしょうし、何よりも人にとって働きやすい環境とは言えないでしょう。

要は、プログラマーがどれだけ人に配慮する意気込みはあっても、彼らを管理する企業やスポンサーの意図には逆らえない以上、AIの純粋さはより高い合理性を実現できないでしょう。

 

開発資金の提供者達は、純粋な高い合理性を求めていないのかもしれませんね、もっと露骨に言えば、儲からない合理性は邪魔でしかないし、人との親和性も利益に背反する歩み寄りは、とんでもないということになるでしょうね。

これまで、マネーを社会秩序の価値基準として、ヒエラルキーを構築してきた資本層にとって、AIはその進行をより合理的にかつ、速やかに人を使わずして実現する道具であり、ドラえもんのようなAIは、むしろ不都合な未来を計画できる、ルートマップにすごないのでしょう。