負の歴史は繰り返される、それでも日本は昔のままでいて欲しい
数年前までは思いもしなかったこと、かつて太古の時代…人さえも居なかった地球上は、今では見られないような大木の森や、誰も使うことの無かった資源、たとえばシリコン系素材や金やダイアモンドなどの今では貴重な鉱石が、無尽蔵にあった時代が存在したと、一部の考古学者や自然学者で推測されています。
この先は陰謀論的・都市伝説的な推測に過ぎなくなるかもしれませんが、そんな資源豊富な地球に何者かがやってきて、気を伐採し、根こそぎそれらの資源を採掘指定った歴史が、存在した痕跡があると、気付く人々が出てきました。
なぜこんな話をするのかというと、これら一見信じがたいスケールの話…そりゃそうでしょう、現在の人類のサイズからでは、蔡吃規模が余りにもデカすぎる、例えばアメリカ大陸中央にえぐられたようにあるメキシコ湾、あれは巨大な採掘場の後に海水が入り込んだもの、だとか。
地球上には森は存在しないと言われる通り、テーブルマウンテンなどは実は木の幹の切株だったとか…スケールがデカすぎても、良く観察すると私たちの身の回りにある、切株や採掘場と経常が瓜二つという事実に気付くと、世界観がガラッと変わってしまう。
こんな体験をしてしまうと、ふと頭をよぎることがあります、それは最近のレアメタルやかつての燃料としての材木伐採や、金・ダイヤモンド・石炭石油の採掘ラッシュ…その現実の歴史が、上で書いた太古の出来事と、スケールの差はあっても重なるって…ぞっとしました。
つまり、知的生物となるにあたって進化上、科学技術の進歩もどこの世界でも、同じような進み方をする、という普遍的な現実は変わらないということ、そう考えれば太古の地球で起きたであろう、資源の乱獲の名残が今の地形に残っているという、一見荒唐無稽な話もあながち否定できなくなってくるのではないか。
先週、国連の気候変動枠組み条約において、30年の温室効果ガス排出量が、2010年比で16%増加見通しと予想を出しました、これはパリ協定目標に不十分だそうですが、この予測に則れば、今世紀末までに気温が2、7度上昇すると、試算まで出しています。
また、世界気象機関WMOという私的組織がありますが、 20年のCO2世界平均濃度が、観測史上で最高記録更新だそうです。
また、昨今の急速なグローバルレベルでのインフラのDX化によって、自動車に不可欠なバッテリーメタル・リチウムに、最高値が付きました、EVに足かせとなり、夏以降急騰供給足りず争奪へ向かうことが既に予想されています。
石油天然ガスでも同様です、中東産油国で炭素排出ゼロ目標を掲げることで、原油輸出外貨獲得へ継続、国内は再生エネ投資が加速して行こうとしています、ただこれは資源の調査研究結果の一部を、過大評価し資源は枯渇するとか、地球は温暖化に向かって危険である、という仮説に基づいているに過ぎない話が、絶亭論として独り歩きした結果出しかない筈でした。
しかしながら、SDGsなる仕組まれた仮想社会実現に向けて、実しやかに事実化され、世界で投資が始まってしまっている、一部の思惑思い込みを通すことが、既に世界共通の現実になってしまっただけの事ですが、これに反論することは疎外対象にされる仕組みが出来ているということです。
太古のも人類以外の知的生物たちによって、同様の歴史が生じたのでしょうか?歴史は繰り返すと言われますが、知的生命体の業というものは、永劫的に強欲で自然の進化とは相いれないものだったのかもしれません。
その中でも、日本人はまだ自然信仰を古くから貴び、自然の成り行きに身を委ねて生き延びてきましたが、その日本人的自然感は、どうやら知的生物の本道からは、外されていく運命なのでしょうか、日本人の努力や能力は、メジャー派が台頭するにつれ、アウェイ化していく道筋を歩んでいる気がしてなりません。
ここまでくると、私たち日本人の先達が伝え残してきたことは、古く新しい時代に全く役立たない者ばかりだったのかと、気がめいっていくばかりですが、筆者は決してそのようなことは無いと信じて、日本人としての誇りを捨てたくはありません。
世界のそれに比べ、日本の産業技術は日本人の気転の良さや器用さで、何度も世界の頂点を極めてきましたからです。
ただし、こんごのグローバル化に巻き込まれる社会では、日本人の人づきあいの純朴さを、少々正さなければならないかもしれません、人を説得する・時には誘導するのに人を騙すなど、その点日本人はなかなか”良し”とは出来ない程、潔過ぎた点が、相手が隙入る間を与えてしまっている。
彼らは平然と、一度契約したことを裏切るのは普通で、罠に欠ける事さえはばからないことが、往々にしてあり、日本人はその二面性・三面性をなかなか理解し受け入れることが出来ませんでしたが、ネットやゲームなどで国際交流が進むにあたって、若い世代から順には、その垣根もとれて、グローバリズムの嵐の中で”潔さ”を全うできる人材が増えているのだと、期待しています。