くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

依存的生活と主導的生活の差と古の智慧を未来に活かす

私達が普段生活している社会は、現実的で物理的なモノが存在する世界だと誰もが認識しています、それはコンピュータ等の人間に変わる、人工知能などあり得ない時代ではそれは当然でしたが、人類がいよいよ人の知能に匹敵する判断力や、それをも上回る処理速度を実現する高性能なコンピュータを持つに至ると、考え方はガラッと変わっていきます。

前回のブログ記事で、半導体の超微細化は実性能に比べコストが見合わず、意味が殆ど無いと書きましたが、強いてメリットがあるとすれば、次世代コンピュータにあたる量子コンピュータ、そしてニューロコンピュータなる、AIを格段に性能アップさせる装置への利用において、小型化する際に必要となる可能性は残されていて、その技術如何では映画マトリクスの世界が現実味を帯びてきます。

ニューロコンピュータの実用化

ニューロコンピュータは、1990年頃までは人工知能理論実証のために、実験的なハードウェアが試作止まりで、実務的なニューロコンピュータが注目されのは2010年代に入ってからと言われ、構成しているのはニューロチップ、SyNAPSEチップとも呼ばれますが、この分野ではIBMがリーダ的存在です。

 2011年にIBMはコグニティブ・コンピューティング・チップを開発、これはニューロコンピューティングに特化したSyNAPSEチップ。2014年には、これを発展させてTrueNorthを開発し、郵便切手サイズのチップ1個内に100万個相当のニューロン、2.56億個相当のシナプスを有しました。

 人間の脳のニューロンは1000億個、シナプスは150兆個程度だとされているので、到底比較にはなりませんが、このチップ1個だけでもゴキブリ程度ですし、1000個並べれば猫程度になるのですから、特定の分野に限定すれば実用化の時代になったといえるでしょう。

IBMは、AIを「Artificial Intelligence(人工知能)」ではなく、「Augmented Intelligence (拡張知能)」として人間の知識を拡張し増強するものと定義しています。それにならったのか、ニューロコンピュータをブレインコンピュータということもあります。

 

ニューロコンピュータの特徴

超並列プロセッサ

ニューロコンピュータを構成するニューロチップは多数のコアプロセッサからなる超並列プロセッサだといえます。それぞれのコアが演算回路、メモリー、コア間通信用のルーターなどを備え、ニューロン間の結合の強さなどのパラメータは、すべてコア内のメモリーに保存され、プログラムに相当する情報が、コアの中に封じ込められています。

低消費電力

各コアは非同期的に通信を行い、処理を行わないコアはアイドル状態(電力不要)になります。しかも、ニューロコンピュータの周波数は1kHzと非常に小さい(脳は10Hz、ノイマン型は5GHz)。そのため、消費電力が圧倒的に低い特徴があります。

ノイマン型コンピュータとの連携

組込みシステム以外では、ニューロコンピュータを単独でシステム構築するのではなく、外部とのインタフェースや学習機能など全体を制御するために、ノイマン型コンピュータと連携させるのが通常です。大規模なシステムではスーパーコンピュータと連携させている。

用途

ニューロコンピュータは並列分散情報処理能力を持つため、音声や画像のパターン認識、意思決定などの最適化問題への適用、ロボットや複雑なシステムの最適制御などへの応用が注目されています。

 

人工知能には、これまでにもIBMのWatson、Googleの猫、コンピュータ将棋などが話題になりましたが、これらの例のコンピュータは、すべてノイマン型コンピュータである多数のサーバで構築されており、ニューロコンピュータ利用の例は未だありませんが、回路の微細化技術が進めば、近い将来にもニューロコンピュータに実装のAIが開発され、本格的仮想現実社会が現実化しそうです。

とりあえずは量子コンピュータとAIによる情報処理速度の爆速化と、予想値の多様化や正確さを格段に高めることができ、人が考えるよりも正確で速い社会現象・経済予測への対応が加速していくと同時に、今度はそれの阻害要因となり得る人の言動を監視・コントロールするフェーズにシフトしていくでしょう。

 

合理化される社会とはそういうもので、AIのシンギュラリティが畏れられているのは、当にその一点に集約されます、そのシステムに莫大な投資をし、それ以上の見返りを期待する資産・投資家にとっては”当然そうなるべき”帰結であり、陰謀論でもなく至極自然な流れでしかありません。

その未来を期待して、既に投資している者たちによって、まずは金融商品市場では人とは別にAIが投資に参加しており、人には到底不可能な速さで売買を繰り返し、これまでの相場の動きとは激変させつつあるのです。

 

金の流れを左右する金融市場から、投資の自動化が始まり、その後は社会問題や企業運営プロセスの予測から解決までの手間暇を、AIが自動学習機能で吸い上げ、ノウハウ・経験値を仮想的に積み上げていきます、ここまでくるともう人間では太刀打ちできなくなります、そして最終的にその成果は、投資家への収穫として独占されていくのは当然です。

それと並行して進められる、上に書いたコンピュータの飛躍的な計算能力向上で、シンギュラリティを迎えることになると、投資家は期待しているのです、その投資家とはその時点ではほんの一握りの者たちに限定されるでしょう。

 

その他の人々はどうなんでしょうか、人の思惑は無実化され、情報漬けにされた人に反乱を起こす気力も体力もないでしょう、人としての本来の機能を退化させられ、生きる気力をふり絞るのが精一杯なのです。

この悲壮な近未来SFの様な社会となる段階に、そうはかからないでしょう…そう20年もあれば十分かもしれません、もちろんこれは最短であり、彼らの目論み通りに全ての事が進んだ場合と見た場合でしょうが、遅かれ早かれこうした招かざる未来が来る選択肢は、現実的にあり得ます。

 

前回書いたように、誰一人そのサイレント・インベーションを問題視することさえ無く、今すでに起きている、コロナ禍の現実が多分に人為的要素があることに気付いていて、何とかしようと思っているかどうか次第で、未来がガラッと変わるということです。

筆者が提案したいのは、単に陰謀論に警戒しろとか悪の組織を根絶しなければならない、ということでなく、むしろ自分自身を柔軟に意識改造できるかどうかで、未来が変わるという昔から言われている些細な改善についてです。

 

日本国内でのコロナ対応に、緊急事態でも政府に満足して生活できている人と、不満や胡散臭さに生活を犠牲にしている人と、比べたら後者の方が多いのは、容易に想像できることですが、既に私たちはある意味これまであり得なかった事象が、あらゆるところで起きる社会の中で生活しているという事実で、考えようによってはこれも仮想現実社会マトリクスの中に、置かれている様なものではないでしょうか。

近い将来、本格的なマトリクス社会が実装されても、気が付くことは困難でしょうが、映画のの中でも主人公が、些細な事象に違和感を感じて、自らの行動力で真実の世界をみつけようとした、つまり混乱の中ででも自分の身の回り360度、五感が働かせられる柔軟性と判断力が、最後は自分を救う唯一の手段だと自覚できているかが、生き残る術だと思うのです。

 

それを実践するためには、表題の様な依存する生活に埋没する人と、リスクをとって問題をつかみに行く人とでは、確実に結果に差が生まれるのは言うまでもありませんが、その自分をささえられる大事なことは、陰謀論や精神論に関心や否定するのは自由ですが、その中に含まれる本質を咀嚼し、生活で体現できていなければ、単に精神安定剤としてしか依存できていないのと同じだということです。

また、体現できたとしてもそれらを人に強要したり、意図的に隠すようではまるまる自分の自身の無さや、無能さ・不安をバラまいているに過ぎないのですから、自然体で柔軟に必要な時に必要なだけその気づきを生活に利用していけば良いだけの事ですし、日本には人としてあるべきお手本を、自然から学ぶ知恵が太古から受け継がれている、その目の前にある智慧の宝を無駄にしてはなりません。