くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

中国の常識に巻き込まれつつある日本経済事情

中国において、経営者と雇用者では仕事の真剣度が極端に違うらしい、商店で店主であれば売り上げをあげようと真剣に働くが、雇われはスマホで時間潰すとか、勤務態度がいい加減なのは珍しくないため、管理評価方法を強化して、ズルしないように管理監視を強化しているそうです。

あくまでこれは中国の就労常識の中での話であるのに、他国特に日本の様な勤勉な国でも、雇用者管理や監視を中国同様に、管理する必要が無いにもかかわらず、過剰な管理システムを導入があれば、それは”便乗”であり規制や統制に繋がりかねません。

 

こうした勤怠管理の改定は、経営のしくみ合理化に有効なため、企業は設備投資では関心が高く、優先的に導入しやすいけれど、雇用者の勤務態度評価などは、基準がないため、企業側都合でどうにでもなってしまいがちです。

自営ではこの裁量が自分にあっても、雇用では100%あり得ませんから、雇用条件の質と差し替えに、評価基準に不満があっても、飲まざるを得ないということで、雇用者の実績実力遺憾に、関わりのない要因で、雇用条件はコントロールされます。

 

中国企業では、共産党がこの決定権を持っていて、マクロの話で企業は業績をコントロールする際に、傘下に置く企業に理不尽な圧力をかけられます、最近子どもも学習塾に営利目的の活動を禁止させたり、IT企業にドル流出をさせないための経営介入をしたり、党の存続に悪影響を及ぼす経営は、ことごとく規制されています。

自由主義社会に住む、私たちから見れば理不尽なまでの経営介入は、他人事にしか映りませんが、これを日本国内に置き換えても、これと同じことが差し障りのないところで、じわじわと進んでいてもおかしくないわけです。

 

私たちは、この隣人の極例を見せつけられているため、些細な変化を見過ごすことになるのです、たとえば輸出してはいけない製品を、故意に輸出してしまうとか、外注した際に、中国下請けを介した際に、機密情報・個人情報を抜かれる、漏れるなど、最近の国内大手の不祥事が目立つ背景が、企業経営の構造的欠陥を、少しづつ露呈させつつあるのです。

この傾向は、戦後日本の経済復興時から、満州引揚げ帰国者によって、企業のみならず政治立法行政に、大きく関わってきたと考えられ、日本人に紛れてなりすまし中国人も、この中共思想計画に根深い関わりを、日本復興のどさくさに持ち込まれたのです。

 

今では、要人となった者の誰が日本人で中国人なのか、もはや証明は困難であり後から追及しようとしてもDNA検査を要求しても、潰されて逆に犯罪者扱いされて良しです、深田氏が正しい主張を証拠を持っても、不利になるのはこの背景があるからです。

戦前に、日本の経済力を支えた財閥系企業が、戦後解体され骨抜きになった経緯は、GHQの日本国体破壊プログラムと、中共の長期的な世界戦略との間で、成長させられてきた結果と言えるでしょう。

 

現在でも、トップダウン式に計画的に、中国系人材フィルターを経由する可能性の有無や、資金特に基軸通貨ドルの流出が起きやすくなる仕組みが出来上がっているようです、結果いくら日本人がせっせと働いて、業績を上げても輸出で持っている以上、外貨はアメリカ中国に流れるしくみです。

よって、日銀がいくら円を刷っても、ドル流出は抑えられず、日本が永年デフレから抜け出せない理由にもなっていて、バブル時のような、異常なほどの内需高騰現象が起きない限り、政府も緊縮財政を続けざるを得ないということです。

 

この状態の中でも、優秀な日本企業は輸出やその関連サービス業などで、利益を上げ外貨を獲得し続けてこれましたが、ここにきてコロナ禍の経済壊滅と、半導体供給不足による製造業の生産計画の悪化が、追い討ちをかけようとしているのです。

よって、日本企業はさらなる努力を要求され、原材料高騰の中で資源調達をし、生産原価をさらに圧縮せざるを得ません。

毎度引き合いに出すトヨタ自動車は、これまでにこの時代の流れを読んでトヨタ生産方式で逃れ、現在も世界トップの業績を続けていまし、世界の企業で唯一無二の製造業でかつ業態を維持してきた企業といっても過言ではありません、IT企業や中国のような極端に人件費圧縮できる企業ならまだしも、製造業で順調に業績を伸ばす企業は、もう奇跡でしかありません。

 

もう一つ、日本経済を追い詰めた要因は、ニクソンショックでした、1971年8月15日、奇しくも終戦と同じ日に米国のニクソン大統領が、新たな経済策として金とドルの交換停止などを宣言し、「ニクソン・ショック」として世界を衝撃が駆けめぐったものです、宣言で基軸通貨ドルの国際信用は失墜し、1ドル=360円の固定相場制は事実上終わりを告げました。

 

50年前のニクソンショック 金相場に縛られた相場から札を増刷可能に→業績相場

ビットコイン相場が上昇 10年債と連動?

富裕層税 世界で模索 格差是正コロナゴの財源 国内議論衆院選控え低調

期間投資家 ETFで節約 低コストで購入増 証券会社に商機

 

蓄えてきたドル資産が日本復帰時に目減りすることにつながり、急成長の国内製造業は混乱し、その勢いに水を刺すことになる、当時ドル優位性に最も恩恵を受けていた日本が、いっきに振り出しに戻された格好でした…。

ニクソンショックについては、引用文を参照ください、日本はどのようにして縛られていくのか、その大きなきっかけになる事件、ご記憶なる方もない方も、ちょうど50年経過した今、知って置く必要があるでしょう‘。

 

次回に続く

 

ニクソン・ショック50年 藤井裕久財務相「来るものが来たということだ」

 

1971年8月15日の「ニクソン・ショック」当時、官邸で竹下登官房長官の秘書官を務めていた藤井裕久氏(後の財務相)は産経新聞のインタビューに対し、米国がニクソン・ショックで示したドル高是正の動きは日本政府内でも想定されていたと振り返った。主な一問一答は以下の通り。

 

--当時の首相官邸ニクソン米大統領の演説を聞いて相当混乱したそうだ

 

「そうではあったが、佐藤栄作首相は直ちに水田三喜男蔵相に為替の対応を指示し、この問題は佐藤-水田ラインで進められた」

 

--竹下登官房長官も一定の関与はしていたようだ

 

「会議の調整作業くらいだ。佐藤首相は次世代を育てる意味で竹下氏を官房長官に抜擢(ばってき)した。前任の官房長官だった保利茂氏は重鎮。秘書官だった私が言うのも何だが、当時の竹下氏は、保利氏のような力はなかったし、経済政策が全く分からないし、発言力もなかった。だが、吸収力はあり、よく大蔵官僚を招いて勉強をしていた」

 

--当時大蔵省の勉強会で円高の話は出ていた

 

「水田蔵相は円切り上げへの流れを完全に分かっていた。大蔵省も米国の要求を受け入れないといけないという暗黙の了解があった。来るものが来たということだ」

 

--1ドル=360円が308円になり、その後完全変動相場制に移行した

 

「水田蔵相は308円より円高が進むと考えていた。『1ドル=308円』は日本国内がその時点で納得できる線としてまとめた政治的なパフォーマンスだ」

 

--日本経済は円高の波を乗り越えてきた

 

「固定相場が消えた後の日本の経済力は、政治家も企業人も含めて日本人の先輩たちが一生懸命戦ってきた努力の結果だ」

 

--佐藤氏は福田、水田両氏を蔵相に起用し、重用していた

 

「佐藤氏が田中角栄氏を嫌っていたのは事実だ」

 

--その田中氏は、佐藤政権の懸案だった日米繊維交渉を通産相として決着させた

 

通産相秘書官の小長啓一氏を通じて、官邸にいる私に『大蔵省に行って2千億円取ってこい』と言ったんだ。繊維業者に自主規制させる代わりとして出す補償金のことで、『業界にまく金がいる。それで繊維交渉は妥結できる』と。まさに角栄方式のバラマキで解決させた」

 

--ここから田中氏の力が増したのではないか

 

「佐藤氏は後釜に福田氏と考えていたことは間違いない。しかし、田中氏が戦って取った。佐藤氏と田中氏は政権の引継ぎのときに握手していない」

 

--「ポスト佐藤」で争った福田、田中両氏について、経済政策という視点からどちらを評価するか

 

「はっきり言えば、福田氏の経済政策の方が正しいと思っている。田中さんは、とにかく恩人。(衆院選に出るときには)選挙区まで決めてくれた。それと、経済政策で評価するのは水田氏だ。今の消費税につながる付加価値税の導入を主張していた。導入していた欧州を視察し、これをやらねば日本は豊かにならないと。私は水田氏の影響を受けた一人だ」

 

--ニクソン・ショックが与えた教訓は

 

「経済も政治も歴史の大きな流れには逆らうことができない。そうしたことを理解している政治家を育てないといけない」