くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

日本人が置かれつつある存在への危機感と、行動すべき時とは

先日、国内の難民申請者の扱いの是非について、入管難民法の改正が見送られたとの発表を聞いたのですが、筆者は難民申請者で国内で犯罪を犯した者が半数いたと解釈してましたが、実際は犯罪者外国人が難民申請をすると解って愕然としました。

つまり、入国した外国人の中には犯罪前提で入国し、国が国外追放できないのを知っていて難民申請すると考えられますね、日本では法律上難民申請者は母国へ送還できないようで、その法律の穴を悪用していると思われますが、最近一般者からの報告では、そうした法の抜け穴「ざる法」が、日本には数多くあることを指摘されだしています。

 

これは、多くが指摘するように各時代の与党政府が利権などで敢えて抜け穴を作るケースと、最近多くみられる野党の法案成立への猛反対・妨害とか、政治的影響力の強い有力者からの物言いのつみかさねで、国の利益を護るはずの法自体が機能しなくなっている。

これらを見過ごしてきた国民にも責任は或るのかもしれないですが、政府が目立たないようにこっそり法案可決させたり、メディアが偏重報道をして判りにくくする悪習が、多くの原因でしょうから、個人メディアも普及してきた時代に、このような姑息な行為を糾弾する行動を、宣教権行使と共に私達が実行する必要があります。

 

その実行には、幸いなことにフリーメディアがあるメリットは大きいでしょう、その恩恵の一方で報道姿勢としては素人の私たちは、プロと肩を並べて事実を後悔する自負と姿勢を持たなくては、彼らの手法に負けてしまうことも事実です。

そのメディア専門家に打ち勝つには、唯一利の有る人数の多さを有効活用しなければなりません、加えて何事にも無関心な姿勢を正し、自らを律していかなければ結束力は半減しかねませんね。

 

前回、筆者の近い将来に起きるであろう今後のグローバル化への話を書きましたが、これらに繋がる事実が今後、ニュースの端や情報の隅に現れてくるはずで、ただでさえ偏向報道や自由なハズなのに情報規制がかかる中で、見過ごさないようにしていかなければならない現状で、上の様な”あり得ない現実”に正面から意志を示していかなければなりません。

今後の情報社会はご存知の通りに、仮想現実やAIによる”本物らしいフェイク”も織り交ざって、私たちを混乱させていく社会に進んでいくでしょうし、それらを規制監視していく政府の姿勢が、これ以上悪化していけばその国に住む人は、国家に従属する意味さえ低くなっていきます。

 

これはすなわち納税義務の放棄につながり、国外移転者の増加をうむ切っ掛けになっていく極めて危険な傾向ですから、それぞれの国の中で護るべき規範と変えるべきルールを、私達が率先して行動で、示していく積極性が試され鵜と言うことと、筆者は解釈しています。

つまり、国の法律が必ずしも国民を護ってくれない事が解っている以上、法律を順守するより自己ルールで自分自身を律していくしか無くなっていくということですが、一方でそれをはき違えて、ルール違反を常習化させていく人も増えていくかもしれません。

 

その判断基準が、あまりにもお粗末だった場合に限り、自己判断で自分自身をリスクから遠ざけていくスキルを養わなければならないということと考えます、その判断に日本では幸い古くから日本独自の自然信仰や神社という規範が存在し、神が信者を律する宗教とはまた違った、自由を与える神の下で自身を律していく民主制を重んじる風潮を、これからはしっかり守っていく習慣を身に着けていくことにならないでしょうか。

何となくでも、日本人ならこの感覚は教わらなくとも理解できるから不思議ですね、仏教とも儒教とも、ましてや他の宗教とも異なる、日本独自の自然全てに神を見出す考え方、自然を尊ぶことでそこから有難さと恩恵に感謝し、その中で生かさせてもらえる感謝の気持ちから、自然と自分の行き過ぎを律していく、自主自立の精神。

 

おそらくこの観念は、天皇一族が数千年の間、国のあるべき姿として存在し続けてきた、その事実だけが、こうした高度で無理のない概念を護り育ててきたのだと感じられますし、神教が生活に馴染まなくなって来つつある今でさえも、私達は自然と神社に手を合わせ拝む風習は、至極自然にしている事こそ、日本人の習性ではないでしょうか。

街の中を走っていると、神社の前で往々にして頭を垂れる人が毎日のように見かけるのは、その行為が習慣化されているからでしょうし、習慣化させれば朝歯を磨いたり、手洗いを叶らずするのと同じで、生活上苦にさえなりません。

参拝した後の気分の清々しさ、これを日本人なら誰でも実感したことでしょう、仏教間で言うところの性善説に従順な気質を、海外国の行為から見れば利用されたり騙されたりするのは茶飯事ですが、自然を敬ってきた素直さを、世界と付き合っていく中で捨てるべきか、それとも進化させるべきかは、日本人一人一人に課せられた課題です。

 

今後、世界的な規模で人口は減少していきますし、そうなる様に様々なグローバル戦略が課せられていきますが、人口減少が進めば小さい国から淘汰されていくことになります、特にアジアには小国が多くあり、発展途上中でない限りもっとも初期に淘汰される可能性は高くなっていきます。

その中に日本は含まれるわけです、いまのところ経済が好調なので安心なのかもしれませんが、10年単位のスパンで見ていけば次の年はどうなるかわかりません、その間にも人口は確実に減っていく行き、日本の優位性は比例して減少するのは避けられません。

 

その10年単位での日本の成長戦略は、果たして出来ているでしょうか?次の世代に確かな未来を引き継げているでしょうか?その問いを常に考えながら、出来ていなければ行動で政治を正し、経済を支えるしか私たちの未来は、継続していけないでしょう。

そのためには、リスクを避けて無難な道を歩むなどという選択肢は、もう残されていませんので、変えるべきは正々堂々と変え、淘汰させるべきものは躊躇なく勇気をもって止めさせる、その誰にでも分かるように行動するのは、これまでの日本人には抵抗が大きいのかもしれませんが、指をくわえて消滅を待つ愚かさを、誇り高き日本人として恥じるべきではないでしょうか。