くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

良いこと書いたと褒められたいのか、書きたいことを書き殴っているのか、夢と直感は人としての大事な証

先週、深田氏の意見が賛否両論出ている件で、筆者の見解を書いたのですが、彼女のような意見は分野が専門的で、一般的な人にとって重要な議題にもかかわらず、エビデンスを求められても証明し難いケースで、筆者が往々にして提言するテーマも、同様にまともなエビデンスなど示せない話に、敢えて踏み込んでいます。

誰もがエビデンス、つまり根拠や出典基を要求する風習ができていて、それは良い傾向なんですが、一方では意図的に省略したり偏重的な根拠を採用するケースも多く、相変わらず権威や評判に引き摺られる、結論ありきの論壇が多いのも事実で、また一般人では証明が困難な場合、意見を言えなくなってしまうような、民主的には機会損失が発生しかねないのも事実です。

 

こうした、一歩間違えるとファンタジーやフィクションになりがちなテーマは、語る側の意図がどうであるかによって、価値は大きく変わっていくと思っていますので、筆者も可能な限り根拠は示しながら、それが困難な場合は単なる自慢や興味本意でなく、伝えたい相手に有益かどうかを、意識して伝えられなければならないと反芻しながら書いています。

その意味で、多少胡散臭い内容が含まれていても、例えば若干疑わしい内容が含まれていても、深田氏の提言はまだ価値のある話だと言えるし、危機感を共有しようとする誠意が伝わる以上、聞く耳を持って良い話だと考えられます。

 

ニュースの中にさえ、その聴く側への誠意どころか悪意さえ感じ取れるものが、オールドメディアに蔓延した事実と比べれば、むしろ価値は相対的に高くなる位で、一番危険視すべきは聴く側がキチンと自分で分別をつけて判断しているかどうかが、重要だと考えています。

よもや、日本の将来が決まるような話を、安易に人の意見を鵜呑みにして、人にまる伝えするなど論外で、その行為には責任転嫁と自分の価値を、わざわざ自ら下げる行為でしか無いことを自覚できているか、よくよく考えて発言すべきです。

 

最近は、じっくり本を読んだり上質な文章から、たっぷり時間をかけて情報を吟味できる機会が減らされているようで、とても残念でなりませんが、情報が意図的に氾濫させられ、紛らわしい話が混ぜられる時代で、これらはAIの加担もあってか、人には分別がつきにくくなってきているのも、厄介です。

AIは伝える対象、つまりターゲットへ相応しい情報を、効率よく流す術に長けていますので、SNS利用者ならすかさず発信者の傾向から、個人の嗜好性までを短時間で特定して、それに最もマッチする情報を、垂れ流して情報漬けにしながら、感覚が麻痺したところで、誘導的な情報を少しづつ加えていきます。

 

もし、あなたが先に書いたような、安易なインフルエンサーだったら、そうした造られた情報をウイルスのように転移させてしまいかねないわけで、だからといってもたもたと耳を塞いでいては、取り残されるとか遅れを取るとかの強迫観念に、ガタガタ震えていなくてはなりません。

もし、あなたが既に人生をリタイアした人か、一生金に不自由しないような境遇ならば、それでもいいかもしれませんが、社会的に現役でこれからグローバル社会の波を渡り歩いて行かねばと、もがいている人ならば、筆者は他人事にできないので、一緒に考えていきたいです。

 

だからこそ前回のような陰謀論まがいの不確かな予測をしたり、十分なエビデンスなしでも書かなければ危うい意見は、見切り発射と言われようが躊躇なく書きますし、後は読む側が自分で吟味したものを、自分に役立ててもらえば良いですし、そのプロセスが重要だと考えます。

その意味で今回は続編的な基礎情報としての話で、AIのゲーム的判断の減少・増加の可能性について書きたいと思いますが、上で書いた様に人へのしばりをするAIが、労働力として見た人間を、今後どのように活かしていくのか、いよいよ政治的なリアルな話から、SFじみた仮想の未来へと考えを、展開していかざるを得ない段階に突入しています。

 

こんな話は、まだ誰も本気にはしないでしょうが、少なくとも筆者が損得なしに合理的に考えると、そうなるだろうというしかありませんが、AIの進化が早すぎて人間の思考のまとめが追いつかない、と言った方がしっくりきます。

ここまでだけでも、陰謀論者と区別がつかない話を何度もしてますし、証拠を示せといわれても、一介の一市民にそんなことができる筈が無いのですが、興味があれば続けたいと思います。

 

これは夢にでも出ないと、なかなか実感しにくいのですが、夢の恩恵は人間が起きている時の思考速度の、何十倍もの処理をするのに貢献していて、人間の唯一AIに引けを取らない能力だと思えます。

朝起きた時には、ほとんど自覚はないでしょうが、オカルトじみても正夢だとか、発明のインスピレーションに繋がったり、想像以上の能力に貢献していたりする位、一種の超能力なんじゃないかと、感じたことはありませんか。

 

もちろん、エビデンスなど示せることではありませんが、多くの方々が体験的に納得できる事実でもあるわけで、信じ込むのもどうかと思っても、無下にもできないのも不思議なことです。

日本人なら、神がかり的な迷信を受け入れる素地が、文化的にそもそも備わっていますので、徹底した西洋科学的な根拠も大事なのですが、天から降りてくるような神がかり的な、直感もAIのようなマルチタスクをこなす脳の、未開発な能力の一端だという意見を全否定もできませんね。

 

その意味では、一般科学的には人間がAIに追いつくのは不可能だとか言われますが、これも既にAIからの刷り込みが始まっているのかもしれませんし、陰謀論的にはなりますが、支配層が私たちをそう誘導しようとしている気来なのかもしれませんよ、ええw

それはさておき、今の段階でAIの進化段階である時期に、単にAIを敵視したり必要以上に恐れる必要はないでしょうし、今私たちがどう対処しているかの方が、リアルに生きている以上、そちらの方が大切なのでしょう。

 

ただ、多くの人が実感する以上に、AIの情報収集とその統計情報を活用した、AIによる行動誘導は間違いなく増加していて、生活に根深く関わっている自覚を、生活の一つ一つから感じ取って欲しいのです。

繰り返しますが、人生だけで無く人間としても、リタイアする気が無い人ほど、その感受性は今後ますます大事になり、AIに対処する際人間の武器になるというか、最後の砦だという気がしてなりません。

 

なぜあなたはそう主張するのですか、その根拠を示しなさい。そう凄まれて、エビデンス探しの迷宮に、ハマりっぱなしになったら思う壺、人間は他の動物に比べても妙な知恵を持つようになって以来、直感性や本能的行動を躊躇する様になってしまい、むしろ理性こそ正義かのように求められます。

でもちょっと待ってください、先ほども書いたように人間は本能と理性の両方を得たことで、夢や直感という優れた能力も持つようになったと言えないでしょうか、ただそれらを半信半疑でしか使えていないだけ、もっと深掘りしてコントロールする訓練はできないものでしょうか、前向きに…諦め無いように、その粘り腰も人として生きたい人には、大事なエビデンスになりますよね。