くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

医療が発展することは、私たちに喜ばしいことですか?

私たちの健康を維持することが、社会の安定と経済発展にとってとても重要な要素だと、誰もが普通に理解はしているものの、その総本山的な保健団体であるWHO世界保健機構でさえ、数多ある国際団体と同様組織が形骸化されています。

今回のコロナウイルスの情報も、WHOから医療方針に関わる重要な情報がリリースされ、メディアでニュースを目にされ注目された方も多いと思いますが、WHOのテドロス議長が最大のパトロンアメリカより中国に有利な判断をしているのは有名です。

 

こうした誰もが注目する国際団体の役割の公平性が、資金調達の偏りによって揺らぐ問題が、目立ち出している今こそ本来持っていた固定認識を、改める時期なのではないかと感じていますが、皆さんどう思いますか。

今回は最も身近な話題として、医療に関する気づきにくい変化について考えますが、筆者はここのところ幸いにも病気にかかってないので、疎くなってしまい健康管理が疎かにならないよう、医療の現状を見直してみました。

 

日本は、北欧諸国程ではないにしても、手厚い保健医療を受けられる恵まれた国のひとつではありますが、例えば同じ資本主義先進国アメリカでは、多くの医療はオプションであり、民間の保険に未加入だと、考えられないほど高額な医療費がかかるそうです。

社会主義国の中国だと、一見国民が平等なはずなので手厚い医療が充実していると思いましたが、結構政府の一存でムラがあるようです、人口が多すぎて手が回らないということもかんがられますが、GDP第2位の割には充実しきれてないようです。

 

いずれの国でも医療を含む社会保障を重視して負担を高くするか、オプションにして軽くするか、方針にどちらが良いのか一概には言えず、統一はされていませんが、先進国でさえ十分でない中で途上国は、国際医療団体や個人の支援なくしてはままなりません。

このように、進化の度合いより普及が追いついていない現状でも、医療が進化するのは喜ばしいことにしても、その進化を支えているのは民間の企業であり、来たる高齢化社会と医療研究がより高精細化することで、さらにや健康の驚異も増えてきてますね。

 

かつて唾を付けておけば治るとか、髪や仏に祈るしかないアナログな治療は、今や全てが数値化され科学的に研究管理される、成長分野にまで発展してきたことで、これからもさらに裾野を広げて、健康管理とか予防医療も含めてあらゆるところに影響していきます。

今まで全く医療とは関連性のないと思っていたことへも、あたり前のように医療は介入していくでしょうし、人々も何をするにも健康疾病に関わるリスクを、常に意識しながら生活するようになるでしょう。

 

今までは医療は生活する上では脇役だったものが、これからは否応なしに関わらざるを得ない超主役級に上がってくるような扱いになるでしょうし、これを私たちは意外にも素直に受け入れてつつあるのです。

世界の平均寿命が伸びたという情報によって、生活サイクルが思った以上に健康を意識せずにはおれなくなっていて、急激な社会のデジタル化でストレスも増えることはあっても減ることはまずないでしょうから、人の医療への関心は高くならざるを得ないでしょう。

 

この傾向は人によって格差はあるにしても、今後も増える傾向にあるわけで、昔から健康第一とは言われてきましたが、今後過剰な健康医療情報が氾濫し、その中でむしろ心配や不安が創出される、厄介な方向に向かいそうです。

その分、医療関連の組織や企業は多くの市場を確保していくことでしょうし、コロナウイルスで一時期パンクしかけた医療施設にしても、ますます存在感を高めていくのは間違いありませんよね。

 

もう一度書きますが、私たちのこれまでの意識では、本来医療は生活の一部でしかなかったものが、いつのまにか日常の中で常に意識したくなる存在にまで膨れています、しかも「健康に良い」などの触れ込みも一般化して、むしろ歓迎ムードさえ広まっています。

このジワるような健康医療に関わる産業は、今後も発展し私たちの生活に深く浸透していく近未来を、歓迎すべきかは問題視すべきか、はたまたどの程度関わったら幸せかを、この節目にしっかりと見直しておく必要があるのではないでしょうか。