くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

2個目。南国お隣のエネルギー革命は、日本の意識を改革する?

当ブログでライフワークにもなった、原発からの脱却と代替エネルギー発電の可能性について考えるその2回目、その解決策は根本的な政府や企業の体制が組み上がっていないと短絡的には動かない、その課題を考える第2回目です。

さて、今回は目線を海外に移し最新記事で見つけた台湾の取組をベースにすると、筆者も過去に訪台した際に台南へ向かう途中にや海岸沿いに、風力発電の施設が多いことに目を奪われたことがありまして、日本でもその取り組みは進んでいますが、現在あらゆるところで撤廃されるケースも目立っており、台湾だけで無くアジア新興国で積極的な新タイプのエネルギー開発が模索される中、日本はまた過去に戻っていくようで心配です。 

 
jp.techcrunch.com

Googleが台湾でクリーンエネルギープロジェクトを開始、アジアでは初 | TechCrunch Japan

 

この台湾の新しい取り組みにおいて、Googleとの協業によるクリーンエネルギー開発プロジェクトはこれからとはいえ、積極性は感じられるものであり、なにより驚くのは政府や自治体が原子力発電との入れ替えを前提にした開発プロジェクトである点で、日本のそれとは行政レベルで柔軟性と多様性の規模が違いすぎると感じました。

国内の動きは、エネルギー開発や発電設備の設置に、既得権益の壁が多くの課題をもたらしているために、良かれと思って進めても頓挫する憂き目にあうことが往々にしてありましたが、この問題は平成時代に入っても改善の進まない半永久的課題になっているようです。

 

平成以来大きな大きな可能性に有識者は、波力発電や地熱発電などを取り上げ期待したものですがそれ以来、小規模実施や自称実験の声はきくものの、今に至って実用化がいまだ見えてこないのは、先に述べた宿命も含め根本的な問題を抱えている証なのでしょう。

第三セクターや民間企業・ベンチャーで積極的に公的資源を使わない発電の試みを何度もニュースでみるも、平成時代についに成功が実らなかったわけで、本格的な国の補助というより、遠回しにその民間努力を管理していたかのような結果に、やはり中途半端な行政指導の本質を見直す時期かもしれないのです。

 

政府が原子力発電にこだわるのは、六ヶ所村のそれにかぎらず過去に莫大な予算をかけた手前もあり、いまだ採算取れないプランを無駄にできない意地があるのかもしれませんが、それを次の時代にも引き継いでいいかは彼らが決めることではなく、次の未来を担う人々が判断することであり、その点で今更失敗した既存発電システムへの執着と、過去の栄光を引き摺る選択肢は看過できません。

国際間の緊迫から国を守ること(国防)もわたしたちにとって大事なことですが、現状維持に既存の原子力から離れられない企業の体制だとか、赤字の穴埋めにさらに完成していない発電処理システムに固執することからの離別が、防衛予算と同じくらいに大事で、どれだけ次世代に負担をかけることかを理解する必要があるし、先代の偉業に感謝するにもそのツケまで引き継ぐ以上、今こそ大きな見直しの機会が必要な時期です。

 

何十年もまえから研究実用化が進められたはずの「核融合」エネルギーの実用化への成果も廃止されないまでも花舞台を飾ることはありませんし、クリーンエネルギーとしての太陽をはじめ、風力・地熱・波力によるそれも「核分裂」を基礎にした原子力に要した「遺産と借金」によって、本来あるべきインフラの実像が、少しづつ歪み出しているように感んじていることはとても残念です。

インフラの功罪だけでなく気になるのは、教育面の改悪が進んでいるようで、先ほど実施されたセンター試験の「歴史」「英語」の出題問題傾向や出自に、とても違和感を思えたのは筆者だけでは無いでしょう。

 

話はそれましたが、現政権が安定化し彼らへの委任期間が継続することでそれがスタンダードになり、私たちの希望や意見を通す機会が減る間に、景気安定をいいことに有益な政策に紛れ込む不利益な政策への疑問、それを阻止する野党も効力が無く、有権者の意見する手段がなくなっている間に、政権交代そのものが意味を無くし、間延びする政策に新しい試みへの可能性を詰む風潮が、まかり通らないことを祈りたいと思います。

今期待されるオリンピック・万博の経済効果も、どれほど私たちに得られるか保証はありませんし、少なく見積もってもその半分以上は企業の収益にしかならないわけで、なんか冷めている世相はそのために現れているのかもしれないのです。

私たちはドキュメンタリーちっくな演出とメディア情報に目を奪われることなく、自力で政策の実益をしっかり見極めなくてはならず、まるで野党と同じ機能を国民が持たなくてはならない時代に入ったのかもしれません。

 

このように一つ一つ見ていくと、一見景気が「やや」良くなった・悪くなったという景気感は気休めでしか無く、国内にある世界で起こる経済戦争の実感の薄さ、その危機感をどれだけマスメディアが伝えているかも疑問に思えてきます。

それは、決して経済的にゆとりのない国にとってとても無駄の多いことであり、善悪は別としてお隣の国のように的確な世界観を持てていない点でも、経済の安定以上に生活の安定を支えるエネルギーインフラの、根本的な見直しを断行する勇気を今こそ示す時だと、再三ですがその思いもあって共有しました。