くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

やっぱり、このウイルスって役不足では無かったのか?

このウイルスといえば、もしかしたら去年の今頃から既に日本に入ってきていたかもしれない、アレですね、もっと殺傷力の強いインフルエンザウイルスのように、発祥地の名前をつけられることなしに、世界中に野放しにされた上に、責任追及逃れをされた悪名高い小物ウイルス。

台湾の状態を見てください、海外が未だ過剰な警戒をし過ぎた結果、経済や生活をむちゃくちゃにされてる中で、この国内はもう去年とほぼ変わらない活況を呈しています。

 

日本国内で、このウイルス主因で亡くなったとされる有名人がいた事で、完全にイメージだけが先行して、死亡率が何十倍も高い(しかも冬季だけですよ)ウイルスより社会的影響が大きいとは、どう考えてもう、バランス悪すぎですよね。

ワクチンが無いという一点だけがネックのこのウイルス、実際の感染からそれが死因に繋がったか、未だはっきりしないまま、統計数の死亡者数以外まともに信用できる数字が出されないまま、更に曖昧な感染者数だけで、政治経済が大打撃を受けたのも、異常です。

 

ここまでちぐはぐなものを、まるで最悪なことのように真顔で扱うって、まるで誰かが「もし楽観的判断が誤りだったら、お前が全部責任取れよ!」と脅して回っているようにしか思えません。

実際、街を歩いたり人と話しても大きな被害出てないですよね、ヤバイ感触ありますか?そう、今の台湾が証明しているように、飛沫感染でウイルスは広まって無いんですよ、あるとすれば間接的モノ接触でしょうか。

 

台湾のように初期段階で海外、ぶっちゃけ感染源の中国からの人の流れを断った国は、概ね死亡者は居ないですし、それさえ完璧に実行できてれば、何の問題は無かったに違いありません。

日本は中国政府親派が政治内部にも、あらゆるところにいますから、初期段階では被害は少なくとも、その後もプライベートジェットとか、個人船舶で中国人の行来は許されれいたために、再発したというのが、実は本筋では無かったでしょうか。

 

今別のところで問題になっているウイグル人や中国系宗教者が、不当逮捕され臓器売買に利用されているという、おぞましい事実さえウイルス感染に関連しているかもしれないんですね。

もしも感染の疑いのある臓器を移植された人が国内にいたら?そういう中国人が日本に来たら?考えたくもないことですが、ぶっちゃけ可能だったんですよ、少し前まで一部の富裕層は個人機なら出入り自由だったんですから。

 

感染の元を徹底して阻止しなかった、政治や経済絡みの得て勝手な行動があった以上、いくら国民が一生懸命感染予防しても意味が無かったわけです。

これらが事実なのは、知る人は沢山いますが、忖度や身の危険を警戒して言わないだけでしょう、面に出さないだけで、殆どが薄々気づいてますよ、筆者は、専門家でも要人でも無いので、責任取るような立場じゃ無いので書けるだけです。

 

元祖左国や現在進行形左国は、事実を捻じ曲げるためにはのあらゆることをするという、話自体が回り回って「口に出したら殺される」という自己統制をかけてしまっているようですが、何年も前から左国の所業を暴露してきた人で、姿を消した人って聞いたことありますか?8

香港人が弾圧されても負けなかったように、間違っていると思ったことは、簡単に認めてはいけないんでは無いですか?今年過剰に有名にさせられたウイルスも、結局死亡者数比較で言えば役不足なのに、煽られたせいもあるでしょうが、過剰反応して自分で確かめなかったということなのでしょう。

 

このウイルスの役割は、タイミング良く試験薬やワクチン製造設備が整ったために、過剰に問題化させられ、ワクチン開発の正当性と予算の確保、そして大量の購入先が瞬時に決まってしまったことと因果は避けられ無いでしょう。

陰謀論だと言う人が必ずいますが、ビジネス的に見ても筆者が開発企業の投資者だったら、同じことを考えますよ、むしろ新しい市場を正当化するには、このウイルスはあまりにも都合が良かっただけのことですから。

 

シビアなことですが、市場を創るというのはそういうことなんですね、他の原因で亡くなられた方でもこのウイルスが死因した方が、都合のいいケースもあったでしょうから、死亡者数さえどこまで信じられるか。

実際に亡くなられる方に付き添った経験のある方ならごぞんじでしょうが、多臓器不全とか結局原因を完全特定なんてできないケースが多いんですし、医学の細分化が余計にややこしくしているように見えますし、昔はみんな老害で死んだで済ませていたんですから、わざわざウイルスで死亡したとどこまで証明できっるんですかね。

 

このウイルスは、武漢ウイルスと名付けられるべきだったし、SAASやいやワクチンがあるインフルエンザよりも相当役不足なもので済んでいたはずなのに、後に引けなくなったのか、どうしても大事にしたかったか、どちらかがだったのでは無いでしょうか。

今私達がやるべきは、自分の経験値で判断し行動する若者をバッシングするのではなく、理屈に叶わないことを疑って、自分で確かめた事実から正しい行動を起こす柔軟性のある行動ですが、モノが、無くなったら店に駆け込むとか、不安だけを根拠に精度の低い検査を受けに行くとか、その行動を模倣する方が余程怖いことだと思うのですが。