くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

沖縄変換50年に思いおこすべき、日本人としての精神

基地問題、世代間で温度差 若者は現状容認―沖縄県民調査

2022年05月15日 沖縄返還50年式典を迎えた際に、戦勝国と敗戦国アメリカと日本の関係を、多くの人が振り返る機会を得たわけですが、沖縄県民に向けての年齢層の違いによる、意識の相違が50年の月日によって、確実に広がってきたことを、まざまざと知らされます

沖縄に全国の米軍専用施設面積の約7割が存在することは差別的と思うかを、取材などで問われました、沖縄の本土復帰から15日で50年、沖縄県が昨年実施した県民意識調査で、今なお過重な米軍基地負担を強いられる現状を、60代以上の約6割が差別的とする一方、若い世代は現状を受け入れる傾向にあることが明らかになります。

 

沖縄県は1979年以降、3~5年ごとに意識調査を実施し21年8~9月の調査では、米軍基地に関する行政への要望や、子どもの貧困問題などを計5000人に尋ねており、有効回答率は69%だったそうです。

「県内に全国の米軍専用施設の約7割が存在することは差別的か」との質問について、全体の約66%が「そう思う」「どちらかと言えばそう思う」と回答、年代別に見ると「そう思う」と回答した人は60代が約57%、70代以上は63%に上ったが、10~30代は約24~27%にとどまり、20代の約21%が「そう思わない」と回答したと言います。

 

県の担当者は「戦争体験者ほど基地に対する抵抗感が強く、若い世代ほど低いのでは」と話すとおり、実際の被害や抑圧を体験しているのと知識として理解しているかの違いは大きいでしょう。

前泊博盛・沖縄国際大教授(61)も「基地問題の次世代への継承がうまくできておらず、ジェネレーションギャップを生んでいる」と指摘しており、前泊教授によると、米軍基地から派生する事件や事故の影響を体感してきた高齢世代に対し、若い世代の中には「基地はあるのが当たり前」「違和感がない」と話す人もいると言います。

 

戦後、米軍による土地強制収用で古里を奪われた住民たちは「島ぐるみ闘争」と呼ばれる抵抗運動を続けた一方、現在は人口の約9割が戦後生まれとなり、沖縄戦や米軍統治をめぐる記憶の継承の在り方は曲がり角を迎えているということです。

 前泊教授は「無知は無関心となり、無関心は無視につながる。(沖縄が置かれた)不条理を知ることが必要だ」と話しますが、この世代ごとの認識や価値観のギャップは、この話に止まらない誰にでもある身近な問題であることを、念頭におくべきです。

 

特に沖縄が本土よりも自由開放が遅れたことが、何を意味するのかを、日本人なら世代に関係無く根本から知っておくべきでしょうが、国は国民に対して啓蒙を怠ってしまいました、その理由は傷に塩を塗りたくらないということです、出来るだけ自然に忘れ去られる方が望ましいと願う当事者や政治家が多いということでしょう。

1番公にしたくないのは、アメリカと日本の関係は戦後から何ら変わっていないということです、むしろ新たな搾取関係がその関係を複雑にしていると言っても過言ではないと考えています、沖縄県民のジレンマは戦後成立した日本政府が、アメリカの要求を全部飲まされる条件で独立した恩恵に対し、徹底したアメリカ追従の道を約束させられた悲劇が、そのまま沖縄県民に反映されていると言っていいでしょう。

 

アメリカは今後も日本を極東地域の安全保障上の前線基地として、米軍基地と日本上空の制空権を維持し続けます、今後政権が変わった韓国や軍事供与した台湾と合わせて、極東地域の中国ロシアの太平洋進出を阻止する兵站として組み込まれていきます。

それを日本側は独立した国家としてではなく、あくまでアメリカ・西洋主導の資本自由主義圏、つまり一部の大資本家の権益を支えるマネー社会を維持するための、駒として存在し続ける日本を、沖縄県民・戦争で犠牲になった人たちは、当時望んで戦ったのでしょうか。

 

日本は戦争で負けを認めさせられたことで、公平なジャッジを受ける機会を放棄した事になっています、本来はそのような不公平な扱いは受けるものではなかったはずです、しかし現実は起きてしまった以上は、本当に受け入れざるを得ないのか、ロシアのようなグローバル経済に争う2局か体制との狭間でバランスを取っていくべきか、大きなそして最後のチャンスを目の前にしています。

おそらく目の前の餌につられ、つまりアメリカ体制側に付いているという歪んだ優越感に浸り続ける選択をやめられない、そんな未来が待っている気がします、このような葛藤が起きるのは昭和世代が生き残っている間でしかないです、その後の世代が日本人の当時アメリカが死に物狂いになって、根こそぎ消し去ろうとした思いや信念を、このまま忘れ去っていくのでしょうか。