くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

日本はアジア諸国にとって敵なのですか、味方なのですか?

かつて、大東亜共栄圏構想によって、良かれとして西洋列強国の植民地政策や民族搾取の世界から、日本が解放と自主独立を目的に援助を続けた結果、感謝される国として独立した国と、利用するために独立した国と二分する結果となったことに、貢献した主に軍人などの日本人は、どのように感じたでしょうか。

日本敗戦、その後生まれ育った日本人の多くは、その事実を知らされずに先般の罪悪感だけを背負って、西洋国へ貢献に値する教育と奉仕を、当たり前のように営んできた見返りによって、戦争放棄しても平和を得られたまま今日を迎えることができています。

 

その間には、一時は戦争をせず話し合えば平和は得られると、真顔で世界に親善大使のような外交を繰り返した時期も含まれますが、今のグローバル時代にあってその考えはあまりに独善的であると気づくものが増えています。

日本は高度成長で得た金で平和を買っていたに過ぎませんでしたし、その神通力も通用しなくなってきた今、ようやく隣の大国の軍事的脅威に、初めてその現実に目覚めることになったわけですが、時素手の遅しでその脅威の国はその平和に浸かり慣れた世代の日本人を、情報錯乱でその現実から遠ざけようと、メディアや法律の盲点をついて、未だに催眠術をかけ続けています。

 

若い世代は、その危機感を学ぶ機会をまず学校の段階から削られ、平和時代に慣れた親からも危機管理意識やスキルを教わることはありませんし、たまたまネットで知った事実を周りに聞いても、目を背けられるか空気が悪くなると嗜められ育っていくのです。

さらに厄介なのは、国外で起きる人権搾取や民族運動鎮圧が、なぜ治らないのかの因果関係に関わりなく、勧善懲悪的なジャッジで抑圧がわを批判、政府も“懸念”砲を連発するだけで、中国共産党北朝鮮・韓国の動向を放任する始末です。

 

その結果、公正な判断を求める国民からは、その情報が得られないフラストレーションが溜まりながらも、国が動かない以上国民はなおさら国際関係を正常に保てなくなってしまいます。

政府側に、または過去の政治家・企業家にどのような引け目がああるのか借りがあるのか、それは知るよしもないですが全く身に覚えのない国民が、海外の位置どんでならまだしも、同じ日本人の一存で巻き添えを食うのでは、納得はいきません。

 

コロナウイルスの対応によって各国が、それぞれの事情上で対策に奔走する間に、人同士の接触制限が常態化し、ますます直接の事実確認が困難になり、見聞きした情報だけを頼りに、物事をジャッジすることに慣らされています。

この環境は、コロナ禍であってもアフターコロナになっても、常態化し続けるでしょうから、過去に起きた戦争の経緯や紛争や革命の事情を知るための一次的情報は得られにくくなっていくでしょうし、むしろ一部に都合の良い情報の方が目に付きやすくなるでしょう。

 

その間に、歴史の一次的情報を知る人々はこの世を去っていき、今を生きるための現実的な事情と都合が最優先され、歴史の事実などは目の前の問題に比べれば、どうでもいいものにすり替わっていくことは、日本のような平和で民主的な解決しか選択肢を持たない民族には、不利な状況です。

一見矛盾するようですが、平和的にとか対等な立場で交渉したり、意見を受け入れてもらうには、相手と同等のパワーバランスを保てる、周到な準備が必要である現実を無視しできませんし、対応できないと外交に長けた国と対等な話し合いの場にさえ立てません。

 

もう、何もしない平和実現に固執する高齢者世代は、その恩恵から抜け出せなくなっています、彼らを説得する時間は残されてはいない今、それそれ以外の世代は自分の立場を守る行動に集中するしかないかもしれません、彼ら一部を置き去りにしてもしなければならない事にです。

若い世代にすれば、筆者も置き去りにされる立場になるのかもしれませんが、これまであまりにも、若い世代に対して未来への準備をお座なりにしてきたツケは大きいのだと考えれば、止むなきことでしょう。

 

幸いなことに、若い世代は高齢者世代に比べ、考え行動できる自由時間が圧倒的に多いという幸運は得られていますので、その優位性は生かして海外との新しい関係構築を目指せる機会は多いでしょう。

そして、海外との直接交流が実現したときに、日本の置かれた立場や価値観をリアルタイムに実感できることでしょうし、その経験はそれができなかった世代が、夢見たことでもあるのです。

 

特に日本に近い国々、アジア諸国の人々がかつて日本人がしたことについてどう思っているのか、もう無かったことに従っているのか、未だに恨んでいるのかを、実際に交流を持って体験していける機会を積極的に持って欲しいです。

筆者が大東亜共栄圏時代を知る日本人から見聞きしたことが、本当なのか間違いなのかを、自身の目と耳で確かめて行かないと、特にこれからのグローバル時代に生きる者にとって、ガラパゴスと言われないように、肩身の狭い立場に置かれないように、納得のいくまで確かめる、その行動力だけが答えを見つける唯一の方法なのですから。