くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

争うべきでない土俵で勝とうと思わない、膨れ上がる情報化社会での発想力

以前コロナ禍は戦争などの有事と同様の状態であると書きましたが、こうした有事になるとあらゆるところから”どさくさ”に紛れて、偏向情報が紆余曲折・横行すると。事実誤解を招きやすいニュースは以前から出されていましたが、この期には格段に日本国内で増えているのは、お気づきだと思います。

それだからこそ、可能な限り純度の高い情報を取り入れる工夫が必要なのですが、身の回りの手のかかる事が増えてしまう現状では、ある程度精度が甘くなるのはしかたもないことかもしれません。

 

偏向報道の増加、つまり誤魔化しやすい・まぎらわしい情報を発信しやすい空気が、こうした有事にそうさせる、悪意の発信者はそうした空気を敏感に読み取れるのかもしれませんし、そもそも私達とは違った情報の価値観を正当化しようとしているかもしれません。

それでも、私たちの多くが心地よい・耳なじみの良い情報を、無意識に求めてしまう限り、そのココロの隙間は的確に覗かれ、思わぬ結果を生んでしまう事実を忘れないようにしたいものです。

 

特に最近は世界中で起きていると言われる、動乱や騒動・デモ運動がひっきりなしに起きてしまうのも、そもそもは事実よりも偏向報道により誘導されて起きていて、実質上世界の”安保条約”によって、戦争を始めた国・組織は無条件で報復しても良いという、暗黙の約束事が生きている事への、疎開手段なのでしょう。

ところが、最近または今起きている動乱などに対し、何でもかんでも弱者側を擁護し強者側を叩く安直な傾向が際立ってきており、SNSなどで炎上・口論が過剰になるにつれ、別の問題を引き起こしかねないケースも頻出しています。

 

例えば、ウイグル民族へのジェノサイドや香港市民民主化運動・人権デモこれらとミャンマー軍事政権へのデモや、BlackLivesMatterなどのデモ暴動とは意味が違うため、湧けて考える必要があります。

 

前者等は中国共産党の圧政を基として始まっており、そもそも共産党の一方的主義を世界の常識と鑑み正当化出来ないので、擁護する余地はありませんが、後者はミャンマーも同様アメリカの選挙選や民間運動で、女性・人種差別などに過剰な意識が高まったことが原因で、しかもその国独自の政治駆け引きが絡んでいて、他国の入る余地は本来ありません。

身近な例では、韓国の徴用工問題で日本でも注目が高まった、被差別者からの賠償請求など不当な手段による、被害請求の手法が横行する時代にあって、安易に弱者に見える側への肩入れは、問題を複雑化させるリスクを含んでしまいます。

 

徴用工のような直接関りが無くとも、こうした経緯で起きるリスクは、日本にとって他人事でないのですが、問題によっては国内事情や歴史を理解していいと、かえって藪蛇になりかねない事案も少なくないということです。

ですので、メディアの偏向報道や情弱誘導の傾向はこれらの公平な判断を誤らせる為、少なくとも鵜呑みにしないよう警戒し、できるだけ時間に余裕のある時に入手し、冷静な判断を出来るように心掛けなければなりません。

 

人間は気を付けていても間違ってしまうものですが、間だからと言って違えても後へは引けないわけではありませんから、気付いた時点で訂正し必要あらば詫びれば済む話ですので、SNS投稿で一旦書いた記事が削除できないものもありますが、後で気づいたなら訂正する勇気は心得ておくべきです。

また、そうした性質を理化できていれば、SNSの煽り記事や急増した意見に流されない目線は自ずと出来てきますし、出来ればさらに一歩下がって、背景を独自に判断した上で慎重な意見交換を心掛けられれば、理想的ですね。

 

人のよくある一時的誤認や勘違いされやすい誤発信を、わかっている筈なのに攻撃する心無い人も稀に居ますが、それを畏れる余りなんでもかんでも沈黙したり、議論に勝たなければという焦燥にかられて、本質から遠ざかっては元も子もありません。

氾濫・スピード化する情報社会において、人間の思考能力はこれからもどんどん遅れをとっていくでしょうが、それはAIやコンピュータの処理速度に勝てるはずが無く、勝負する土俵がそもそもことなる不毛な競争に関わらない、そして思慮深い人ならではの思考をしっかり持つのが、本来私たちのアドバンテージだと思っています。

 

単なる感情論や攻撃的な意見は論外として、情報発信者がどこまでニュースを咀嚼して意見を述べているかは、最低限考えた上で意見を述べる習慣が必要ですが、これにはある程度下調べや掘り下げる時間が必要です。

一見陰謀論の延長線に見えても、陰謀と現実が紙一重なこともあるため、むしろ陰謀論的な発想の組み立ては、点の情報をイマジネーションで繋いでくれるため、全否定せずに意表をつく発想は、思わぬところにヒントが隠されていて、繋がる体験は一度体験すると、情報収集が楽しめるようになる、そうなればしめたものです。

 

情報発信の速度が加速度的に速くなる時代、私たちはその真っ只中を生きていかなければなりません、だからこそ意識して情報の多さから逃げたり端折ってしまえば、必ずそのツケは自分に帰ってきますから、積極的に複数の情報からどれとどれを組み合わせれば最短の結論を引き出せるかは、日々の訓練しか無いです。

最短の経路で最適解を見つけることをクリティカルパスと言いますが、収集した材料が適切であればあるほど、クリティカルパスの完成度は高くなり、AIの計算速度に負けないためには、異なった思考経路を常に考えてこそ、時代を生きていけるのではないでしょうか。