くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

平和を省みる日を迎える前に自国のヘイトを省みる。

梅雨明け一番で台風一過、多くの地域で夏の風物詩花火大会が中止延期になって少し残念ですが、隅田川の花火は決行できたようです。

www.huffingtonpost.jp

台風6号の影響で花火大会が相次いで中止に。隅田川花火大会の決断は...? | ハフポスト

 

さあ、いよいよ本格的な夏が来ようとする時期ですが、早いものでもうあと一週間ちょっとで8月6日です。

戦争のない平和な世の中でいられるのが何より一番ですが、この時期に様々な思いが頭の中をよぎります。

 

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広島平和公園発掘、国が補助検討 壊滅した繁華街を展示へ | 共同通信

 

安倍総理も参加し、広島の平和公園では新しい試みも実施されるようですが、弔いと希望が混ざった複雑な思いは、世界平和を願う他国の人とは、何か違うように思えてなりません。

毎年この時期になると思うのは、先人が犠牲となって残してくれた平和へのありがたみと、それを守っていく責任の重みですが、多くの人が享受されている今の平和は、単に平和を願って戦争を拒否し続けた結果実現しているものとは、決してありえない現実です。

 

つまり、戦後憲法を策定したアメリカへ、大金を払って軍事的に守ってもらい、隣国やロシアからの脅威から衛ってもらっている、ということがその結論です。

現実はいくら平和を祈っても実現するものでないことに、私たちはそろそろ考えをめぐらせ、自衛のためには軍事力が不可欠であることを認めなければならない時になっったということです。

 

この帰結はむしろ遅いくらいでしょう、安定政権となった与党によって憲法9条の一部が改憲されようとしていますが、それもこの一つになるでしょうし、本来暫定的に他国によって編纂された日本国憲法を、後生大事に変えずにきた私たちこそ、なにか大きな勘違いをしていなかったか?

この想いに至るまでに様々な想いと学びを経てきましたが、この考えを押し付けるつもりはありませんし、戦争を拒む思いはとてもよく理解できます。

 

ただ、現実に考えてみれば、どの国でも祈るだけで平和を維持できている国は一つとして存在しないということをみれば、自衛の策を自国で持つのは当然のことですし、現実と考えれば、少しでも早く実装するのが賢明でしょう。

 

平和はお金で買えるものということ自体が幻想で、それによって私たちはアメリカに数ある搾取を強いられ、今でも軍事的に属国として存在せざるを得ない現実をもっても、改憲反対や武器保持は認めないとだけ反対論を打っていていいのか、よく考えておいた方が身のためだということです。

それができなければ、日本を捨てるという選択はあるかもしれませんが、日本以外に金で平和を買った国はないのですから、選択のよちはありませんので、そもそも無駄です。

 

平和を得るとはどういうことか、平和活動がとても有意義であることは変わりありませんが、それだけで他国が首を縦に振ることはないのですから、私たちは自ら戦力を相当数持って、影響力を保ち続ける選択をしていくのが、もっとも平和を訴える結果になるのかもしれません。

どの国でも、戦争や紛争の犠牲者があとをたちませんが、この現実は平和活動での地道な活動を成功させる上でも、力の保持がどれだけの抑止になるかを今一度見直さなければなりません。

 

どこぞのメディアが、通り一辺倒に武力増強に異議あり的なヘイトを続け、教育界にも働きかけているという見方がありますが、平和ボケにされ骨抜きにされている傾向は確実に存在し、その思惑に逸らされ生まれ育った国への愛情を、素直に表せない国に平和への思いは、世界に届けられるもではありません。

それどころか、経済面政治面も国際関係において、日本の影響力は低くされ、過小評価の一途を続けることになったら、それこそ本末転倒です。

 

自国愛を厭わないものを蔑み、平和の名の下に非国民呼ばわりされるいわれはそもそもありません、むしろ国を守ろうとする自衛さえ反対するものが国内に少なからず存在することは、悲しい現実です。

こんな日本にだれがしたにしろ、命を犠牲にされた多くの英霊に対し、申し訳なさすぎて8月6日を迎えることはできない思いです。