くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

どう考えても避けられない「日本国憲法第9条」

私達の国と、近隣国や西洋先進国とのかかわりを整理し、落とし込んだうえでこの先の事を考えないと、どのようなロードマップを描こうとしても躓いてしまうことに、ようやく気付くことができた筆者としては、この話は避けて通れません。

日本はもちろん、どの国の思惑と未来を模索する際に、第二次世界大戦時にあれほど不利な条件下で、想定以上の反抗をし続けたモチベーションや能力を、今でもどこかの国々は警戒し、畏れていることを意味しているからです。

 

そのため、彼らにとっての日本の戦後教育・啓蒙は戦略的に・粛々と行われ、特に次世代を担う者が受ける「学校教育」構築・実施には、日本人の思惑よりも他国の思惑を色濃く織り交ぜた骨子が基になっています。

 

学校が教えない社会科・歴史・公民憲法第9条とは?」より

https://ncode.syosetu.com/n4357cw/32/

 

上のリンクは、小難しい憲法を子どもで\理解しやすく憲法9条を説明していたので、参考までに紹介させていただきますが、私たちは思い返せば教科書から学べた歴史について、相当数の虫食い教科書で学んだのかなぁ、という思いは今でも残っていて悶々としています。

筆者が自発的に歴史を学びなおそうと一念発起した理由は、その悶々とした思いに耐えられなくなったからですが、日本の独自元号改元初年である今年は、良くも悪くも日本について、たくさんの人が見直した年になりました。

 

その見直しの中には、表題にもある「憲法第9条」の改定の話題が含まれ、改めて戦争放棄と平和継続の方法について、身に迫った問題視としてクローズアップされ、国民全員が責任ある判断をすべき時に来たのかな、という思いが強いです。

因みに筆者の9条観は、上のリンクに説明されているものとほぼ同意で、平和の担保については、米との安保条約によって日本は本来の自国防衛の意識が麻痺したという実感と、戦争能動化には反対ですが独自の自衛手段無くして主権国家はありえ無い、と考えています。

 

日本は締結後発展できた経済力で、日米安保条約という「安全を金で買った」ことで、表面上、核兵器保持なしで他国の攻撃から凌げたと思われがちですが、その誤解が戦後の反戦教育と核被害者としての意識から、戦争を仕掛けた罰を負わされながら、平和の伝道師的な意識にとらわれ続けていたのだと認識しています。

この経緯をあえて日本人としてその甘さを鑑みれば、被害者の自虐意識の表れと自戒したい思いに駆られてしまうのです。

 

日本人って、これほどお人よしだったのかな???

 

その一方で、筆者の心には「否」の叫びが沸き上がり、この繰り返しと葛藤は未だに続いていますし、もし日本がこのまま何も変わらないのならば、おそらく死ぬまで続くことでしょう。

でも、最悪でもそれだけは避けたいのですから、こうして説教爺のようにウンチクを垂れないと耐えられないので、何度でも書き続けているのでしょうが、日本人はもっと賢い人々じゃなかったのかな?と、自国の歴史を自分で調べれば調べる程、思えてならないわけです。

 

 日本は地政学的には、長い歴史の間に半島や大陸の人々と語れないほど多くの心身的交わりや文化・技術のトレードがされてきましたので、本来採取・農耕民としての日本人は、外からの影響を受けやすくしかも寛容(おとなしい)し、歴史的に盛れば主従関係はありましたが、他国の常識からすれば決定的でなく、民主的・平等意識も高い人だと解釈してます。

もちろん、差別やいじめなどはありますが「出る杭は打つ」という、同列意識が起因するもので、他国のような殲滅行動からすれば大人しく、また直接の入植や植民地化も受けなかったことから、同列意識は強い部類だと思われます。

 

上のような意見は、局論者や局所問題論者にとっては、赦しがたい暴言としかとらないかもしれませんが、日本人の全体像を示す意味で筆者が学んだ歴史から感じ取った、日本人の概観です。

 

 さて、憲法改憲については、自衛による主体性の確保は、安保有るなしに関係なく、国として当たり前の行為であり、9条第1項は譲れないので、2項で自力での防衛(専守防衛含む)が任意で可能にするのが妥当だと考えます。

自衛隊の軍事力拡大を過大に危険視する意見は多いですが、普段の自衛隊の国民への配慮や、感情に走らない統制力と、インテリジェンスな判断力は、皆さんが見聞きしている通りで、筆者はむしろこれだけ優秀な自衛官の人材不足が心配です。

 

戦争を仕掛けられたさい、またはそれをネタに脅された場合、今のままでは全くなすすべがなく、しかもそれが実力ではなく、他国が一方的に決めた単なる法規制のために、自滅するのだけは、あまりに理不尽です。

筆者は、この改憲そのものが問題ではなく、その前後に起こるであろう、

【本来の日本らしい日本】

が復活するのに、都合の悪い誰かさんたちの悪魔のささやきと、独自解釈による事実偏重の動きだと考えますが、それでも日本人はそれをも越えて近い日に、日本人が誇れる日本人の姿を、きっとつかみ取ると信じたいです。