子どもに少しでも学びの機会を
参院選の結果からもわかるように、与党の過半数が保たれるも、投票者の真意には戸惑いもあり、今後も混沌とした行政が予想される中で、教育福祉への予算が十分に回らない予測もできます。
平成以前から継続される政府の緊縮財政の中、好景気時のような大幅財政出動もされぬ一方、保守面だけが強固に既得権益の食い合いは減ることがないでしょうが、それでも将来の希望である子どもの教育は、不可欠です。
できることから、スマートではなくとも地道に学習の場を増やすしかありません。
不登校児童生徒をアプリで学習支援 名古屋市が取り組み:愛知:中日新聞(CHUNICHI Web)
各地方自治体においては、政府補助の減少傾向に思うような教育施策も打てないために、独自のアイデアと限られた人材を駆使してサポートを行うしかありませんが、新興のITサービス関連企業の増加が目立つ中では、市場の増加を見込んだ教育関連プログラムが充実しているようで、自治体によってはすでに導入にふみきったところも増えているようです。
筆者は専門家ではないので、その企業優劣は判断できませんが、昔から教育に積極的だった、地元愛知県名古屋市の取り組みを紹介した記事を引用します。
学校の現場は、さまざまな社会問題にさらされる中で、子供たちにとって学びにくい環境にもなっていたり、そのために不登校に追いやられるお子さんも目立つようになったと聞きます。
そんな環境でも少しでも自由に好きな時に学習できるITスクールプログラムは、名古屋のように自治体で採用するところや、個人でも利用可能で自由度が増しつつあって、注目されています。
子供にとってマンツーマン教育が理想と言われたり、少子化によって教育の質や付加価値に注目されがちな傾向は否めませんが、自治体による大量採用によって均一でコスパの高いサービスが今後も進化していくと、教育の価値観がまた見直されていくかもしれません。
要は教育面で、大人が子どもにしてあげられることは、不穏な社会の中でも柔軟に「教育のカタチ」を変えて学ぶ機会を用意してあげることに尽きるのかもしれません。
時に大人は子どもに対して、見栄や体裁で施しをすることにこだわりやすいことがありますがなにより需要なことは、いつでも「子どものその気」を起す機会やきっかけを、準備してあげることのような気がします。
そのためには、手段より機会こだわりよりチャンスを増やして、その上で子どもの自主性を尊重してあげる懐の広さを示すのも大事ではないでしょうか。
今後も世界は混沌化の様を呈していきそうですが、その空気に巻き取れてばかりでは、大人としての優位性は保たれませんし、そんな姿を子どもが見て育てば彼らもそんな大人にしかなれないでしょう。
上で体裁にこだわりすぎるのもと書きましたが、こうした面では突っ張って見栄をはってみるのも大人らしさでしょうし、涙を見せずに突っ張る大人を見て、子どもたちはその様な大人に成長していくでしょうから、その意味でも私たちは子どもの学びを支え、その意思を政府へ要求しなければなりません。