くろま流 × NAGOYA式 ブログ

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「脱貧困」に意外にサバサバ、救済しない社会

 

 日本の国民の生活は、高齢化世代と若者世代、高額所得者と低所得者、両方を満足させられるほど、ゆとりのあるものではなくなっていますが、いずれも前者が影響力を持っているために後者に関わる福祉はどうしても日の目をみない政策になってしまう傾向があります。

 

 

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 なぜそのような事になってしまったのでしょうか?

 さまざな分析・意見があるようですが、今回紹介する記事では、寄稿者の専門である財政社会学の立場から分析した結果を発表していらっしゃいます。

 

 興味深いのは、上記のような格差社会を生んだ大きな要因は、政府でもなく高齢者でもなく、はたまた高額所得者でも低所得者でもないと言います。

???、ではだれが要因なのでしょうか、それが驚くことに中間所得者だと分析しているのです、これは今まであまり聞いたことのない考え方です。

 ご興味のある方詳しくは記事をご覧いただきたいのですが、中間所得者の多くは言わずと知れた民間サラリーマン・中間公務員に当たります。

 自己負担型の社会に生きている多くの中間層は、消費税などが解りやすいですが、税負担を極力少なくし、その分いざとなったら自己負担でしのぐと言う選択をしていることになります。

 

 さらに、中間層以外の自分たちとは異なる生活層の人々には非同情的であり、協力を拒む傾向があるそうです。

 共生を選ばなくなったために、年齢や境遇子供の有無などの異なる住民との意思の疎通ができていない現代社会では、お互いに立場を主張し、よりゆとりの有る者が強くなり、格差社会に拍車をかけているようです。

 

 筆者の過去のブログでも書きましたが、1950年代から2000年代初頭までに結果としては、生活保護の給付対象者数は変わっていません。

 50年物間いったん減ったもののまた増加を辿って戻っています、つまり中流社会と言っているのはイメージ的なもので、実際に生活が豊かになっているのはそういう気がしているだけなのです。

 筆者はその期間の半分以上を経験していますので、自分が小さいころから今までと比較して変わったと思うのは、多少経済的ゆとりはできたとしても、小洒落たた時代になった分あらゆるところに余計なお金をかけなくては生活できなくなったという事です。

 小洒落たという部分は、人によって物価上昇だったり、贅沢に慣れた事だったり、選択肢が増えたりしたことが要因だと思っていただければ結構ですが、企業はより人件費の配分を次第にシビアにしてきており、所得の増えた感があっても使い道が増えた分、ゆとりはそれほど増えていなかったりします。

 国民がそうこうしている間に、より筋肉質になりより中間層をコントロールしやすくなっていますので、自己負担型の選択は一部のゆとり所得者以外にはリスクが高い選択となっています。

 

 これから、皆さんがどうしていくのか、変えないのか変えるのか? はこの様々な変化の大きい時代にあって、そろそろ真剣に考えないといけない時期なのかもしれません。

 

 そして今回のテーマのように「救済」しないや、自分は大丈夫だからで終わらずに、北欧では一般的になっている自己負担型の社会福祉精度について考えてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

「救済」しない財政へ (1) 「脱貧困」に心が動かない日本人 | マイナビニュース
http://news.mynavi.jp/column/zaiseisyakai/001/

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