くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

カウントダウン?仮想現実サバイバルの時代、頼れるのは自分自身のみ

本来世にいう医療崩壊とは、需要の増大に対する医療体制が追いつかない状態を言いますが、現状の医療体制は崩壊していると言えるかどうか、メディアはコロナによる収容患者が一般の医療対象者を圧迫していると言いますが、根本的に医師会が会員意志に対して制限を掛けている点で、明らかに医療提供側の一存だけで偏りが出ています。

コロナ以前の時代には、高齢者を中心に医療側は、あらゆる症状に対して薬剤を処方して、薬漬けにしていましたが、以後はその行為が過度な陽性指定者によって、コロナ対応を受け容れる一部の病床や医師が、占有されるという危機的状況に陥りましたし、この自体は3年も同じことを繰り返したまま、何ら解決されていません。

 

こうなると、大人も子どもも関係ないのかもしれません、本来の方向性とは異なった未来である仮想世界の医療制度は崩壊しています、今後ますます人が本来望む医療、つまり”治す”ための医療はどんどん消えつつあります、そもそも西洋医学には症状を抑える、誤魔化すことはできても、人本来の治癒能力を高めたり、保護する概念が掛けているという、極めて重要な事実を私たちは知らずに利用しています。

東洋医学ではその概念は全く逆で、即効性よりも自己治癒能力を高めて、結果的に治す方法が殆どですが、西洋医学は局所的に患部を切除したり、抗生剤などで丸ごと殺してしまうため、一時的に対象を抑えることはできても、免疫能力もダメージをうける事は、想定外であるために、さらにその穴を薬で補い誤魔化すことを繰り返すのです。

 

この発想は、西洋医学の信奉者にとっては侵害かもしれませんし、正確には全ての西洋医学に当たるものではないかもしれませんが、本来理想的には東洋・西洋の良い所をバランスさせるのが、理想だと考える者から見れば、多くの自由主義社会では極めて西洋医学万能という前提で、話が進むことが殆どです。

このような、東洋医学を淘汰しつつ西洋医学を広めてきた最大の理由は、東洋が自己免疫力高める助けをするのに対し、西洋のそれは自分以外の何かによって、患部や病原を駆逐する手法でしか無いことを正当・標準化する行為に他なりません、バランスを欠いている状態ですが、私たちはこれを当たり前として受け容れてしまっています。

 

どちらの手法でもコロナなどは駆逐できない訳ですから、今の時点ではどちらが良いか悪いか、判りにくいかもしれませんが、後者は病原を駆逐すると同時に、免疫力も駆逐せざるをえません、一旦病気が治ってもその後再発した際に、免疫力が弱った分、自己治癒能力は確実に落ちています。

最近多くの新型コロナワクチン接種否定論者の話題には、自己免疫能力を高めることでコロナ程度の弱性ウイルスは、ワクチンに頼らなくとも治癒が早いと言われていますが、ここにきて定期的にワクチンを摂取する人の中から、予期せぬ症状を発祥する人が出て着たり、打ったはなから再感染する様な事例が、話題になり始めていることもあり「ワクチン意味なくね?」と疑う人も増えていることからも、否定論者の意見も説得力を増しています。

 

日本では、まるで繰り返すように毎年同時期に感染者が急増し、マスメディアや自治体が煽り立てるために、規制する側が極めて優位に立つような空気が出来上がっています、マスクにしても同様で、外して良さそうなのに外せない、人の目を気にして外さない人が極めて多いようですが、これらの空気は自然に生まれていると考えるなら安易すぎるでしょう、誰が作っているかは、実はみなさんも薄々お気づきではないでしょうか。

話は反れましたが、西洋医療は悪い言い方ですが、薬については悪名高きラウンドアップなどの除草剤のように、草を確実に枯らして散布した周辺の土地では長期生えなくなる一方で、土の回復力も同時に奪い、また生えた時に除草剤無くしてはならないような役割りをしています、人で言えば薬は麻薬と同じ役割りでしかありません、飲めば一旦症状を抑えることはできますが、その主な効能は麻薬と同じ神経の麻痺機能でしかありません、分かり易い例では軍で鎮痛剤として使用されていたモルヒネLSDと、目的は基本機能が同じなのです、私たち一般人に処方される鎮痛薬や治療薬の主効能は、麻薬と基本は変わりなく”痛み”病気の執行を遅らせる機能が大半を締めます。

 

それを招致のうえで治療を受けざるを得ない人は仕方ないにしても、積極的に予防と称して薬のお世話になるのは、それだけ自己免疫機能を頼らなくなり、機能退化につながるしかなくなって、本来の人の進化としては愚の骨頂でしかないと思いませんか、日本の医療は福利厚生が手厚いため、負担が少ない分依存症になる人が余りにも多い、かつての総合病院のロビーや、町医者の待合室の状態をご存知でしょうか。

しかし、残念ながら現実はそのまやかしへの依存度が増しています、コロナワクチンでも同じであり、しかもこのワクチンは免疫機能を弱めるとまで言われます、打てば打つほど弱っていく、それでも政府が供給するように促すのは、それを各国の政府は製薬メーカーの圧力で、借金?(いえ、実質無尽蔵)をしてまでも国民に無料で提供せざるを得ないのです。

 

つい数か月まえでしたか、厚労省が使い余りのワクチンを不用意に廃棄処分したニュースが出ましたが、国民の税金を使っているワクチンの扱いのぞんざいに対し、国民は大した反応も示しませんでした、この時政府は確信しています、自分たちが行っている行為には国民は従順だと。

接種回数も回を重ねるにつれ、国民側は「打つのが当たり前」という空気を醸し出そうと様々な広報活動や制度作りを展開し、半義務化しつつある空気と、国民への包囲網を作りつつあります、そんな今摂取間隔も短くなってきていますから、今後は躊躇なく打たされるようになるでしょう、今は政府は医療を通して国民を手懐けつつある段階と言えるでしょう、ですから安易な医療機関の利用は可能な限り避けなくてはなりません。

 

しかし、その”包囲網”や”手懐け”のためか、国民は海外旅行に行きたいためだとか、人に後ろ指を指されたくないためか、会社の命令か?医療機関を自ら利用します、陽性者の確保の基となるPCR検査も、あらゆるところで万端の体制を敷いて、陽性者摘出を一人でも多く漏らさないようにしています。(そりゃ国からおカネが湯水のようにおりてくるんだから、民間業者も必死だわな)その呼び込みも風俗店の客寄せさながらの過剰さ。

一方で、国産のワクチン開発が塩野義製薬などで完成しているにも関わらず、厚労省はなんだかんだ言って、認可を躊躇し続けています(米への配慮でしょ?)、当然です大量に”買わされた”ワクチンが次から次へと供給されるのですから、国は特に日本はこれを断ることはできません、日米協定で決まっている厳格な主従関係により、アメリカよりも日本が儲けてはならないのですから、どちらが薬として優秀かどうかは意味を持たないのです。

 

100歩譲って、今はタダで打てますから国民に負担はありませんが、そろそろ打たざるを得ない環境が出来上がったら、おそらく何れ有料化も辞さないでしょう、体のいい増税みたいなものです、増税より質が悪いのは税金からなる収益は全てアメリカに召し上げられるという現実でですが、このままでは医療面でGDPが上がることはなく、日本人はどんどん貧しくなっていきます。(医師会らは困りません)

これでは麻薬の常習化と同じです、打たざるを得ない状況を徐々に強めていきます、これは日本が初めてではありません、過去にはもっと露骨に中国で”アヘン”をまん延させて、中国を潰しにかかったかつての英国の姿そのものです、それは言いすぎだ・曲解だといいますか?これはアメリカをつかった世界への、巨大資本が仕掛ける現代版アヘン戦争の皮きりでしかありません、これだけでもアメリカ製ワクチンを打つなど、どうなんでしょうね。

 

さて、医療を含めワクチン接種が今は拒否できますが、いずれ国民がいろんな現実に興ざめして一斉に拒否し出せば、緊急措置発令して酷い場合逮捕隔離される流れも在り得るでしょう、事実緊急事態法が今国会で可決しているので、不可能では無いのですから、あくまでも今のところ一個人ではなく、海外のように暴動になった場合と注釈は建前上付きますが、計画が足踏みしだしたら、実際合法なので個人へもやりかねないでしょう。

この状況も、どこかの国と似ていませんか?その意味で莫大な人民を抱えた隣国は、壮大な実験場なのですよ、経済の進行やIT技術やEV、医療介護などの近未来の行く末を占うために、もう十年以上前から近未来に向けての、実証実権を人権の無い国で、共産党を脅し透かして実行してる事は日本メディアのニュースは、死んでも知らせませんから、ほどんど誰一人疑うものはいません。

 

世の中には国家に束縛されず税金を納めなくても良い人達が存在し、国家単位でなくグローバルな視点で、彼らの資産の効率的な独占と集中が、どうすればできるのかを何度も何度も検証を繰り返しています、日本もその一部でその役割を担わされているのは言うまでもありません、彼らにとって極東の国は”そういう役を押し付ける”ための道化役なのであり、そのために戦後これまでのように私たちを奴隷化せず、あえて経済を復活させて自由にやらせているのですから、日本では原爆投下がそうでしたよね。

そういうことを言い出すと、陰謀論者にされて相手にされないように、私たちは教育されています、あまりに注目されるインフルエンサーは、陰謀論者としてネットで垢バンされているので、筆者もこの程度にしておきたいと思います、ただ規制を受ける発信者の言っている事を、これまでは切って捨てる人が極めて多かったですが、この人為的に作られた”仮想現実の歴史”を受け容れた時に、身の回りの不可思議なことや不自然に感じていた事が、一本の線で繋がったように思うでしょう、そうしてこれまでのように無邪気に否定し続けていた、自分に後悔するでしょう…闘いはそれからです。