くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

私たちは、10を知らされないままに現実を受け入れさせられている

その10と言うのは、問題理解と判断に欠かせない情報や材料の事ですが、身近な交通事故の例だと、1-10から9-1はあっても10-0は無い、これは保険業界の常識だそうで、滅多に有り得ない10-0ケースを、自分が有利な条件である程、当然と信じ込んでしまうし、逆に結果が想定より不利であった場合も、簡単にその事実を受け入れない人は多いです。

しかし保険屋に言わせれば、法律や事例に沿って合理的に解決しないと、利益は上がらないので、特に安い保険では時間短縮のために、妥当であろう結論をマニュアル通り合理的に、それぞれのオーナーに納得させるのが、実際の仕事だそうですが、保険の理想と現実の認識は、立場の違いで食い違いが起きている一例です。

 

これは、普段は想定されない交通事故の事例ではありますが、今起きているウイルスによる保険医療混乱や、一部の紛争による世界的な金融経済危機などの、想定外のイレギュラーの対処など、不慣れな対応を機械的妥協に頼らざるを得ない事が増えている上に、ことさら大規模な事故や許容を超えた問題に対しては、受け入れきれない上に危機意識も薄くなりがちです。

つまり、今私たちの身の回りに起きている事の多くが、この合理的な妥協とか十分納得いかないまま妥協しなければ、解決できないという現実を、私たちは正面から受け入れられていません、人の数が増えすぎたことで合理的なジャッジや、妥協をしなければならないケースが増してきています。

 

こうした状況で「人口は減らさなければならない」という提案がされた場合、本来ならNOと答えるべきを、10と言わないまでも十分な判断材料が得られないと、合理的判断・妥協はYESとなりかねない、人口増加が問題を複雑化させ、判断の混乱を招くと考えられるようなら、これまであり得ないとされた人口削減であっても、やむ無しと短絡的に判断させられる、現代はそのような所まで追い込まれていても、その事実に気づく人はほとんどいません。

交通事故の自動車保険の例では、私たちユーザーが実際の保険適用される実情を、知らないまたは情報不十分なまま、ただ必要に迫られ加入するから、いざ事故当事者になって現実を知ることになりますが、こうした認識のズレや誤解は、身の回りの至る所にあるわけです。

 

日本の借金というテーマについても同じです、昨晩のWBSで歴史的円安の原因が、政府のおざなりの金融政策によるとし、これまでに増えた債務と金利上昇を抑えるために、今から指値オペをして国債を買い支えする対応は、一見不自然さを感じない人が多いかもしれません。

しかし、そもそも政府に財政をコントロールする機能はなく、その権限は日銀にしかありません、その日銀にデフレ方向に緊縮財政に向かうような、金融調整をさせているのは財務省です、日銀が国債を買い支える資金は国家のバランスシートのー調整に過ぎず、国民の借金ではありませんから、財務省が過去政府を通して消費増税させた政策が、デフレの原因でしかないというズレを、キチンと解かなければなりません。

 

このように、本来国民が知るべき正しい判断材料が、不十分だったり不正確だったりという、紛らわしい状況がメディアだけでなく、発信元の誤った解釈のまま公然と流されるなど、国民は正しい判断から遠ざけられているのが現実のようです、その分国民が自助努力で調べ、修正していかなければならなくなっているのです。

そして、その起こるべき時に起きる、不正確で曖昧な情報発信という“偶然の数々“は、だれもが10を知ることのないまま、加害者・被害者・傍観者として、その偶然の事実化に加担させられていますが、そんなことは殆どの人が認識して無いでしょうし、ばかばかしいとさえ思って切り捨てていないでしょうか。

 

非常に受け入れがたい事だとは思いますが、すでに過去にもそして恐らくこれからも、この受け入れ難い偶然の悲劇は起きていくでしょう、でも適当なところで事実の追及もできないままに、受け容れざるを得なくなっていくのです、残念ながら筆者が歴史に刻まれた事実を洗いなおす度に、実感させられる残念な思いです。

それでも、一縷の望みを捨てられていない自分を、どうすればいいのか分かりませんが、今回のコロナパンデミックやロシアのウクライナ侵攻の成り行きを見せつけられ、自分でも体験させられた中で、解釈の難しさには想像を超えます。

 

事が終わって過去の歴史になれば、ようやく歴史として全体像が見えますが、渦中いる状態では10を知ることはままなりません、それでも私たちは時には火中の栗を拾いにいくリスクを背負わされる事が、今起きている国際問題の選択にも問われますが、私たちは10の内どれだけ客観的は判断ができているでしょうか。

すでにはじまっている現実は、フェイクや嘘が複雑に入り混じっています、例えればポーカーゲームに参戦して、神経戦を強いられているような現状の中で、これからが本格的な”作られた現実“と、理解不十分なままでの強制の始まりであり、特に物・食の原材料価格高騰は、その典型的なものであり、誰もそれを逃れることはでき無いものであり、人口増加と結び付けられ易い推しきせにならないよう、広い目を持ちたいものです。