現代言葉のなかにも、SEALDs に宿る日本への想い
新しい社会潮流の動きの中で「SEALDs」なる若い集団が、物申すだけでなく、行動に出ると主張した最初のステージが、安保法案の 議論されるまっただ中でした。
7月31日も、彼らは行動しました。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015080102000122.html
安全保障関連法案に反対する学生グループ「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)」と学者の会は、共同の抗議デモや集会を国会前などで催し、約二万五千人(主催者発表)が集まった。大規模な政治デモを学生と大学教員らが共催するのは異例だ。(記事抜粋)
SEALDsサイトの「OPINION」欄に彼らの明確な方向が示されています。
(以下抜粋)
2012年に発表された自民党の改憲草案は、個人の自由や権利よりも公の秩序や義務を強く打ち出すものです。自民党の憲法ヴィジョンは、個人の自由や権利を守るために国家権力を制限する立憲主義の考え方とは、真逆の性格を持っています。
もちろん、私たちは憲法改正それ自体を否定するつもりはありません。セクシュアル・マイノリティ、生きることの多様性など、現在、ますます多くの社会問題が浮き彫りになっています。こうした問題についての憲法の改正は、おおいに議論され、実践されるべきであると私たちは考えます。
戦後70年間、私たちの自由や権利を守ってきた日本国憲法の歴史と伝統は、決して軽いものではありません。私たちは、立憲主義を根本的に否定する現政権、および自民党の改憲草案に反対します。そして私たちは、日本国憲法の理念と実践を守る立場から、立憲主義に基づいた政治、つまり個人の自由や権利を尊重する政治を支持します。
かつて東大であった、バタ臭いその姿はなく、彼らは現代の武器LINEを使って連絡を取り合い、日本の正しい自由と民主主義を旗印に行動を開始しました。
この一年は、日本にとっても正念場の1年となるでしょう、彼らもそれは同じと言っています。
国の利益という全体主義が最も正義だと、言ってはばからない現政府によって、日本の民主主義は、本来の姿をゆがめて話し合いのない「ありき」の民主主義となってしまっています。
国民の声が聞き入れられない時点で、それは民主ではあり得ません。
このような基本的なことは私たち大人より、若い学生の方がよく心得ています、その彼らに現実の云々を押し着せてつぶすのはたやすいことかもしれません。
現実に彼らの(国民の)声は受け入れられず、法案は衆議院を可決しました。
しかし、私たちはそれにも屈しない、次世代の有権者達のムーブメントは貴重です。
彼らを尊重しつつ、現実の難解さも理解してもらいつつ次の担い手に育てるのも、私たちの責任であり、民主主義なのだと思います。
東京新聞:「まじ おかしい」が原動力 SEALDs 15日に緊急デモ:社会(TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015071202000108.html