老いた親を家族として介護出来る制度を
親の面倒を実子が看る常識さえ困難な現状、「老親」という言葉に違和感を覚える昨今です。
老いていく親を見届ける子どもの複雑な思いとはよそに、少子化による親子世代人口の逆転で、介護が子供の負担から、社会の負担への変更を避けられないところまできているのかも知れません。
現実は、介護を要する家庭は待った無しで、現状の制度を利用せざるを得ません。筆者も母の介護を経験しておりますが、働きながらの介護の大変さは、よくわかります。
当時は、筆者も介護支援制度には無知で、記事に有るようなエピソードも体験してまして、要介護になるまで相当日数を要しました。
漸く要介護になったのは、母が歩けなくなって、更にベッドから自立して動けなくなってからですので、さすがにヘルパーさんと相談の上で対策練って、認定を受けられましたが、なかなか支援から抜けにくいのは確かですね。
家庭の事情・仕事の関係で実子だけで介護しきれないことは有るかも知れませんが、筆者の経験ではどれだけ大変でも、実子が主体で介護をしたほうがいいと思います。(勿論協力出来る家族のあるご家庭はそれにこしたことはないです)
大変な分だけ後でそれはそれで、後々悔やまないで済みます。
その時はベストを尽くしたつもりでも、終わった後では、もっとこうしてあげられれば、と悔やむ毎日でしたから。
これだけはお金では何ともなりませんその苦労の日々がいい思い出です。
それはさておき、現実は物理的に一人で回すのは無理な点は多々出てきます。
ここは運もあるかも知れませんが、ベテランのヘルパーさんと密に連絡しあって、使える制度はフル活用しないと身体が持ちませんから、ここだけはその知恵を絞るのに、全神経を集中しなければなりません。
ここで手を抜くと、すべてツケは自分に回って来ますから、必死です。
筆者は幸いだったのか、その手で何とか乗り切れた口なので、それでもムリ! という経験はありませんでしたが、中には限界を超えて介護者が参ってしまうケースが目立つと聞きます。
ご家族のサポートだけでは追いつかなくなっているケースは、早急に社会の問題として扱うきだと実感しています。
この最悪な問題は、見捨てられない問題なはずなのに、これと言って目立った対策は講じられてはいません。
先方が言うには、そんな余裕は無いとの話ですが、そうではなく残念なことに、議会制民主主義は犠牲的事例がある程度集まらないと、動こうとしない欠陥があるからで、要はする気持ちの問題です。
どこまで犠牲が出れば、動いてくれるか、全くの未知数なのは呆れるばかりですが、そういった苦労の心配が無い議員が決めている以上、大きく動くことは無いでしょう。
その事実を踏まえて選挙の際にはしっかり訴えなければなりません、特にこれから介護者になるであろう、若い有権者にありがちな選挙権放棄は、現体制の思うつぼになることを忘れてはならないのです。
老親介護 息子・娘が100%イラつく「あの瞬間」 介護の常識・非常識【5】
http://president.jp/articles/-/15570