くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋発進 まちおこしに求められる情報を、幅広い時事から考える。

TVにこだわる時代からの卒業はできますか

筆者の世代は、間違いなくTV世代と言われるTVメディアをみて育った人間ですが、今は自らも表現する様に、オールドメディアと呼びネットメディアへの移りゆく時代の変化にはじ臨機応変に適応するつもりです。

ざっくりですが30代以降の人たちは、TV依存度に比例するようにTVメディアに信頼やこだわりを持つ人もまだまだ多いと思いますし、むしろネットメディアへの偏見も併せると、情報入手先いわゆるニュースソースのバランスに悩む人も多そうですね。

 

これからの高速通信時代を受け入れる人にとって、年齢や境遇経験値に関係無く、どの人にとっても等しくクリアしなければならない姿勢は、それなりに持っておく必要は避けられませんので、オールドメディア世代とは断りながらも、全世代に共通するであろう新時代を迎える人の課題を書きます。

これによって得られる心構えや発想は、より地域性の差を埋めやすくなる時代を受け入れ易くするのに役立てば幸いですし、ニューメディアの受け入れが、よりポジティブな発想につながることを願っています。

 

 

さて、私は日本在住ですので、海外のメディア事情は実感に乏しく詳しくありませんが、日本の事情と比べてネットメディアの依存度はTVのそれと比べて進んでいるのでしょうか。

一方で、新しいからと言って必ずしもTVを切り捨てるのも乱暴かもしれませんが、情報伝達の歴史を見れば、火や鏡・狼煙から始まり、近代でもかつてのモールス信号からCB無線、一般的にもラジオからTVと変わったように、設備コストや需要によって中心が変わってきましたが、それぞれ今でも淘汰はされていません。

 

ただ、緊急時の選択肢として残されるとしても、主流が移ることでその中で流される情報の量や質は圧倒的に、情報の価値を左右する以上はその流れに従うのが正しいように思います。

今のところしばらくは、TVメディアの情報価値は担保されるでしょうが、通信規格の進化と高速大容量化される無線ネットで流されるメディアの活用を、最大限活用するスキル取得に関心が移っています。

 

その移行について、最も懸念されるのは個人情報管理と、情報加工の容易さに尽きると思いますが、逆に全体の情報の質はワールドワイドである分、日本独特の搾取は薄くなり、否応にも世界情勢に関心を持たざるを得ない分、グローバルな共通認識を共有できる分、客観性は高くなるメリットの方が大きいと言うメリットを筆者は支持します。

そもそも、通信ネットワークの発達の段階で、多くの個人情報と言われる多くは、より精度の高い便利さを得るための交換条件となることは、利用の大前提である事実を呑み込めた時点で、絶対に譲れれない個人情報以外は、むしろ積極的に公開しその対価としてそれ以上の利便性を得る、行動様式を受け入れなければなりません。

 

この判断が、オールドメディア世代には受け入れ難いハードルになっていると思われ、若い世代やネイティブと言われる生まれながらにネットを選んだ世代では、その受け入れ状況が違います。

情報のトレードの条件や認識が全くちがっていると考えてしまうと、それが壁になって新しい思考を遮ってしまいかねません。

その柔軟な世代や思考を受け入れる人には、何という事は無いでしょうが、晒したくない情報の境目が筆者世代とは異なっているのも、ネットメディアに参入しにくい要因にもなっているようですね。

 

また、TVメディアメインの時代は、原則人同士の対面が前提で、情報の質の判断基準にされていたのに対して、ネットメディアは非接触前提の上で情報の質を評価されるため、より高度な情報の判断力が求められると言う違いも大きいかもしれません。

ただ高度と言っても、社会経験の浅いネイティブであっても、普通に正しい判断をしているように、判断基準が異なっているだけで、変に身構えるようなものでは無いようです。

 

要は最低限の社会的対応スキルと、それなりの客観視観を持てる人なら、年齢経験値はそれ程重要でないはずで、むしろ問題になるのは自分で過剰に偏見な物見をしがちな人が、追いやすい情報に偏る方が危険なのでしょう。

ある意味、情報を追いやすくいつでもほぼ無限に情報を得られる分、貪欲さの程度によって、墓穴を掘る人は一定数存在するし、偏った思考・視野を個人情報と認識している人には、生きにくい時代なのかもしれません。

メディアの技術面の進化受け入れると言うより、より透明性や柔軟性が高まる傾向は、AIの参入によって今後益々大きくなり、スタンダードになる認識のほうが重要ですから、良くも悪くも「ウソがつきにくい」時代にどう受け入れ対応していくかに、個人単位で問われていくという命題は避けて通れません。

 

AIは、単に存在する情報を収集し、そこからより合理的な結果を人間に提示するだけですから、その仕事自体に横槍の入る余地は有りませんが、人にとっては非情にも思えるようなありのままの結果を晒すことも多くなるかもしれません。

要は受け取る人間の資質そのものが問われると、感じることが起こると思いますし、哲学的な何かを感じてしまうかもしれませんが、それは結果を人間が一方的都合よく解釈しているに過ぎないわけです。

 

高速ネットワークによって、純粋無垢なAIの解析力は日増しに進化するでしょうが、人はその純粋無垢な判断結果によって、変わることなく多くの見方や敵を創造しながら、自分自身と対峙していく事になるのでしょう。

その真の自分を冷静に見たり受け入れられるかが、そのまま新メディアへの受け入れ姿勢に比例していく事になりますから、その認識を知るだけでその人の信憑性も決定判断される時代に入っているという事実は受け入れておいた方が身のためだとおもいます。

 

その現実を、カンの良いオールドメディア支持者は薄々気づきながらも抵抗しているかもしれないですし、単にノスタルジックに浸りたいだけかもしれませんが、そのこだわりはこれからを生きる意志があるなら、障害にしかならないでしょう。

多くの同世代に向けて、もしそのようなこだわりを持っているなら、多くの疑問を今から若い世代に投げかけて、その答えを見つけて欲しいと切に願いたいですし、もっと自分を晒せる時代に、素直になるよう努めて欲しいと思います。

 

 

最後に、高齢者の仲間入りを間近に控える、同世代だからこそわかりますが「もう人生残り少ないから今更……」が言い訳でしかない事は知っています、ただ同時にコンタクトの手段に戸惑い迷走していることも知っています。

だからこそ、発想そのものを大胆に変えないと、変えられなくなるほどに、柔軟性を失ってしまっている人は多く、そんな自分に愛想をつきたいだけなのかもしれず、もしそうであっても変えたいならまだのぞみはあるのです。

 

筆者とて、新時代に馴染んでいるわけでは無く、まだ多くの縛りに囚われる一人であることに変わりはありませんが、古のこだわりをある程度保ちながら、新たな考え方を受け入れるという年齢的な課題は誰でも避けて通れません。

それを乗り越える鍵は、高速ネットメディアやAIや時代の変化に有るのでは無く、いつの時代にも自分自身その中にあることは、筆者世代以上の人ならもう気づいているはずですよね?子どものような純粋さがより求められるおまけはあるにしろ、大人ならではな冷静な判断力を信じて、身の回りの情報環境をごっそり入れ替えてみてはどうですか?

 

程度の差こそあれ、今までの世界観は間違いなく変わりますよw