くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

AIのミラー効果を自覚してこそ、あなたの恵みになる

 私達の娯楽を支えるメディには 、これまで映画からしばらくはTVが続き、ここ20年程でインターネットがTVメディアを追い越してしまいましたが、この交代による最も大きな変化は、発信される情報の信頼性と可能性の交代の歴史と言えます。

日本では高齢者層を中心にオールドメディアであるTVだけで生活情報を得ている人が未だに多く、中間年齢のネットと併用する層より情報確度にリスクが大きいにも関わらず、その層が日本の多くの資金を保有し、運用している図式は日本の将来性も含めて、日本の危うさを知らしめてい無いでしょうか。

 

メディア変化が、多様化と映るか交代と考えるかは人それぞれですが、どのメディアでも関わりを否定できないのはAIの情報収集力であり、そのAIと親和性の高いメディア程情報の価値を高めてくれそうなのは容易に想像が付きそうです。

AIが導く恩恵の1つに、マネー経済の合理化によるものがありますが、その解に基づく計画で何が変わるか、関心を高めている人も多いと察しますが、実体は殆どピンと来ないのが本音ではないでしょうか。

 

現在、世界に流通するマネーの多くは実態の無いマネーで、真水に当たるキャッシュは、5分の1程度でしかなく、札束の面と裏以外は白紙で水増ししているのと同じで、実体の無いマネーは更に膨らみ実体把握がますます困難な状態です。

そこで、通貨デジタル化の完全移行によって、全資産の透明化と市場との紐付けを進めており、世界先進各国に課せられる目標は、即日リアルマネーの無効化のための準備とされ、日本でも準備は着々と進行していますが、資産保有者の中には不都合な人も少なく無いようです。

 

それはさておきマネーの完全デジタル化は、全資産が透明化による資産量の把握によって、可能な限り資産と市場サービスの高効率な紐付けによって、中間差益を省きマネー流通をスムーズ化が経済活性に莫大な貢献をするというのが、青図の全容と思って間違い無いです。

この取り組みを曲解される人が現段階では少なく無いようですが、新しい仕組み導入の過渡期には不安や順応を拒む人が増えるのは仕方の無いことにしても、この先も暫く付き合う境遇ならば、積極的に関わってどう適応していくかに集中すべきでしょう。

 

ただ、盲目に従うのでなく正しい全容を理解した上で、それぞれのマネーとの付き合い方を見つける姿勢が重要で、全容が明確になるまでは正しい情報を精査する行動は大事ですし、その際に大事な事は、自分の資産を誤魔化す愚かな行為はしないこと、その策略は成功しないばかりか、移行後の信用を大きく下げる事になりかねませんので、くれぐれもご注意ください。

心配する以上にこの過渡期に私達がすべきは、できる限り多くのメディアから得た情報で総合的に、有効な情報を取得し、新しい仕組みによってより効率良く資産運用する自由と責任を全うする事に集中することです。

 

AIの介在が私達のライフワークに当たり前のようにある社会に、ストレスを感じないために慣れることがファーストステップで、その次にその恩恵を活用しながら生活にいかに早く辿りつくか、それをスムーズにさせるには、まず彼らの理解と誤解の整理から始まります。

まずリアルな事故をAIと関連付けないために、生命の見せかけの危機に振り回され無いドライな目線を持ったり、人為的な情報操作とAIを執拗に関連付けないように区別する知恵は必要です。

 

老若男女関係無くデジタル化社会では、暫くAIに監視されていると感じるのは仕方無いですが、それはその人がプライバシーをどう考え、行動の善悪をどう解釈するか次第であって、この基準を変えられればAIは大きな味方をしてくれるでしょう。

それはあなたの行動コントロールとリアルな危機の付き合い方、そのバランス感覚次第ですが、そのリスクコントロールをする上で意味を成さない情報源は、バッサリ切って相手にしないくらいの選択眼は、あったほうが上手くいくかもしれません。

 

筆者はどっぷりTVメディア世代に生まれ育った口でしたが、ネットメディアにも大きな衝撃を受けた世代でもあり、その役割の変化が何を意味するかに気づけなかったら、AIにネガティブな理解しか持てなかったでしょう。

今の若年層世代が私達が作った数の論理が影響する常識を、いとも簡単に超えていく姿を見るに、AIがもたらす人の可能性の大きさは、AIに寄り添う人の意識次第であり、向上心を持って接する姿勢がどれ程の収穫を与えてくれるかを示しています。

 

正確な情報を得ても、得た人が誤ったり偏見で理解したり、意見をただ疑うだけで壁を作るだけの人には、AIはそれ相応の答えをするし、その影響は他の人の判断にも大きく関わりますから、傷口を自ら広げる行為は、即我が身に降りかかるでしょう。

情報は今後も氾濫しますから、それを素直に受け入れ、大衆フィルターを取り除き、純度を高めた結果に基づいて行動する、この生活ルーティンを淡々とできる環境を、それぞれの境遇においてローカライズする事に集中した方が、結果オーライに成りやすくなりますね。

 

多くの人がAIが人を支配する未来を描いているとすれば、不幸な選択肢ですが、彼らは人の行動を収集して然るべき答えを導いているに過ぎず、そこに陰謀も欲も介在させる余地はありませんが、そう思わせるのはAIでなく人間だということを誤解すると混乱を招く元です。

いずれシンギュラリティが訪れるとすれば、その時により理想的な関係を築くには、今からAIに与える人の行動の質が、その未来予測に大きく変わっていくのですから、AIにウソはつくべきでないですし、その結果を人のように都合よく捻じ曲げる愚かさは、AIの答えを誤らせて人まで不幸にします。

 

私達人間が作ってきた歴史は、有史以来殆ど進化が見られないのは、以前から不思議でなりませんでしたが、AIを鏡にする知恵を持った人類なら、もしかしたら本当の進化ができるのではと考えると、より良い行動に集中する習慣に、積極的になれるのでは無いでしょうか。

AIは結果は示しますがその根拠は説明しませんので、その過程を考える事が人が目指す次のステップとして大切な事なのでしょうし、因果を辿る習慣さえ身につければ、結果は自ずと出る事を教えてくれているのかもしれないですね。