くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

タピオカミルクティーのブーム拡散で見えた近未来の問題

筆者の大好きな台湾で長く愛されているタピオカミルクティーが、ここ1年で一気に日本でも大ヒットしたことで、日本全国に販売店もバリエーションも多彩に進化し、迷ってしまいそうなほどに増えました。

その人気ぶりは、台湾文化が拡散することにおいては良いことだと筆者は感じていましたが、そのあまりにもバブリーなブームはあるあるな問題も、早くも見せつつあるようですので、このブログでは今回そこを取り上げます。

 

l-taiwan.net

台湾のゴミ捨ての分別方法!何度も注意されて掴んだ分別方法!

 

実際に筆者はその惨劇を何回も見れたわけではありませんが、名古屋の商店街の片隅では数回見かけたことがありますし、ブログやTwitterでは少しずつその現状を画像で明かす人たちが出ています。

その姿とは、タピオカミルクティーの容器が繁華街の一見目立たない隅などに、放置でなくきちんと置かれた姿ですが、一見すると置き忘れとも見れなくない姿が目立ちだしていることに、既に一部の商店街は心配を始めているようです。

 

筆者がその話を見聞きしたのは地元名古屋の大須商店街のタピオカミルクティー売店のイベントニュースでのことでした。

商品が売れることはとても良いことである一方で、容器やストローが投棄される姿は、ごみ問題に敏感な日本人なら、売れる前から十分予想できたことですが、先にカフェで問題化し出したストロー廃止化・代替品の話題や、処分問題が大きくなるかならないかの内に、今度はこの容器問題が噴出しつつあるという連鎖です。

 

そもそもごみ処理は国によって処理施設の規模や各行政区間によって、対応力は日本国内だけでも様々で、例えば名古屋市は廃棄対象ゴミは、隣県の多治見市に有料で埋めてもらっていますが、地域ごとに見てもおそらく人口の多い自治体は、だれもが納得できる根本的な処理解決ができていないでしょう。

ゴミ焼却に至っては、CO2排出規制というルールを守るために限界があって、償却効率が優れるとされる日本でさえ、既に限界を超えていて主に中国へ資源ごみは輸出もしていましたが、そのごみの多くは海に流され、一部が日本に里帰りする皮肉な現象も起きています。

 

この現状において、日本の市場はタピオカブームでわかる通り、肝心な対策を待たずして見切り発車したようにも見られそうですが、消費者側に責任を押し付けても解決する問題でもないのに、この流れは生産側より消費者側に来そうな勢いです。

「商品は買え」

「ごみは捨てるな」

この矛盾問題は消費者間で大きく意識され、持ち帰って家庭ごみとして捨てる、これが浸透してます。

企業側に立場を変えるとこうなります、

「商品は買わせる」

「ごみは出させる」

商品は消費者が求めるので売っているし、利益の出ないものはそもそも売りませんが、売れても商品ゴミを回収処分するのはあり得ないこととなっています。

ゴミ処理に対して求められる常識観や行動義務が全く違うことは、意外と意識されていませんし、意識したとしても表面化されるところを殆ど見たことがありません。

 

その一因で不思議に見えることは、TVメディアが爆売れブームを似たような内容なのに、何度も何度もどの局も流す一方、たとえ問題をニュースにしても、上のような矛盾を指摘するシーンは見たことがないことです。

どちらかと言えば、ネットメディアの指摘が早かったり、個人発信の方が的確だったりするシーンに多く当たると思えるのは、ネットの速報性よりもメディアの姿勢に何か大きな違いがあるのかもしれません。

 

さて、話の対象をメディアからタピオカブームに戻しますが、あまりの人気拡散の速さは、明らかにネットでの拡散メリットが存分に生かされた結果であることは、だれもが理解されるでしょう、その解決のヒントには20年も先輩の台湾のゴミ処理は参考になるかもしれませんし、自然災害など他にも台湾とは共通の問題が結構多いこともあって、意識の共有化はマストになるのではと期待しています。

ただ情報拡散のによる想定外の問題化はどの国においても答えのない課題で、ブームと同時に起こる問題が同じ速さで増大することを証明してしまった以上、これから先起こる現象に対する備えのとして、このタピオカブームというインフルエンス現象をとらえて、問題対策のスピード化も視野に意識を変えないといけない時代にはなったようですね。