悪く無ければいいの?ガラパゴス文化意識
これからしばらくは、日本国内でも外国人などとの異文化交流が増えるのは、間違いありませんが、その際意識面でのグローバル化が必要になってくる時代に、乗り遅れないようにするにはどのような意識が大事なんでしょうか。
これは、地方創生でも少なからず避けて通れない変化だけに、今までのように自分は日本人だから必要ない、とは言えなくなる話題だけに、当ブログでも扱っていきます。
ガラパゴス文化とローカル的意識
日本人の良くも悪くも、「集団行動」化する傾向が強い面を、グローバル化する国内において、どうコントロールするか、は大事な課題です。
すでにfacebookなどでも国民性意識高揚をうたうコミュニティーは探すといくつか見つかったりしますが、呼びかけは大事な啓蒙ですが、今アメリカでも注目されているナショナリズムに傾倒する火種にもなるものだけに、過度に集団化させない個人意識のコントロールが必要です。
運転ルールでハザードで「サンキュー!」を意思表示するのは、すっかり定番化してますよね。
筆者、この行為 今でも違和感を拭い去れなくて、何でここまでこだわるんだろう? と反芻してみると、本来の意図が全く異なった意図へシフトする国文化や意識の独自性が、あるきっかけを境に津波のように変貌する「異常な感覚」を見るからだと気づきました。
こういった独自性の分かりやすい例は、交通ルールに顕著に出ています。
「赤信号、みんなで渡れば怖く無い」
このフレーズを聞いて、その是非に首を縦に振る方は少なく無いでしょうし、とても 日本の国民性の一端を伺える例です。
一方で、海外から賞賛される「行列」という事例もあるものの、この独自性はここ十年以来、国内でのグローバル化意識の高まりによって、マスメディアやネットで多く取り上げられるようになりました。
創生において、この意識高揚を上手く活用するには、独自性 の洗練をする時期に 入ったと見ています。
より国民性を高める上で、このガラパゴス文化と皮肉られた独自性を、一人一人がかみしめながら、是非の確認をしていくことが望まれます。
この意識の選択が無意識に無防備に行われている現状が、私たちの意識の国際化 にブレーキをかけている現実を、そろそろ意識していく必要を感じるのです。
近隣国さえままならない国際意識の不足
また、お隣中国との仲の悪さが本来の認識よりとてつもなく悪いのに、昨今特に違和感を感じます。
長い歴史の中で、もっとも繋がりが濃くても良さそうな両国が、ようやく産業面で肩を並べるようになった今、共産党の良からぬプロバガンダはあるにしても、市民レベルの交流としてはとても有効な関係を持たねばならない筈ですが、そうなっていない事実からは、双方の柔軟な意識の欠損という課題を残しています。
この点も上の国際意識の課題と同じようなことが起こっているのでしょうし、もっと文化や歴史においてたくさん話し合う機会をもってもいいのではないでしょうか。
私たちは(おそらく中国人も)一部のニュースから流れる中国共産党の一方的な政策に辟易させられてはいますが、実は経済交流ではドライな産業提携が普通に行われていて、経営者目線でみれば両国は、最も美味しいカードを持ち合わせているということですから、日本はもっとドライに中国とのあらゆる接触・交流の機会を、この時期だからこそ増やすべき。
今の日本や中国は、余りにアメリカやロシアなど西洋式のマス獲りゲームに加担しすぎで、日本は特にもっと東洋文化圏の発展に中国への影響を与えられる政策も、軍事防衛予算増大とよりも考慮すべきです。
今回はあえて自虐的な内容に触れてみましたが、間違いなく言えるのは日本人の国際意識の欠落が、未だ激しいという事実と、それによって世界との様々なチャンスを悲しいくらい見逃している事実に、意識してほしくて触れてみました。
意識の高い人には何を今更と言われそうですが「狭いニッポン……」的意識がすべて悪いわけではないにしろ、「閉鎖的な意識」に多分に含まれる課題だけに、内向きと外向きの意識のバランスを見直せればと思っています。
とは言え、最後に日本人の道徳意識を誇りに思う自分がいることも、否定できませんが……。
https://m.facebook.com/groups/1464860653791641?view=permalink&id=1846799242264445