くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

DVの現実は、日本と家族のためにどこまで理解されるべきだろう。

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「女の言葉の攻撃に対し、言葉で勝てないから男は手が出てしまんだよ」

「女だって、言葉の暴力がひどいじゃないか、その暴力を暴力で対抗するしかない」

「君の僕への理解力が足らないから、こうなっちゃうんだな」 

「君が俺を怒らせているだけで、俺を怒らせる君が悪いんだよ」

 

 これがDV(ドメスティック・バイオレンス)加害者の言い分だそうですが、ほとんど男の典型的な言い訳そのものですね。(;´∀`)

 警視庁の人々が、DV被害を受ける女性(ほぼ)の保護・相談を強化する取り組みをしているそうです。

 

 暴力を受けて、一旦逃げるもののまた男のところにもどってしまう被害者の心理は、男が、いくら逃げても絶対見つけて一生追い続ける、とか上のようないかにももっともな言葉で、言い方悪いですが飼いならしていく。

 DVをする男は、そういった手練手管に長けていて、それ以外のいかにも全うな、もしくはいい人として仕事・生活をするための道具にしている、いわゆる異常者です。

 こういった男(ほとんどが、例外で女もいるかも)は普段傍からみても、全うそうに見えても、言動の端端に凶器が見え隠れするのですが、それ以上に「いいひとぶり」が強調されるので、ほぼ黙殺されることが多いようです。

 筆者の周りにもそういう人物を見聞きしていますが、証拠がなければ何もできませんし、逆にこちらが悪者にされかねないので、むやみに手は出せないのが厄介です。

 

 さて、最近メディアの充実で、このような話がゴシップとしてたくさん流されている昨今ですが、私たちはこの問題をどこまで理解しているのでしょうか。

 実際の経験者(加害・被害)か、その家族や知人が居ないとなかなか実感の沸かない問題だけに「被害者はかわいそう・気の毒」で終わっているのがせいぜいでしょう。

 それは責められることではありません。人間経験のない事象は妄想するしかないのですから。

 ただ、いろいろなドキュメント番組を見るにつれ、思うのは警察もそうですが相対的に、筆者も含め男性の意識の低さのようです。

 

 女性のインタビューを拝見すると、逃げてきているのに戻りたくなる心理や、自分ばかりを責める回答に愕然とします。

 男目線で言えば「なんで逃げてきたのにそんなことを」と言って終わってしまうのが殆どでしょうね。筆者も男なので思考回路は理解できますが、所詮同性の加害者に心理的に共鳴している部分があるわけです。

 だから、自分の細かい所作の中で、同様の部分を見つけるので、どうしても及び腰になりやすいし、これは特集番組の警察官を見ていても、男性と女性では被害者に対しての親身の度合いが違うように感じてしまいます。

 この感触が、筆者一人の妄想ならそれに越したことはありませんが、どうも加害者と同性の立場の男性担当者には、何かを感じてしまう。

 これは「おとこの本音」「おとこがおんなに言いたいこと」の数々が心のふちにあるからですが、かと言って女性だけの編成部隊というのも、本筋の問題解決として違っている気がする。そうですよね、男と女両方が存在する現実は避けてはならないからですが、じゃあいったいどうすればいいんでしょうか。

 

 そんな男性目線ではありますが、新たに思うことを記事りますと、DV被害の方の保護は必要ですが、心理カウンセリングに重きを置いたほうが、良さそうなきがしたのです。

 この問題は、いくら被害女性を隔離保護しても世間の問題解決度からみれば、○○なものには蓋をしろ、と言ってるのと大差ないからです。

 男女間のほとんどの問題は、お互いの言動への「共感」で解決の糸口が見えるものが多いですが、犯罪にまで及ぶとなると、共感できてないいやむしろ共感を拒絶した末路の事象なために、根っこが全く違っています。

 

 警視庁には、都内を管轄する人身対策チームがあるそうです。

 一旦は本能的に逃げてはきたものの、その半数がまた戻ってしまう被害者への配慮、化加害者の強制拘束力をいかに発揮できるかですが、一方で被害者にも定期的な連絡をとって、現状を把握している取り組みは評価できるものの、それは一時的なもので再教育への紹介・あっせんも含め心理カウンセリングも必要ではないか。

 

 女性は特に、配慮や体裁を重んじるあまりに、周りにその危機感を発信しない傾向があって、表面化しにくくより一層問題が表面化しませんから、能動的なアプローチをどう被害者へ試みるのか、

「危ないから連絡しなさい」

「何かあったら相談してね」

「もっと早く知らせてくれたらね」

という返事は通り一辺倒で、責任回避的あり単に説教に始終する警察担当者、被害者にしても、

「いつか分かってくれる、やめてくれる」

「自分が我慢すれば、まるくおさまる」

「次に暴力振るわれたら、すぐ逃げるから」

 という、一見自己犠牲的ですが自己逃避も含まれる言葉が出るように、双方の言葉がかみ合っていないようです。

 さらに話を厄介にしているのは、

「DV加害者(被害者の双方)プログラムの推進は進めています」

という政治トーク。

 相談窓口はあるんです……それだけじゃ、利用者が知らなければ意味がない。

 これらすべてが、被害者目線を無視しているのは、実施者の恩きせ意識の現れと言われても止むを得ません。やる以上は対象者に実利のあるサポートでなければ効果半減ですから。

 

 DV依存なる言葉の意味するのは、加害者側の立場の言葉であり、加えて被害者との間では被害/加害の立場の逆転現象が成立しているのは、何とも皮肉な話です。

 

 単に加害者を言及し最悪逮捕拘留して、一方被害者を保護隔離して相談相手になるだけでは、解決しませんし、もったいないのは働ける女性、配偶者のある成人の五人に一人という数の多さです。

 これだけでも、社会与えるマイナス経済効果は甚大なものですから、国策で取り組むくらいの勢いはあっても、決して税金の無駄使いという人は(加害者以外)いないでしょう?

 

 これは大人がする子どもへの虐待にもかかわることですが、やはり被害者の心理学レベル矯正をするほどの対策がないと、保護したあとしばらくして放置では、元の木阿弥になりかねません。

 

「暴力から逃げられない」

「何度もDVを受けても同じ場所へ帰る被害者」

「自分が死ぬしか解決方法はないと諦めている」

DVはすでに依存的な症状にまで進んでしまっています。

 

 もっとも、被害者側に全く原因やきっかけが、ないわけではないでしょう。

 性格的に依存度が高い、内向的・控えめな人は、自主性や自助のノウハウがないために、言われるままになりやすいからこそ、磁石のようにその対極の性格の人間をひきつけやすいのも問題を深刻にしていますし、ここまで第三者が介入するのに、異論をはさむ人も多いと思います。

  ただ、そういう被害者現役・予備軍が無視できないほど存在する現実がある以上、ケースによっては「介入」「おせっかい」も致し方ないところまで来ているようです。

 

 東京などの大都市には、DV被害女性プログラムや、加害者更生プログラムで加害者・被害者家族を支援する民間組織はありますが、周知が不十分なのか、数が限られているのか、はたまた金銭がネックになっているのか、まだまだ活用されていないようではあります。

 被害者への「再教育」や「心理治療」がどこまで必要で、どれだけ警察の犯罪防止と連携していくかは、筆者ごときが判断を下せる話ではありませんが、もう現代では、「ねえ、お隣さん何かヤバくない?」とか噂話で済ませられるほど、他人事では無くなってます。

 健全な家族は健全な利益を日本にもたらすだけに、女性雇用・少子化対策に加えて、子ども時代からの教育面での家族健全化施策からも、国がリードして大きなメリットがあるとは思うのですが、皆さんはいかがお考えでしょうか。