くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

名古屋「広小路屋台復活を」名古屋市長、市議定例発言、ごみ処理など課題山積

毎日新聞 2015年02月25日の記事ですが、気になったので載せます。

 名古屋市河村たかし市長が25日の市議会2月定例会で、市中心部の広小路通で大正から昭和期に並んだ屋台を、今夏に復活させる構想を表明した。しかし、水道の給排水やごみ処理、トイレ設置など課題が山積しており、担当する市観光推進室は「全く準備できておらず、今夏に間に合わせるのは難しい」と困惑。屋台が並ぶ懐かしい光景がよみがえるかは不透明だ。

 斉藤高央市議(自民)が個人質問で「屋台は観光資源としてポテンシャルが高い。復活に向けモデル事業実施を」と聞いたところ、河村市長は「今年の夏には広小路で一杯やれるようにしよう。陣頭指揮を執り、課題を解決する」と答弁した。

 議会休憩中、河村市長は報道陣に対し「事業費はほとんどかからず、確実にもうかるのだから民間に負担してもらえばいい。酒を飲んで人生を語り合う場にする。7月には地下鉄伏見駅から名古屋駅の笹島交差点まで広小路通の歩道に屋台を並べ、その後は常設化を目指す」と意気込みを語った。

 河村市長は答弁の前に、具体的な復活時期などを市観光推進室に知らせていなかった。このため担当者は「寝耳に水」と驚き、「沿道の飲食店はライバルになる屋台の進出を歓迎しない可能性がある」と心配する。

 市中心部を東西に走る広小路通では、かつて酒や料理などを出す屋台が並び、最盛期は約350軒に達したとされる。そのにぎわいから、東京・銀座を散歩する「銀ブラ」に対抗し、「広ブラ」という言葉が生まれた。しかし、衛生面が問題視され、車道の拡幅計画が出たことなどから1970年代に姿を消した。

 

 筆者は個人的には河村市長のお人柄大好きなんですけどね。
もう少し、周りが素直に首をタテに振れる雰囲気を作れないモノか、とため息が。

 名古屋市の栄ー名駅間の”広小路”戦後から、発展のキモになって来た区間です。

名古屋発展のために、さまざまな試みがされ変化してきましたから、ここを河村市長ならではの提案をされたという話です。

 ネットでご意見・書き込みを拝見すると、やや反対が多いようですが筆者が思ったより賛成派が多かったのは意外でした、筆者は基本賛成というスタンスで話します。
賛成ではあるのですが、反対意見の大須や金山でいいという意見は納得できます、昔は確かに屋台はアリだったのでしょうが、サラリーマンのスタイルも変わってきてますし、既にさまざなな既存固定店がひしめき合ってます。
 街の特徴を考えて活性化を狙うなら、筆者は大須とか円頓寺の方があってると思います、何なら堀川開発を兼ねて川沿いとか、どうせ活性化するなら駅西通りとか、繁華街から観光者誘導も狙って市街へ誘導するきっかけに使うという発想の方が効率いいのではないでしょうか。

 広小路付近の景観はビジネスや教育文化などのインテリジェンスなイメージが似合う街になってますし、夜はそれなりにビジネスマンの憩いの場所として機能してますしね。
 どうせ名古屋色を出すのであれば、まずは木造の名古屋城復活。それを軸に文化的・庶民的な名古屋の下町風な街づくりならまだ理解できます。
 部分的に切り取って、ノスタルジー訴えるだけなら素人でも言えますから、街づくりの専門家の自負がおありなら、市民を「名古屋はこう行く!」と流れを納得させてからでないとついていけないんじゃないでしょうか。