くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

礼和元年も中頃、当ブログスタンスの再確認

横領や不正献金が横行に慣らされてしまいそうな中で、日本人はなかなか知恵者だなぁとそのたくましさに、変に関心してしまうことがあります。

今回は日本改元初年度も中過ぎの時期に、当ブログの方向性を改めて再確認しながら、周知していきます。

 

www.yamabukiiro.com

お歳暮,お年賀,お中元,袖の下(ワイロ)には山 吹色のお菓子

 

この「くろま流NAGOYA式ブログ」購読頂いている読者の方々には感謝の限りで、筆者の思いは、趣旨はなんとなくご理解頂いていると認識して継続している一方で、今後少しでも方向を明確にできるよう、この機に整理したいと考えました。

筆者の書きたいことを書くスタンスは変わらないのですが、その書きたいことと読む側の接点を明確にできたらと思い、整理する意味で今回は書きます。

 

現在の隔日更新での発信は、今後も基本的には継続いたします。

内容について過去から追えば、地域まちおこしに関わるテーマで、気軽に始めたのですが、逆に開始当初のような地方創生が行き詰まっている現実を知ることになり、単に成功事例やヒントについてだけでは安易だと考えるようになりました。

 

地域の活動や筆者の行動の紹介から始まって、その方が書く身には精神的に楽なのですが、生々しい事実を伝える中での模索に取り組んだ方が、まちづくりには少しでも役に立つのではないかと思うようになりました。

そこで、ここ一年は素材にする関連記事を前向きにフォローするだけでなく、表面的な活動よりあえて扱わてにくい課題や問題をストレートに考える方向に切り替えてきました。

 

こうしたネガティブな話題は敬遠されがちなので、このシフトが正解かどうか未だ迷いながらも、あえて任意広告が付けられる有料サービスを止め、無料に戻して忖度しない自由な主張がしやすい状態にしたり、純粋に言うべき意見を無骨に書いてきました。

それでも無料ゆえの強制広告は消せなかったのですが、システムが安定したはてなブログを選択したことで自前サーバーよりも、時間制約ある中で書くことに集中できるメリットが功を奏して5年以上継続できました。

 

言わないで後悔するより、言って後悔する方を選びたいですし、

文字にすることで、苦手な意識を一つでも克服する習慣を持ちたい。

この思いが、モチベーションになっています。

 

初めての恋の告白の時味わった、打ち破れたあとの清々しさに似ているかもしれませんね。

 

ただ、筆者の拙い文体のために、真意が誤解されるのは悲しいので、改めて説明させていただきますと、まずは一日本人名古屋市民としての目線で書くこと、次に主流の目立つお役立ち情報やノウハウ記事をなど、あえて美辞麗句情報発信は他のブログにお任せすると、割り切ることにします。

それよりあまり触れたがらない面を一般的なニュースから見出し、独自視点で考えるべきポイントと課題を追っていくスタンスで、個人的意見の重さを心がけて書いていきますので、興味を持っていただける方は限定されるかもしれませんが、これからも引き続き購読よろしくお願いいたします。

 

愛知で起きた芸術の意味を問う騒動

県主導で4年に一度開催されてきた、あいちトリエンナーレの本年度の出品に日本ヘイトを目的と推される作品がメインに扱わたことで、イベントそのものの目的や税金使途の価値について、多くの日本人から物言いが付きました。

政府文化庁が認可したこのイベントの準備進行の過程で不正か極めて不明瞭な確認手順を是正すべき課題を作ったことで、安倍新政権の組閣では文科省大臣に萩生田氏を宛て、課題の洗い出しを始めています。

 

www.huffingtonpost.jp

文化庁、あいちトリエンナーレへの補助金不交付を発表 萩生田・文科相「相談あれば寄り添って対応していた」 | ハフポスト

 

問題発生時点では、イベント趣旨賛成派が相当に湧き上がりましたが、その主たる者が左派主義の意見者が多いと筆者は見受けましたが、注意したいのは現在ではこうした思想分類は複雑になっていて、分類は統一された判別は非常に困難になっているということです。

かくいう筆者にしても、一概にどっち派だと明確に説明できませんし、関心の薄い人を除いた他の多くの人でも、明確に立場を主張できるほど傾倒している人は少ないでしょう。

 

この事実を逆手に取れば、極左とか極右と言われる際物思想を持ったわかりやすい人々を除いた場合、その見極めは極めて困難で、むしろ都合のいい思想に誘導しやすくするために、その姿を見せない人々の方が多くいるかもしれないということです。

 実際にあいちトリエンナーレの騒動で沸いたSNS書き込みには、一般の個人的な意見の中に便乗組が少なからず居て、特に左派による思想の正当化・誘導、民主主義のすり替え意見が優先的に表示されていて、混乱の基になっていた事実からもわかります。

 

元々筆者が左寄りに傾倒して宗教や政治に対し、あれこれ小難しい意見を持っていた経緯がありますので、今は辟易していてもその道理は理解できる立場ということもありますが、いかに目線の公平化といいますか、均衡を取ることが難しいかを肌で感じたのです。

日本人の多くは平和を好み、争いをよしとしない人たちで、この傾向は世界的に見てとても稀有な条件ですが、こうした平和活動がなかなか実を結ばない背景は、日本が主張する平和像と海外諸国の描くそれとの、大きなズレがあるのかもしれません。

 

その一番の要素には、戦後からの被害意識を平和願望と混同していることが挙げられると考えられ、実質的にアメリカの思惑の縛りに従わざるを得ない日本が、国内のさまざまな新興市場や経済システムの事象実験場として機能した近代の日本では、今後も左と右との熾烈なシェア争奪戦が続きそうです。

そして、その対抗するための外固めに都市部への国家予算が集中投入する流れが、地方活性化を送らせて国内経済の均衡を生み、全体の活性化に歪みが出ていることを前提に、私たちは日々前向きにまちおこしをしていかなければならないのですね。

 

変化に備える、大事なのは視野の広さ

れいわ新選組の代表山本太郎氏が、注目されていますね。

 

筆者は特別評価も否定もしていませんが、これまでの政治家とは違った種類の才能としては、変化を求める時代にとって、あるべき人材だとは思っています。

 

この方、ご存知の人はいらっしゃると思いますが、デビューは過去のタレント発掘番組「イカ天」で、奇抜なパフォーマンスで度肝を抜いた方で、その後一旦人気が落ち着いたあとに政界デビューされた方で、何かやらかす感は当時と変わっていません。

日本の環境では、なかなかこれだけ柔軟に解釈をする人材は頭角しにくいだけに、物珍しさと疎ましさ両方を背負った人物としての価値が注目されているのだろうと様子見しています。

 

 

www.tokyo-np.co.jp

東京新聞:憲法変えようとする人 怪しいと思え れいわ・山本代表インタビュー:政治(TOKYO Web)

 

 今のところ、一般的な向きには際物・異端児としての賛否両論の評価がされていますが、筆者も未だ彼の本心は測れずにいて、どちらにも化ける可能性を持っていると見ていますが、私たちにとって有益な方向で活動していただけるという期待感は、しばらく持ち続けたい才能の1人です。

その期待には、彼の従来の政治家と目線や幅広い視野と学習意欲が、柔軟であり多様性を持っている点が大きいと思いますが、裏を返せば曖昧で風見鶏のような行動ともとれてしまいます。

 

情報過多の時代を生き続けなければいけない定めを持った私たちにおいて、山本氏のような自由な発想を軸にしたタレント議員は、パフォーマンスに始終した経緯がありますが、彼のように真っ当に行動するタレント議員は、女性議員を始め増えつつあります。

かつてバブルの余韻余りし頃に出回ったUFO党なる異常な集団とは、比較にならない個性あるタレント議員の頭角は、これからの芸能人の自営者としての感覚を政治にも、反映される手段として期待したいところですが、まずはこの変化に同調し私たちも積極的に自営者意識を身につける独学を、要求される時代に入ったと言えるでしょうか。

 

確定申告で始める、自分流ライフのススメ

便利でお得を誘う情報源が人気の的ですが、即効性のあるとされる情報源ほど、どうしても使い古されてしまうという運命にあります。

一時的に目には付きやすい情報から、応用して自分流のお得感を見るけるスキルは、有料でもなかなか見当たりませんよね。

 

それは、実際に成功した実感を持てるほどの人が圧倒的に少ないからでかつ、その価値を過剰に評価しやすい情報環境に大きな問題があるからでしょう。

では、自分流に価値を見いだせるお得情報はどのようにすれば手に入るのでしょう。

 

web.smartnews.com

ごく普通の収入なのに…子ども2人を抱えながら40歳で1700万円貯められた理由とは? (All About)

 

この答えには、多くのスキルが絡んできますが、筆者も正直成功者ではありませんので、手始めに一般的なサラリーマンの立場で見た、場合のスキルについて考えておきます。

 企業に雇用されていれば、厚生年金加入で折半で会社が税務申告するケースが殆どだが、最近自身で申告する人が増加していると聞いたことがありますが、このお金の管理を、ご家庭の主婦が当たり前にするスキルを、雇用者だと面倒に感じたり、依存してしまうことが往々にしてあります。

 

ただ、世の中は資本貨幣経済の真っ只中であり、お金の流れを理解し調整するスキルは本来誰もが欠かせないものであるはずですが、今会社の第一線で活躍する多くの男性が、一歩家庭へ戻ると全く無視やお任せになる現実には、目を塞ぐ人が多いのではないでしょうか。

この課題をクリアするのに手っ取り早い方法は、確定申告を自分で毎年実施することで、実際に自己申告してみるとよほどの兼業していなければ、ネットで手続きできてそれほど面倒でもない事実に気づきます。

 

この簡単な解決手段が、働く企業方針に左右されることが多い諸氏には、経験のチャンスさえないまま、今に至っているかもしれません。

よく家計簿をつける習慣をつけよう、などというノウハウ記事を見ますが、筆者の経験……単にズボラなだけかもしれませんが身につかず、むしろ確定申告の方が楽々できてしまいました。

 

おそらく多くの、特にご自身の資産管理を敬遠されてきた方にとって、確定申告は正当な国民の納税義務によって、国民権利を堂々と主張する意味でも実益がありかつ、お金の仕組みにも関心を持ちやすい面もあって、合理的ではないでしょうか。

昔のようにせっかくの休日を台無しにして、長い列に並んだ挙句に慣れない専門家の指示に明け暮れる無駄な時間を持たずとも、ネット環境さえあれば比較的自由な時間に手続きが取れるのは、やってみれば目から鱗の体験になるでしょう。

 

サラリーマンの中ですでに実施している方は、蛇足になってしまいますがまだまだそうでない人がいると思いますので、ぜひ今年の確定申告は自身で行うことをオススメします。

もし、会社によって禁止まではないにしても疎まれる場合はあるでしょうから、実施が困難な人もお見えでしょうが、そんな方でも税務署のサイトを開いて書式を確かめたり、税務関連の本やネット情報を暇な時に読み込んだりする習慣は、きっと人生に大きな変化を起こし、可能性を広げる一助になるでしょう。

 

未だに謎多き古の歴史は、今こそ。

 日本人としての存在価値や自信を持ち続けるのに、今の時代はなかなか辛い時期にありますが、そもそも歴史の授業を学んだ当時から好きだった人は、きっと少なかったんじゃないでしょうか。

好きになった人は、教えてくれた先生が型破りな授業で熱心でわかりやすく歴史を説いてくれたとか、特定の歴史の登場人物に大きな興味やリスペクトをうけたとか、他に向いていたはずの関心ごとが偶然歴史に向いた人でしょう。

 

そんないj経緯で、率先して歴史好きに人はむしろ変わり者と見られたような思い出がありませんか?筆者はそのどちらにも当てはまるタイプでしたので、その立場から言えば、当然歴史は面白いと思っているわけです。

因みに歴史の興味を誘う上で、まず大事な決まりがあるのですが、何だと思いますか?これは歴史に関心があるないに関わらず、歴史をり利用する上で欠かせないルールなのです。

 

www.asahi.com

ヤマトタケル妻は名古屋に? 断夫山古墳を発掘調査へ:朝日新聞デジタル

 

例えば、上のような古代に存在する遺跡の由来を特定するのに、足がかりになるのは存在する事実にどういった理屈と流れをくっつけるか、という決め事で論争が起きますが、決定的な根拠には「文字で残された書物」の有無が前提、この事実がないものは歴史とは言ってはいけないのです。

その書物でも、その当時に書かれた書物ほど優位になったり、公的価値も大きいですが、いかんせんこうした書物の発見や管理、分析が大学や専門家などの権威によってされることが多いことが、一般への歴史の難易度を高めてしまっています。

 

しかし、この国の歴史は現代のような自身のアイデンティティーが揺らがされがちな時代には、とても大事な意味を持ってきますから、タイムリーなところからでは、日韓関係に影響する近代歴史の関心が高まったりするわけです。

そんな時に「いや〜歴史苦手なんだよね」となると、即トレンドから置いていかれてますます遠ざかってしまうわけですが、これがどれほど日本人らしさから遠ざけられる悪影響が大きいか、知っておいて欲しいのです。

 

それでも、でもなぁ、という気持ちはわかりますが、いきなり詳しくなるのはハードルが高いわけで、むしろ観光のついでとか地元の謂れからでも関心を深めて行くほうが、より自分の生活に役立つ即効性が高いでしょう。

筆者は東海地方在住ですので例えば、歴史的にはまだ異端ですが比較的人気のある戦国時代でも、あるあるな謎だけでもたくさんのロマンと可能性を残している点で、下のような説も面白そうですよね

 

intojapanwaraku.com

石田三成の子孫は生き延びていた!関ヶ原の隠された真実 | 和樂web(わらく)日本文化の入り口マガジン

 

東海地方はブームの火付け役となったのは、戦国時代の歴史が証明されている範囲で見ても多く、今でも歴女ブームも耳に新しいと思いますが、NHK大河ドラマの根強い歴史ファンの効果もあって、今でも関心の高い人が多い地域です。

また、関心の高い地域で言えば、比較的古い歴史では時系列で言って西日本にその傾向が高いので、関東以西にファンが多いかもしれませんが、それより北の地域では一見歴史が浅そうに見えますが、土偶とか住居遺跡だとか、アイヌ民族とか、馬文化とか、西日本に負けないほどの謎や、魅力がたくさん残されています。

 

これらの事実は、これまで専門家の意見や権威に守られ迷走していることが往々にしてありましたが、この習慣や意識は日本そのものを感じたり、自身の生活に落とし込む際の大きな障害になってきたのは残念なことです。

また、今が歴史に限らず国内の課題を解決する道筋になる、専門的知識や基礎研究がないがしろにされる傾向が高いために、残すにふさわしい日本の文化・慣習、知恵や技術が大げさに言えば駆逐されようとしている危機感を、まず共有したいという思いがあります。

 

どれだけ共有して実生活へのフィードバックできるか、私たちの今そしてこれからを大きく左右する時期が続いている現実にこそ、関心を持っていただきたいと感じて、書かさせていただきました。

最後に、1人でも多くの日本人が、その価値と可能性に気づいて、生活の心の糧にされることをせつに願っておきます。

 

 

時代に合わせて、日本のカタチを取り戻すための考察メモ

 時代に変化にライフスタイルを変化させようと、私たちの中には断捨離が流行しましたが、日本も世界のトレンド変化に対等に渡り歩くために、断捨離を真剣に考え行かなければなりません。

 西洋諸国が、経済成長ピークを過ぎ下降と言われて久しいですが、日本はその最先端を行くと言われるばかりか、中国や東南アジアに至るまで、近未来の模索への様々な事象実験が暗黙のままに進行している事実にお気づきでしょうか。

 

toyokeizai.net

人口急減時代の「日本」という国のたたみ方 | 政策 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

 お気づきでない方もいらっしゃるかもしれないので念のため補足いたしますと、例えば日本ではデフレを前提とした緊縮財政が、これまでの金利政策の常識を覆していることを証明してしまいましたし、MMT理論として纏められアメリカでも警戒されました。

中国では、国民の思想・行動をコントロールするIT技術の事象実験が結果をだしており、またウイグル自治区で中国政府による市民への政治介入によって、情報統制で真実を隠しながら非合法な臓器移植ビジネスのコネクションを構築していたり、分断された国家が一つになるときにどう介入していくかとか、東南アジアにおいては発展途上国に対する経済優位性をどう図るか分析していたり……とか。

 

幾らでもその痕跡は見つけることができますが、こうした事象実験は資本主義圏では欧米が、共産主義圏では中国(ロシア)が公言し実行している事実であり、未だ日本でさえも彼らからすれば実験場の一つでしかないと見るべきです。

その現実をTVメディアを中心に情報制限して解りにくくしているので、私たちの多くからすれば「ありえねー」となるわけですが、今周辺国で起きている事案を一つ一つ冷静に照らし合わせると、静かに日本でも既に進行しているのに気づくと思います。

 

日本は実質上では先進国ですが、一回の敗戦を機に常任国入りをはく奪されたままであり、そんな発言権さえ持たない小国が、世界の大国をさしおいて稀有な債権国でいられるのはことが真の実力なのでしょうか?

国を分断されたまま放置され続ける不幸な隣国と、境遇はさして変わりないと言っても言い過ぎではないのでは?他国で同じ境遇のドイツはどうでしょうか、この国は分断と合併、常任国はく奪を一国で経験した国ですが、これをアジアで見てみると朝鮮と日本にあたり、この事実が単なる偶然とは筆者は思えません。

 

つまり常任理事国からして、感覚的に朝鮮も日本も大して変わらないのでしょうし、あとは役に立てば美味しい思いはさせてくれていますが、未だに主従関係は根強く残っており、それを理解していないと矛盾を感じたり、理不尽な体験もする人も多くいらっしゃると思います。

日本がどこの属国かは、いまさら言うまでもないでしょうが、私たちが思っているほど対等な条件で張り合うことは、戦後70年以上経った今もできていませんし、日本政府が外交下手に映るのはこの事実誤認や勘違いが原因であることが多いと思われますが、だとすれば、皆さんは日本人として情けないと思わずにはいられないでしょう。

 

こうした背景において着々と進んでいる、教育制度の偏りや情報偏重によって、私たちは国の誇りと自尊心を奪われ、本来の平和志向が良いように利用され、へりくだる哀れな人民となった一因となっています。

そう、そもそも私たち日本人は他国の人と比べれば、全然平和志向の人間なのですよ、しかしそれと同時に実直で責任感が少し強い分、責められたときに自分ばかり責めてしまいますが、他国ではそんなことはむしろレアケースです。

 

 

これを受け入れることから始めなければならない人は、衝撃が大きいかもしれませんが、既に自覚される諸氏はすでに「負けない日本」についてプラクティスにいそしんでおられるかもしれません。

まだの方は今からでも、心の総決算・棚卸を実施したうえで身の周りの、あるべき姿を思いおこしてみるべきで、これこそ内的な自由を得る最短コースになります。

 

今少しずつ、日本における近代歴史の経緯が見直されることで、これらの不当に気づきだした人が増えつつありますが、そのヒントはご面倒でも明治維新から太平洋戦争、その戦後までを、教科書で学んだことを一切捨てて記録された事実だけを見返していただければ「日本人だけが、戦争の罪を背負ってしまった」経緯が、思った以上に容易に解けるでしょうね。

近代の歴史には日本の正当な事実が多く残っているのに、意外に事実を端折られていたり、ぼかされていたりしたのですが、これの罪は日本が戦争をするに至った経緯があいまいにされたことであり、さらに年号をまる暗記させられる苦痛によって、正当化していいことと自責すべきことが、正確に判断できなくなった上に敬遠さえしがちですが、実はとても大事な事実を知ることができると思うと、身が引き締まる思いがしてきませんか?

 

そのうえでの断捨離がもうすでに求められている段階であると同時に、その一環としての「憲法九条」の改定は、本来の日本人を取り戻す意味で、そして誇りを未来に引き継ぐためにも、不可避な手順であると考えられないでしょうか。

例えば事実として、金で買えていた安全保障は金が尽きれば妄想でしかありませんし、国を守ることに限定すれば、かつて誇り有った日本も当たり前の様に軍を持っていた頃は、対等に他国への国際発言権をもった常任理事国だったのです。

 

この事実を、単に軍拡という狭い視点で見てしまえば、多くの人が「恐るべき行為」だとか「断固反対」となるでしょうが、そもそも論を思い出していただければ、本来それが普通に国民が支持してきた日本のあるべき姿なのです。

私達の中には、少なからずいる「日本が武器を持つこ自体が罪」だと何かにつけて言い続ける内外の人がいますが、そうした状況こそ絶つすべきであり、その代わりに忘れさせようとされる日本人の厳格さと平和主義を思い返せば、武器を持つことの罪から解放されていかないでしょうか。

コミュニティバス運用のカイゼンに見る、実行力

別の回で、住みやすい地域づくりについて書いていますが、ある実例を用いて少し具体的に考えてみたいですが、筆者の地元名古屋の隣接地域に瀬戸市がありまして、その代表的な住居コミュニティを例に見てみます。 

そこは菱野団地で、もう何十年も前に山から宅地造成された専住地区ですが、団塊世代最盛期に人口が最大限になった多くのコミュニティとほぼ同様の経緯と課題を抱えていますので、事例として妥当だと判断しました。

 

www.homes.co.jp

愛知県瀬戸市「菱野団地」。住民バスから始まった、住民主体のまちづくりが進行中 | 住まいの「本当」と「今」を伝える情報サイト【LIFULL HOME'S PRESS】

 

団地とありますが、集合住宅だけでなく戸建の方が多い印象の街並みなので、今でも転出者の増加で人口減が少ない地域と思われますが、自家用車比率が高いと言われる愛知県であっても、高齢化による移動手段の問題がある地域となります。

このようなコミュニティは、住民団体が活発かどうかに大きく左右されますが、高齢化であっても一定数の人口が安定しているため、民営主体の企画が実現しやすいようです。

 

どこの地域でも大型住居専用地域の人口減が心配されていますが、高齢化で移動の足確保には、交通システム完全廃止は最終判断にしてほしいものですが、こうした団地の空洞化が始まっている地域の対策は、それぞれ始めていると思いますが、肝は散在する住人をいかにこうした団地に集約できるかです。

自治体運営はこの達成度で予算管理や住民福祉がしやすくなるからですが、いざ住む人にすれば移転をすることは大きな負担であり、簡単でないことはこの解決を遅らせています。

 

自己の希望により移転をしない選択をする人は仕方ないとして、移転に同意しても経済的などの理由でできない人から、まずは移転補助を考えても良いのではないでしょうか。

全体を同時に移転するしないを判断せず、ここで希望を集計し移転可能な集合宅地へ移転できる準備を前向きに進めることで、少しずつでも自治体住民の将来の不安を減らすことができますので、自治体が行動すべきは、ゴールを示せるまで始めないのではなく、まず方向性を示して切り分けてできることから進める行動をすべきです。

 

この行動の結果は、理想的な結果に終わるか保証されないものですが、人口減によって住民確保の行方が不透明である以上、現実的に実行可能な現状の環境整理を自治体から示さなければ、地域の価値を周りに示せないまま終わってしまうでしょう。

自治体などの公共機関にとって、こうした取り組み方はあり得なかった行為ですが、時代は安全パイを確保して実行できるほどのゆとりはなくなる時代ですから、こうした時期ほどリスクを取らない行政の責任は、今後次々に問題化するでしょう。

 

この実施には、次世代に引き継がれることが前提の見切り発車ですが、保証を待って自滅するか未来を示しながら見切り発車を始めるか、その選択を早く決断し予算を早めに固める方が、リスクは減らせます。

これはあくまで一市民個人の意見ではありますが、大都市部特に東京優先の政策が進む中で、中央に嘆いてばかりでは地方住民は不安が募るばかりですので、こうした例のような、住居環境の整頓は今までにはないリスクをとった方針が不可欠である以上、考えるだけで済まさずに、前向きにできることから進める行動力は、住民への評価向上につながるものと信じます。