くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

人気の観光地は、ルールも意外と手厳しい理由

観光立国をリアルに爆進中の日本において、すでにその恩恵も受けながら弊害も報告されつつありますが、そもそも日本は世界でも最も厳格な慣習を持った国として知られていて、いまさらお隣の国々の厳しい環境ルールを取り上げる必要もなさそうですが、結構記事が見つかったりで意外な反響を見せているのは興味深いです。 

 

紹介記事の画像でも使われている台北駅のメインホールの例で、台湾の人たちが地べたに腰を下ろして時間を潰す姿は印象的ですが、いざ利用する時には飲食時のルールが厳しかったり、海外訪問者には一見して見えにくいルールがあるのは、とまどう人もいれば楽しむ人もいて、また別の魅力を感じてしまいます。 

 

web.smartnews.com

台湾メトロも厳しい飲食ルール【台湾】 (ワウネタ海外生活)

 

郷にいれば郷に従えと日本では言われる通り、その地域地域に独自の習慣があって、私たちは日本に居ながらにして、すでにその多様性を受け入れ・認め合ってきた文化が根付いています。 

おそらく海外の国でも事情は同じだと推測しますが、観光の成熟化を目指す上で、来訪者に対して、受け入れられるか受け入れ難いかを判別するのは結構難しく、どうしてもローカルの都合・標準を前提にしてしまうようです。

 

訪問者が「厳しいルール」でも守るのはその通りですが、それを何でも慮ることがおもてなしだとする誤解があるとすれば危険であり、日本国内のルールづくりの上では、その厳格化のリスクを恐れて現地事情が後回しにされる弊害は、むしろ見逃してはならない課題です。

観光立国として発展する地域に重要なのは「現地ルールの透明化」が最優先されるべきで、海外でのそれが来訪者を慮ったのではなく単に地域事情を優先した結果であり、利便性と不便性を明確化しているに過ぎません。

 

 日本はおもてなし文化やお客様は神様という「配慮思考」が、コミュニケーションの際に最優先され、他国もそうあるべきという独特の発想が前にでて、いざ独自ルールに厳しい観光地の印象を悪くしたりクレーム化するようですが、本来地域都合を優先するのが筋であり、発展する観光地のルールが手厳しいのは当然でしょう。

地域のルールの明確化は、訪問者の理解と善意を引き出し、むしろ特徴や魅力にもつながっていて、こうした地域主張の洗練度がルールづくりと相まったインセンティブ(みかえり)に直結していないとWINーWINの関係は困難でしょう。

 

日本が国際的にも魅力的に見られる例は、一見様で有名な京都の厳格さも醸し出す魅力であり、客への忖度にも一定の制限をした結果とも見られ、厳格リスクを必要以上になし崩しするおもてなしは、特徴=魅力を失い「どこでも一緒」の平凡さにしかつながりません。

この魅力ある観光地化のヒントを、単に「ルールの良し悪し」だけに求めるのは酷であって一例ですが、特徴あるローカル・ルールづくりが負の効果だけでなく、むしろ魅力を訪問者に受けとめてもらえる好機とすることへ、関係者は積極的になるべきでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

かつて「聖職」と言われた教師の様変わりが映すもの

久しぶりに学園ドラマで高視聴率を見せ完結した「3年A組 今から皆さんは、人質です」ですが、金八先生〜の時代とは大きく変わった「求められる教師像」に、大きな課題を提起した点で色々考えさせられますね。

上のドラマほどテーマは重くありませんが、下のツイートを見て「教師ガッカリだよ」な事実を知って、しばらく学校という貴重な体験環境から離れている筆者が、あれこれ考えさせられたことをシェアしたいと思います。

 

いじめ問題は何度か扱ってきましたが、学校内の問題を見つけジャッジする教職員のポジションや認識がサラリーマン化が顕著で、上のドラマで主演の菅田将暉が演じた様な「真剣に問題に立ち向かう」姿は無く、さらに専門職に留まらず一般職にも見られる、

「教師以前に、想定外の展開に柔軟性が無い人が増えている」

「責任ある持論を展開できないマニュアル人間が市民権を奪っている」

現実に、フツー感が支配するおそろしさに憤りながらもその普遍性に疲れ切っており、それを見透かした様に(あえて表現する)教育業界はより閉鎖性を強めながら、事実と異なる歴史や世界認識を助長する奇行にまで及んだことで、教師もその是非に余計な論争に巻き込まれ、子ども達に日本人として必要な知識を与えられる判断力を失っている様ですね。

 

twinavi.jp

小学校の教師「人間の祖先は?」 児童「おおもとは海の微生物」 → 教師の冷たい対応に「ほんと傷つく」「悲しい」の声 - ツイナビ | ツイッター(Twitter)ガイド

 

「3年A組〜」ドラマはあり得ない程の想定外さで、周りの大人や生徒の行動を浮き彫りにするインパクトによって、情報の刺激に鈍化した視聴者を惹きつけた様ですが、その鈍化の一員を担っている「マニュアル化社会の犠牲者」の増大には、そのくらいの衝撃がないと意識を変えさせる効果が出にくくなっているのでしょうか。

 

 

 

 

 

ブログの姿勢と、まちおこし情報のままならない正と負の側面

地方のまちおこしが注目されるかどうかは、その多くがメディアに取り上げられるか否かによって効果が全く違ってきますが、東北大震災・津波被害からの復興に邁進する東北東岸地域のそれは、毎日のように複数のメディアによって取り上げられています。

その一方で、同じ地方情報でも観光地としての沖縄のニュースより、米軍基地に関わる記事が重視され、東北のそれとは真逆のメディア効果が強調されていることは、地域のまちおこしにとっては、意外に地味で深刻な課題と考えるようになりました。

 

www.kahoku.co.jp

<三鉄リアス線23日開業・つながる鉄路>(2)震災を超えて/防災 復興の姿伝える | 河北新報オンラインニュース

 

ここでは、東北の話題しかリンクしませんが、沖縄のようにネガティブなニュースが蔓延するケースはどの地域にも往々にして起こる見過ごせない課題ですが、地元メディアを除いた中央メディアが、過度に偏った情報を流す以上は、そのメディアの費用対効果が、今後ますます地方のまちおこしにとって有効でないケースが、増加していかないことを祈りたいとお思います。

沖縄においては旅行会社の情報以外には、政府へのバッシング情報しか流れず、至ってはジュゴンの存続危機を煽るような誤った利用が輪をかけているようで、筆者としても沖縄地方のまちおこしは紹介しずらい状況が続いています。

 

私見はいくらでも述べられますが、専門メディアの記事を事実としてコメントするスタイルを継続する、当ブログのスタンスとしてそうならざるを得ないので、結果バランスを欠いてしまうことを恐れて、総合的なまちおこしを扱うことが増えてしまって、少し気が滅入っています。

その一方で、まちおこしに関連する政治・経済・習慣などの全体像を知る良い機会にもなったと前向きに評価するようにもなって、清々しい思いもあったりしますが、個人ブログとしての限界と可能性を見直す日々は、毎日が新鮮です。

 

非営利個人ブログの最大のメリットは、良くも悪くも運営者側の意思を100%表現できる点で、一時1年ほど有料サービスを利用しましたが、今は無料に戻し正解だと感じます。

どのメディアでも、書く内容以上にその反響を重要視し「数をたのむ」姿勢は避けて通れないとして、書きたいことを曲げる時代はもう時期を超えている気がします。

 

これだけ飽和状態の法人・個人メディアの時代に、少なからず既得権益の影響をうけるリスクが起こす、記事の不純化はどうすれば解消できるのかは未だ答えを出せていいませんが、その純化を可能な限り続けるには書くごとに「これで良いのか?」という書く側への問いかけを続けるしかないのでしょう。

それでも「書きたい」と思えるのなら、おそらく自分は正しいことに向いていると、自己満足できているのかもしれません。

 

5年前から、地方「まちおこし」をテーマに始めたこのブログの影響力は推して知るべしではあるものの、この深く遠大なテーマへ一つでもその答えやヒントを見つけるために、なにより自分の住む地方がより良くなるために、継続できる感謝とともに気持ちも新たにした思いです。

 

ゆるキャラだけがなぜ悪い?まちおこしの本筋に訴える

まちおこしを一元的にみてしまう発想は、結果の先食いを助長してしまうだけでなく、本来有効な手段や選択肢を自ら潰すおそれがあって、その現実が至る所に出ているのは残念な話ですが、例えば「ゆるキャラ」に見るまちおこしには、それが顕著に出てしまったのではないかと思えて、キャラクター好きの筆者にはとても残念でなりません。 

 ゆるキャラまちおこしに限りませんが、とにかく一つが成功するとその模倣に群がる事象が今に始まったことではないのですが、そもそもまちおこしの成功というのは、その地域環境や風土・歴史・文化や地の利、さまざまな独自条件で優位・不利は簡単に変わっていくだということを知っていながら、反射的に成功事例に飛びつく現実について考えます。

  

project.nikkeibp.co.jp

ゆるキャラ頼みのまちおこし|新・公民連携最前線|PPPまちづくり

 

 その現場は、とある識者の分析では上記のとおり散々なもののように書かれていて、結果だけ見れば至極当然のコメントに見えますが、それで「もうゆるキャラまちおこしは流行らないので、次」ではせっかくの有効な手段を次から次へと消費し続けて、地域の予算などリソースを浪費して、結果失敗するのは目に見えています。

この負のスパイラルが起こる要因を見返すと、いくつか思い当たる点が見えてきますが、まず地域行政を実行する議員などが、定期的に総入れ替えされ一貫した目的を遂行しづらい仕組みがあったり、縦割りによって住民の意見や、垣根を越えた新鮮なアイデアが反映しにくかったりします。

 

一部の自治体では、そうした組織改善を先行して成功に結びつけた事例は、何度か紹介していますが、この流れが未だトレンドになっていない地域の保守意識抜きには、まちおこしは成り立たないことを示しています。

 ということは、まちおこしの成功=地域の自治体・住民の意識改革であり、毎日のように世界情勢が変わっていくのと同時に地域のそれも変化しなければなりませんが、地域によっては、変化に敏感なサラリーマンなどは、住む地域とは別の地域で活動する事が多く、住まう地域のフィードバックに貢献しづらい現状はネックであり、生きたビジネスシーンの空気感を、どのように地方に反映させるかを軸にする必要があるでしょう。

 

その手段として、地元で働ける環境作りが理想的ですが、地元だけで解決できるものではないので、まずは地元で多くの時間を過ごす住民に対して、気軽に情報提供できる仕組みを地域ごとに考える必要があります。

端的に言えば「情報センター」ですが、重要なのは地域ごとに異なる情報インフラの多様性を考慮する点で、都市部は比較的ネットによる収集が可能なのに対し、地方過疎部は困難でケーブルTV・印刷物などで自由度を高めるしかありません。

 

いずれにしても、住民が欲しい時にいつでも知る事ができる利便性の実現で、これによって「この課題にはどう思われますか?」の自治体の問いに対し住民が「こういう情報があったのでこうすべきでは?」という、住民側に柔軟な分析と判断を助長できる仕組みが大事で、単に情報のだだ流しでなく返答・定義をしやすい配慮が、自治体にもとめられますし、

 

ゆるキャラばかりに重荷を背負わす」のは、

「従業員に問題を押し付ける縦割り組織の悪習慣」

と同じ図式、キャラクター愛が大きい筆者に言わせれば、その姿は……

 

“十字架を背負わされたキリスト”

 

の姿にダブらせてしまいます。(キリスト教徒さん、ごめんなさい)

今の多くのゆるキャラたちは、地方の「希望」でなく「陳情」の姿なのでしょう。

 

ゆるキャラ=カワイイ」だけのアイドル的手法は飽和状態でも、例えばAI・VI上でのゆるキャラとか、ゆるキャラで住民へ情報アクセスの容易さをアピールしたり、これはITベースであってもTV・印刷物であっても同じで、ゆるキャラを「解りやすさ」「関心を高める」きっかけや象徴に育て上げる工夫によって、住民に親しまれるゆるキャラづくりが、結果的には全国でも愛される象徴になっていくわけです。

 

その行程を、今の企業・自治体のするキャラクター活用は、あまりに短絡的です。

日本が育て上げた独自のキャラクター文化の真髄は、純粋な想いの結晶であり、

手法として有効であっても、安易な道具であってはならないと信じています。

 

この手法は、すでに企業においてはスタンダードな方法ですが、自治体では経済活動と直接結びつきにくい印象が優っているのか成功例は企業ほどではないようですが、発想自体は専門家でなくとも意外と理解しやすく、企業マークやキャッチフレーズのが意味するものを、自治体「ゆるキャラ」で特徴アピールや地域同士の情報交換までを代弁させたり、本来あるべき活用方法や価値を高めて、初めて「ぬいぐるみライブ」が注目されると思っています。

かなり詰め込んで書きましたが大事なことは、ゆるキャラを地域の象徴として採用するということは、地方選挙と同等の重く重大なイベントであり、何千体と生まれてしまったゆるキャラ戦国時代という轍を2度踏ないように、彼らが浮かばれる地域それぞれの活かし方を、徹底的に考え直して欲しいと願っています。

 

最後に、爆発的ヒットした「たまごっち」で多くの人が実感したように、キャラクターは「愛情を注いで」こそ育つのであり、その結果育ての親たちを癒し・貢献してくれるという事実は消えることはありません。

 

遍く全ての、無念にも思い半ばで消えていったキャラクターたちへ、合掌……

「世界の今」を正確に読み解くために。地方創生への思考

ZOZOが見せてくれたEコマース近未来の小空間は、今になって株価急落の憂き目を見ていますが、リアルでも安定した大手銀行や企業が突然の不祥事で一気に信用を失うような不確実性な時代を、どう捉えたら良いのでしょう。 

 

limo.media

ZOZOが一時▲8%安に迫る急落! 日経平均株価は反落 【東京株式市場】 2019年2月28日 | LIMO | くらしとお金の経済メディア

 

 Eコマースに国をあげて最も力を入れる中国でも、近未来の商空間を先取りし注目も集める中、製造・物流面でなまじ規模がでかい分、しわ寄せが負荷を高めています。

 

www.asahi.com

中国の製造業「悪化」続く 漏れ始めた「雇用」への不安:朝日新聞デジタル

 

 それら問題解決への指標と期待された米朝首脳会談も、大筋で失敗したとの認識によって、中国も足を取られたように沈黙し、世界の株市場も足踏みから一歩踏み出せずにいますが、その空気の重さにメディアがバッシングに走り、解決への提起から遠ざかっているのは情けない話です。

その中 トランプたたきや韓国よりの記事、コメントが多数の中で、妥当と思えるコメントがこれで、トランプ大統領の意向を継いで、拉致被害者交渉や韓国の日本不等口撃に対して、安倍総理も積極的に動けるかもしれないのです。

 

gendai.ismedia.jp

驚きの米朝決裂…!日・米・北・韓「最も得した国」はどこか(長谷川 幸洋) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)

 

this.kiji.is

「次は私が金氏と向き合う」と安倍首相 | 共同通信

 

 両国首脳の行動に非難が集中する流れで、ますます指示待ち姿勢が強くなり、モノ・カネの流れが芳しくありませんが、こうした一見関連性や即効性のない情報からどれだけ有効な判断を引き出せるか、その行動力が不可欠になっています。

よく決まり文句の「今こそチャンス」ではないですが、世間が動かない時こそ市場優位に立つ絶好の機会と言われるのは、好景気と不景気を分けて考えてしまう習慣から脱し、実は分けない方が迷路脱出に一番の早道だと知っていち早く準備できて実現するチャンスであり、行動が遅れるほどチャンスは遠のきます。

 

その行動力でも大事なのは、より最新の情報収集への行動を取るのが早くても、集めた情報の旬を生かす行動ができる人とできない人が居ますが、前者は流行自慢で満足してしまう人、後者は情報に確信できずに行動しないまま旬を逃す人、その両方をしないことです。

行動した結果がその人にどれだけ満足の量をもたらすか期待値に拘って、結局行動チャンスを逃すよりも、収穫がすくなくとも次に繋げられる行動ができる人の方が、結果的に成功確率が大きいことを体験で知っている人は、意外と多くないようです。

 

特に上であげたような不確実性の高まる中での行動は、多くの人がリスクばかりを強調しがちで、人の防衛本能からすれば至極普通なのかもしれませんが、せっかくの多用な情報収集ができる好条件の時代に、指示待ち姿勢ではチャンスの有効活用のルーティングの中では悪循環です。

情報収集がその人にとって何を意味するのかはわかりませんが、独眼的な自分に有益な情報だけを収集することが、成功の道から見て合理的な行動とはとても思ません。その判断には日本人の不得手な独自判断というリスクをどう解釈し、行動に生かすかの責任と自由のバランスの狭間で試行錯誤がつきまとうのですが、避けて通れない以上そこから逃げた時点でチャンスは無いという現実に向き合うしかありません。 

 

 

 

 

 

SNS情報拡散で起きる悲劇、理想の解は出なくとも。

日本で今起きている社会問題には国内独自の問題と、同じような問題が他国でも起こる事がありますが、親日で知られるお隣り台湾の人が犠牲になった、あまり知られないだろう悲劇を紹介したいと思います。 

 

 詳細は下記をご覧いただきたいのですが、台風21号災害の際に大阪国際空港KIXでおきた事件ですが、空港利用者避難の時にSNSにある書き込みから誤った事実が拡散された結果、追い詰められた台湾人関係者が自殺に追い込まれた事件です。

 

www.j-cast.com

全文表示 | フェイクニュースで自殺に追い込まれた台湾の外交官 日本との親善に尽くした彼を襲った「ある情報」とは : J-CASTテレビウォッチ

 

記事を見るかぎり、日本人が介在した可能性は低いと思いますが、中国人と台湾人によって広まった思い込み情報が、同胞の命を奪ったことになります。

 

まずは中国人特有の中華思想がキッカケのように見え、次に大量の中国人(本土)によってフェイクが物量的拡散し、そのあとの悲劇が台湾の人々が盲信したことでとどめをさしていました。

 

日本人では起きにくい例とも取れるこの問題とは言え、この事件から学ぶべきことはいくつかありますが、その根幹に自分の言動への正当化と無関心の心理が働いたことで、問題を軽んじてしまう行動が当たり前のように起きている事実。

 

特にSNSの書き込みは短文で出されるものが多いだけに、発信した情報の正誤性を証明され無いまま(根拠を省略して)発信されることが多く、速報性を優先するのが最大のメリットである以上、この利便性の対価となる伝言ゲームと同じ弊害が今後どのように意識されていくか。

 

また、筆者の書くようなブログのような媒体なら、まだ記事の根拠を書く余地があるためおきにくいトラブルは、SNSでも速報性を重視しているサービスの存在そのものの存在意義を問われながらも、ブログ・FBのような媒体よりも速報性を好む傾向が大きくなる、時代のニーズには逆らえない空気も問題です。

 

これから感情的な情報発信をするユーザーがSNSの主導権を持つのなら、SNSユーザーインターフェイスそのものが、人間に合ってい無いのかもしれないし、その実現は困難を極めるとしても、企業利益が絡む以上その倫理面も併せて改善が必要になるでしょう。

 

SNS情報拡散には、良い結果と悪い結果が同時多発的に発生する事実に多くの人が戸惑っていても、次々と対応するのに限界がありそこに無責任さと責任転嫁が加わるSNS情報の価値がどれだけのものか、退いて考える心の余裕はあるでしょうか。

 

さらに国内で本当に恐れられているのは、マニュアル化不能と即応性を試されるプレッシャーが、さらに真面目な人々を追い詰める二次的な悲劇について、自分で自分を追い詰めている現実への自覚があるのでしょうか。

 

ここ十年ほどで爆発的に便利になった情報収集が、いつのまにか欲する者を追い詰め、不便にしていく社会の中では、不便だった時代には当たり前のようにしていた、冷静になって考える行動ができずにいる現実を、整理する時間を取る責任があるのかもしれません。

 

それが数分なのか1日なのかは、それぞれの事情によってさまざまでしょうが、わざわざその時間をとってでも解決しなければならないことが必ずあると思てなりません。 

 

ヲタw文化がもたらす、地方でしかできない国を興す効果

 筆者地元のロケハンを中心に制作されるNHK短編ドラマシリーズ三部作の一つ「トクサツガガガ」の話題は、想像以上に反響を出しているのは嬉しいかぎりでした。

 

 オタク文化は名古屋を中心とする東海地方の、ある意味「自虐ネタ」もあわせた地元では十八番の手法ですが、その下地には古くからある茶文化や演芸文化で培った、独自のこだわりの気質が色濃く反映されているからであり、相変わらず業界からは「名古屋飛ばし」の言葉もありながら、強くたくましく成長を続けているようです。

 

chanto.jp.net

特撮番組は最高の教科書!? 大人がNHKドラマ『トクサツガガガ』に魅了されるワケ | CHANTO

 

番組最終回を見据えてNHK名古屋の特設会場で3月中旬まで「トクサツガガガ」の特別展や、最終回を一緒に盛り上げるイベントも実施され、話題性の効果を最大限生かすべく、ただでは終わらせない地域性が良い意味で、少しでも市民権を得られるといいなと感じました。

 

日本全国の地方産業が低迷する中で、唯一盛況なのがアニメや地域独自の特色を前面に、中には自虐ネタをも繰り出す独自文化を生かしたキャンペーン的な動きで、地域をアピールしながらも地域の市場そのものを盛り上げていくスタイルが、いま最も熱い手法です。 

従来なら、東京で成功事例を開発し、それをそのまま地方へ展開するスタイルが一般的でしたが、今は各地方自治体単位で独自な手法を地元の人々が編み出し、発信拠点化していくスタイルが注目され、様々な地域で成功をおさめています。

 

未だに、商業的・産業的には圧倒的に都市部や東京の影響力は大きいいですが、文化・歴史に関してその影響力は地方部発信でも大きくなりつつあって、それを支えているのが皮肉にも海外からのインバウンド観光客であるのは微妙ですが、それでも全体的にはまだ微力でも地方独自の企画によって、経済効果や注目度が高まるのは結果的に、効果が上がっていて好ましいです。

国内での、経済効果を期待する関心と海外からの訪問者の関心とは、内容も目線も何か大きな違いが出ているようにも思うのですが、インバウンド客増加の影響力と効果は、単に売上アップや市場活性にとどまらず、閉鎖感の高まる国内への魅力探しには、多様な目線と新しい魅力探しにも大きな影響を出しているのでしょう。

 

こうした地方主体の小さな成功は、人口規模や予算の制限で積み重ねていくしかありませんが、東北復興で注目され市民権を得た地道な活動は、今後日本そのものの活性化につながる大きなヒントになっていくでしょうし、これからもコツコツ日本人らしく実行し、受け継いでいく文化を大事にしたいですね。