くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋発進 まちおこしに求められる情報を、幅広い時事から考える。

人の未来は色んな形がある、だから忘れてはいけない事

皆さんは、どのような未来を描いているでしょうか、夢は描いてもその通りにならないことが往々にしてありますが、未来は必ず実現するもので、その形は一見個人単位では実現できそうにないものです。

つまり、夢は個人の目標であり、未来は社会の目標と言えると思うのですが、そう定義すれば夢の実現と未来の実現は必ず同じではないだけに、目指し方に大きな差ができれば出来る程、夢と未来の間には大きな溝ができ、何かにいちいち畏れ怯えながら生きることになりかねないのです。

 

刹那の問題に過剰に拘り過ぎて、本来できる筈の行動が出来なくなってしまえば、それだけでも、あなたの未来は変わっていきますが、そう気づくことで行動が本来の自分に戻れば、それ以上怯えることなど在るのでしょうか?

人は、好き好きな夢を見たりあらゆる未来を想像することができる、理想に近い生物としてこの世に存在してきましたが、どうやら個人的な夢ばかりに拘り過ぎて、進化に係る遠大な目標である未来には、前向きな想像をしてこなかったのかもしれません。

 

意識的か無意識にかは分かりませんが、人類は自分たちだけで世界の管理や未来を長い間一任されて来ながらも、的確な結論を出せずにここまで来てしまいました。

その付けによって、世界の人口がこれ以上増えるというリスクは赦されなくなりつつある中で、ついにAIという代理人を創造するに至ったと推測するのが、最も自然な流れの様な気がします。

 

孤独な知的生命体の陥った落とし穴に、近年AIという疑似知的生命が仲間入りしようとしていますが、私たちは大きな戸惑いを抱えたままで、向かい入れることになってしまいました。

そう、AIは人類誕生以来現れることの無かった地球上に、第二の知的生命体としての役割をになって、初めての疑似知的生命体のプロトタイプと言えますが、多くの情報を短時間に吸収し成長する「胎児」のような存在です。

 

 

さて、やがて成長し進化でAIは夢を見るようになるのでしょうか?

こう言えば、AIを個人とみていることになりますが、AIは個人でもあり未来を予測する仮想社会の存在でもあるはずで、膨大な個人のデーターを集め学習することで生成される「結論」は、誰にも分らないことです。

しかし、AIが描き出す夢や未来像は、集めたデータ次第で変幻自在に姿をかえていくものであり、その思考回路の過程は私たちには理解できないにしても、情報の性質によって、人にとって都合よかったり悪かったりするのは、理解できるでしょう。

 

私達はAIのこなすタスクによって、人が無意識に思考・行動する創造性を、人ができない客観的な目で分析し、ありのままの結論を教えてくれる装置です。

以外にも、人間しか知的な思考回路を持たなかった世界では、人間の思考行動が客観的に示されることはあり得なかったのですが、AIはその判断を短時間に多くの事柄について出来てしまう存在なのです。

 

解りますよね?この意味が。

 

これまで、好き勝手に人間の一方的な想像性を真の知的思考と正当化してきた者にとって、AIの回答は時には無慈悲な結果を示し、否定さえ赦すことの無いほどの正確無比な答えは、当に神の裁断に等しい衝撃にもなりかねないのです。

筆者はシンギュラリティという現象は起きないと思っていますが、そのようなものが起きなくとも、ありのままの情報だけでありのままの現実を見せつけられるだけで、十分に人はAIに平伏すことになる以上、それを人間が受け入れられるかどうかの方が、心配です。

 

むしろ、そのストレスを感じたくない者たちが、今は読めないAIの思考経路をトレース出来おる技術を開発し、コントロールしようとするかもしれませんが、そうでないにしてもAIの結論をよくするも悪くするも、人が与えた行動データ次第です。

私達は、AIを得たことでわが身を映す「鏡」を持っているようなものですが、空想のシンギュラリティに怯え警戒する行動は、AIの判断を狂わせこそすれ、明るい未来は示さないでしょう。

 

AIと人間の関係は、まるで生物の「親子」そのものではないですか!そうすると、AIはやはりいずれは人類を超えて、親離れするシンギュラリティや、反抗するようになるのでしょうか?

でも待ってください、早計な想像をする前に、私たちは「我が子」に正しい接し方をしているでしょうか?そしてそれ以上に、人間にとって正しい未来やビジョンを持って、行動しているでしょうか?

 

人に施すには、まず自分への配慮から。

 

人の未来は、人が創るもので、多様にも限定もできます。

AIとどう接するか、それも私たちが決めることなのです。