くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

地域が起こしがちな、起こるべくして起きる帰結

愛知県民である筆者にとっては、あいちトリエンナーレの再開に関わる大村愛知県知事の起こした判断と行動は、本来初志貫徹するのではなく、周囲を見回して軌道修正する唯一の機会を逸した反省点ではなかったかと思いました。

河村名古屋市長は、大村県知事とは対立する、出品作の一部について懐疑的な立場を貫いており、この地方の歴史的まちおこしでは意見が噛み合いましたが、文化的な解釈が根本的に異なってしましまいました。 

 

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大村知事「一同疲弊」 「不自由展」質問への回答を延期 [「表現の不自由展」中止]:朝日新聞デジタル

 

筆者なりに分析してみると、愛知県は明治の廃藩置県が施行されるまでは尾張三河に分かれていて、結構な相違があったそうですし、愛知県になった後に県庁所在地の名古屋市がまた独自の発展をしたことで、ざっくり3つの社会が存在する県と言えます。

その中で尾張三河を統括する愛知県と名古屋市という2つの勢力がバランスをとってきたと考えられるので、それだけでもう主導権争に火がつけば、揉め事は起きやすくなる関係でもありました。

 

芸術や文化芸能には、この地域は古くから独特の発展をし今もその気運が高く、力を入れてきたこともあって県も市も、芸術振興にはなみなみならない思い入れと自負があって、おそらくその自負が冷静な判断を奪う元凶になったかもしれません。

それを差し引いても、県内でも評判が安定していた県知事が、こうした行動に走流

るに至った経緯は、今後の健全な県行政のためにも明確に追う必要があります。

 

大村知事の判断したことが、今年のあいちトリエンナーレの運営に限っては、やることがすべからく裏目に出ている事実から悟るべきは、必ずどこかに歪みがあったからこその、起こるべくして起きている結果だということです。

政治家や行政官で立場上持てる影響力を、自身の実力だと履き違える人が往々に出ていますが、自己判別ができなくなった時にその隙間に悪魔はささやくのでしょうから、大村知事がその呪縛から1日でも早く逃れることを願います。

 

県民の中にも大村県知事のように混乱して、問題を直視できていない人もいるようですが、一度意地を張り通してしまえば後戻りが難しくなるのは人の常であり、次の4年後を見据えて早く方向を見直して、建設的な建て直しを図るべきでしょう。

お隣り関西では大きな疑惑の矛先を逸らすかのような、原発汚職のスキャンダルがタイミング良く起きていますが、愛知も決して対岸の火事ではないのですから、この機に公金の利用の透明感を徹底するチャンスと捉え、真摯に行動してもらいたいと願って止みません。