くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

国難の真っただ中、天皇陛下の国を導くメッセージ

このような国の受難のときに政府が発表した緊縮事態宣言が一通り周知された中で、満を持したように本物の国のトップである天皇陛下が、お気持ちを表しました。

恐らくは何らかの宣言を出されるだろうとは推測していましたが、まさか私費を寄付されるとは、今や政府のそれより実行力をそがれ象徴の立場にお成りになられながらも、その威厳は国家存亡の危機においては、国民の本意を大いに理解するものです。

 

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天皇陛下が私費1億円を寄付 『お手元金』の使い道に「素晴らしい」「感謝します」(2020年4月7日)|BIGLOBEニュース

 

下世話な話をすれば現実的には1億円でどれだけの人が救えるかと言ってしまえば限りはありますが、政府が示した108億円などという煩悩の数(偶然でしょうが)と語呂合わせするよう額の実効性の低さより、どれだけ国民の心にささり、精神的な希望に繋がるかを考えれば、天と地の差でしょう。

同時に、政府の不甲斐なさと民意を無視した一方的な自己満足施策を、あんに痛烈にご指摘されていると言っても良いのでは無いでしょうか。

 

緊急事態宣言による補償内容は、実質限定的で実効性や即効性は全くなく、単なる一時的な政府のポーズでしかありませんでした。

ましてや、日本の産業主要地域の愛知県や、今最も地方で深刻な被害が出る北海道、観光主要地域の京都府などを外しただけでなく、ほとんどに道府県対象外であり、それだけでなく対象地域でさえ、申請審査の結果通ったとしても、実質お金が手元に届くまでに数ヶ月かかるのは明らかです。

 

この緊急事態宣言とは、暫時的に医療崩壊の危機感を緩和させる効果を狙ったものであり、根本的には政府は相変わらず減収への責任を追わないばかりか、そのリスクを自己責任に転嫁するものでしかありません。

もう一つ確かなのは、政府はこの期に及んでも財務省の緊縮財政に屈して支出を抑える姿勢は崩していませんし、小出しにしかも”やってますアピール”だけして、行政で実際に対応する公務員の仕事だけ増やしながらも、観測気球を打ち上げまくって国民の出方を待つ姿勢で乗り切ろうとしているのは、明白です。

 

天皇陛下は、おそらくこうした政府の言動を見透かされており、国の象徴という限定的にされた範囲で、国民と政府に対して明確なメッセージを発信されたのでしょう。

今一度真の国家のトップのあるべき姿を、改めて考えさせられる奇跡であると同時に、国を貶めるものが何なのか、そしてそのロジックをノイズの多いメディア情報からどう汲んで、どのように政治を司る者を選んでいくべきかをこの時期だからこそ、じっくり考え次に失敗しないように準備していかなければなりません。

 

筆者の住む愛知県では、昨年騒がせたあいちトリエンナーレで問題になった大村愛知県知事が、学校休校延長の判断を急転させて、県民から多くの失念をさせていますが、名古屋市もこれに振り回される災難にあっていて、一体何を信じたら良いか県民は露頭に迷っています。

おそらく、こうした混乱はここまでではないにしても、国が財政支出しないまま責任転嫁で、自治采配を突然突きつけられる現状は、大阪府は都構想問題から主体性を磨いてきた以外に、実績がほとんどありませんから、指導力と責任を示さない政府に絶望感と不審が増してくるばかりです。

 

 

天皇陛下の存在は、私達のなかで多くの人が象徴だとか実権のないものと、低く見る人が増えているのかもしれませんが、その分目先の利益に引きずられて、精神性伴わない行動しかできなくなっている現実に甘んじています。

かつて戦前までは天皇はお隠れのなることで、日本人が引き継いできた神秘性と精神的なあるべき姿の指針を、国民がぶれることのないよう示して来られた存在でした。

そのお気持ちを、汲める日本人の精神性がこれまでも多くの危機を乗り越えてきたことは、日本人に生まれて幸いでしたが、今回の天皇陛下の采配によって、改めて日本人としての自負と責任感を、考えさせられる奇跡を見たように思います。