くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋発進 まちおこしに求められる情報を、幅広い時事から考える。

日本人の良き慣習が巻き取られる日

勝ち組負け組という言葉が、つい最近までメディアでTV新聞、ネットにも頻出した時期も、ようやく最近すたりつつある流行のように下火になってきた気がします。

この言葉が示したのは、良く考えれば競争意識の高揚、悪く言えば差別意識の短絡化だと言えるかもしれませんが、その多用された言葉の中で経験則で私達に刷り込まれた意識がいくつか問題になります。

 

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子育てがつらい国、日本。皆を苦しめるその「空気」の正体(中川 まろみ) | FRaU

 

核家族化が普通になって、結婚の目的が必ずしも子供を産み育てることでなかったり、日本国内だけでも家族の価値観が多様化された結果、大人の子どもへの目線に共通項が減りつつあって、子を持つ大人とそうでない大人で見方がすれ違いがちです。

子どもを持てば、価値観の多くは子に向けられるのは当たり前ですが、一方で持たない人は様々なことに価値観を持っていますので、知識的に「子どもは社会でも共通の宝」だと理解できても、行動に違いが出てしまう光景が上の例に出ているようです。

 

勝ち組を意識高く掲げることで、日本人が重視する時間効率の追求は、それへの阻害要因を無条件で疎ましく思ったり、メディア頻出度が高まっただけで善悪を判断する問題意識や、感情を抑えすぎたりリスクを恐れ行動で示さなかったり。

そうした抑圧の一端が、異常なまでの煽りや犯罪行動による自己主張など負の行動として目立つようになったのかもしれませんし、それまでにならなくとも弱者へ当たったり、自分らしい行動がしにくい空気にもつながっているようです。

 

日本人の多くが、平和を愛し相手を尊重し立てる、これほどの人格的な人物像は理想的ではありますが、それを行動できる人は少なくむしろそのプレッシャーから、自分を追い込む悲劇も少なくないようですが、そこから抜け出すにはある程度の覚悟と割り切りが大事です。

ただ、筆者がこの話題で言いたいのは、大人としての寛大さとゆとりをせめて子どもに向けては行動で示してほしいということです。

 

電車でのベビーカー持ち込みの例では、満員電車などよほど物理的余裕の無い場合、手助けしないまでも見守るくらいはできますし、過度な心配や失敗を恐れるにしても、そのまま放置すればむしろ自体は最悪になるだけで、手助けが重複してもそれは共有できる善意として済むことではないでしょうか。

大人は、するしないの選択肢を持ちますが、母親や子どもは選択肢は無いわけですから、その優位性が悪意でもない限り行使するのが大人の役割だと思えるといいですね。

 

大人社会では、往々にして利害が絡んでくると、その利害を最大限利用するために、共益の分断が実施され、孤立した者から順に利害にからめとられやすくなりますが、これは猛獣が獲物を捕獲するときと全く同じで、人の社会でも同様の手法が使われることが多くなっています。

その獲物役の大人は孤立を避けるために思考停止に陥ることもあって、本来すべきことが正しくできなくなることがありますが、大人でさえそうなのに無防備の子どもが餌食になれば、親だけでは防ぎきれるものではないですから、あかの他人の子でさえも自分の将来に係る限り、子どもへの振る舞いは良く考えてしたいものです。