くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

SNSの議論の空洞化は、核爆弾ボタン級の効果

あいちトリエンナーレの今回開催で起きた賛否について、一旦の終焉を迎えたとされるものの、筆者は何かの始まりでしか無いという意識が濃くなっていますが、それ程この露出騒動は、国内で起きつつある根深い問題の一片に見えます。

とりあえずこの件は一服したタイミングで、シンクタンクの統計分析記事を見つけたので、一つの節目としてこれを参考に考えます。

 

www.huffingtonpost.jp

「あいちトリエンナーレ」関連ツイートは950万件。東大准教授が分析してみたら ...3つの「炎上ポイント」があった。 | ハフポスト

 

今回筆者は、この炎上に参加していたことになりますが、実感として思ったのはしかけている集団が一方的に持論を正当化しているために、論点がずれまくっていたと、今思えば思えました。

初めから正しいことをしている前提で、どんな意見も見下す人が多かったし、それは表現の自由を無条件に正当化できると言う正義を盾に、どう言い方を変えても無駄だった事を考えると、議論が成立する状態では無いと感じました。 

 

SNSは、自由に意見を公開出来る点で何より優れているのは自間違いありませんが、一方では書いたことが、良くも悪くも後々まで強い影響力を持つことも事実ですから、その影響力を自分の主張にどう利用するかで、影響の結果が大きく異なっていきます。

また、即効性を重視するユーザーと記録性を重視する者とで、書く内容や意図も様々となって、気軽に気分で書ける人と周到に計算して書く人との、効果の解釈や恩恵に大きな隔たりも生じているために、同様の書き込みでも解釈の混乱や誤解が生じやすい。

 

その誤解の最大化現象が炎上として知られていて、これさえも単なる悪ではなく意図的に効果を狙う手法も混在して、単に善悪ではジャッジできない環境の中で、全うなジャッジを言い争うことに不毛感さえ漂います。

おそらく、全体的な解釈からされる結論やジャッジが重要ではなく、コミュニティ単位の結論が重要視されるのでしょうが、厄介なことにコミュニティ又はスレッド単位でも、結局島同士の言い争いになって暫定的な結論が継続されていきます。

 

要は結論の出ない議論が継続されていく条件で、意見の平等さが守られてその総合評価でインフルエンス伝播する影響度が決まってくるようですので、インフルエンサーが注目されるのは理に適っています。

ただ、彼らの影響力を偏即的意図的に利用する手法も、企業や思想団体の計画に取り入れられている今では、すでに大まかな情報誘導は可能であり、後はいかに少数意見の中に事実を求めるしかないのかもしれません。

 

あいちトリエンナーレと言うローカルイベントは、その流れの中で意図的に利用されてしまい、県知事も体良く利用されて引っ込みがつかなくなった今、愛知県民は次期選挙も今しばらくない中では、この修正の行く末を見守るしかありません。

この現象や課題は、後の広島トリエンナーレ同様に今後も、国内に於いて有効な情報誘導の手段として様々に形を変えて実行されるでしょうが当面最も懸念されるのは、日本の交通インフラと不動産買収、災害情報などの日本の基盤に関する何某かの情報操作に注意した方が良さそうです。

 

個人的にはまだ時期尚早だとしても、国営放送企業がネットメディア進出を申し出していますが、今の彼らの情報力の影響がネットに拡散するリスクは計り知れないものがあります。

未だ半数を超える国民の多くがこのメディアの信憑性に依存している現状で、彼らの情報力が与えるインフルエンサーとしての実力は決して侮れませんし、かくいう筆者でさえ未だ影響を受けている一人なのですから、政治経済への根深い影響はネット進出如何に関わらず、しばらくは続くでしょう。

 

地方のローカルイベントをきっかけに体験できた、一蓮のSNS炎上でのやりとりで筆者は多くの学びをしましたが、今やSNSなしでは生活や経済が成り立たない時代に、単なるリツイーターとして、この戦略の歯車にされる事だけは避けたいものです。

そのためにも、より深い考えのもとで書き込み、その後の影響力の強弱までも意識しリスクを考慮した利用をと言いたくなりますが、その基準もる定まったルールもない中で、規範重視の日本人の多くが今後も迷走するのは、しばらくは避けられそうにないのだけに、今後も関与の度合いに基準がない以上、その罪へ線引きの行方で世界を動か起点として、意識はしておこうと思いました。